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3

「おはよう、紫音ちゃん」
「…おはよう、ございます。えと…」
「晴海だよ。秋田晴海。」

次の日、病室に訪れた俺を見るなり怪訝そうな顔をして首を傾げる紫音ちゃんにずきりと痛む心を押さえてもう一度自己紹介をする。すると、昨日の事を思い出したのか紫音ちゃんは『ああ、』と小さく納得したような声を出した。

「昨日はよく眠れた?寂しくなかった?」
「はい…」

いまだ警戒しているのだろうか、目を泳がせたまま頷く紫音ちゃんにまた胸が痛む。
仕方ない、仕方ない事なんだと言い聞かせてもやっぱりつらいもんだなあなんて思う気持ちを、紫音ちゃんにばれない様に顔に笑顔を浮かべた。

「今日はね、おみやげがあるんだよ。はい。」
「わ、あ…」

猫の顔の形をしたパンを差し出すと、とたんに輝くような顔をして目をキラキラさせた。それを見て、ああ、記憶がなくてもやっぱり紫音ちゃんなんだなあってすごくホッとする。

「ん?どうしたの?」
「あ、ううん。なんでも、ないです…。」

ふと気が付くと、紫音ちゃんがじっと俺を見ていた。なんだろう、変な顔でもしてたかな。聞いてみたけど、紫音ちゃんは何だか一瞬悲しそうな顔をして緩く頭を振っただけで、その後は手に持ったパンをじっと見ていた。

「食べてもいいんだよ。」
「…ううん。今はまだいい。…ありがとう、秋田さん。」

他人行儀な呼び方をして頭を下げられ、ずきりと胸が痛む。

「…晴海でいいよ。」
「…晴海…せんぱい」

同じ紫音ちゃんの口から出たはずの俺の名前は、全く別人に呼びかけているようだった。気まずそうに目をそらし、受け取ったパンを左手でベッドの横にある棚の上に置こうと体を捩る紫音ちゃんにそっと手を伸ばし、パンを掴む。

「あ…」
「ほら、無理しないで。ここに置けばいい?」
「…ありがとう」

手にしたパンを取り、かわりに棚の上においてやるとほんの少し口元をゆるめて笑った。

あ…、いつもの笑顔だ…。

記憶をなくす前までよく見ていたその甘えるような笑顔をほんの少し見せてくれたことにほっとして涙が出そうになる。記憶がなくてもやっぱり紫音ちゃんはかわいくて、ポンと頭に軽く手を置くと恐々と上目づかいで俺を見た。

「お手手、怪我してるんだから無理しないの。何でも言って。手伝うよ。」

そう言うと、俺を見ていた目をせわしなく動かして俯いた。けれど、小さな声で、はっきりと

「じゃあ、なにかあったら、お願い…します。晴海先輩。」

俺を警戒しつつ、手助けを求めた。


それから俺は、学校が終わるとすぐに紫音ちゃんの所に向かう。ネットで調べたところによるといろんな意見があったけど、記憶喪失の子に、無理に思い出ださせようとするのはあんまりよくないと記述があった。そこで、梨音ちゃんと話し合って俺が頼み込んで紫音ちゃんが病院にいる間の世話を任せてもらったのだ。
梨音ちゃんは、初めは自分が行くと言っていたけれど一度一緒に行ったときに、思い出の品を見せた時に少し何か反応を示した紫音ちゃんに思い切り詰め寄ってしまって怯えさせてしまったからと、自分ではどうしてもあせってしまうからと泣きそうな顔で俺にその役を譲ってくれた。

俺は、梨音ちゃんの気持ちを無駄にはできないと同じように焦る気持ちを必死に隠して紫音ちゃんと向き合う。

『思いだした?』なんて、自分からは聞かない。紫音ちゃんが、聞いてきたことにだけ答える様にした。


そして、俺が世話をするようになって、困ることが起きた。


右手が不自由な紫音ちゃんは、そちらが効き手だったために結構色んなことで不自由な思いをしていた。
ご飯を食べるときとか、着替える時とか。

初めこそ『手伝おうか』という俺に不審な目を向けていたけれど、毎日訪れてたわいのない話をしているうちに、俺に徐々に警戒心をなくしてきた紫音ちゃんは、それらを俺にゆだねるようになってきたのだ。

今も、持ってきたゼリーに目をキラキラ輝かせてにこにこと笑っている。そして、左手でスプーンを持って、俺に差し出す。

「せんぱい、食べさしてえ。」
「はいはい」

ベッドの上でパタパタと足を動かす紫音ちゃんからスプーンを受け取り、ゼリーの蓋を開けてひとさじ掬う。

「あ〜ん」

掛け声とともに差し出すと、ぱかりと口を開けてあむ、と食いついてにこにこと微笑む紫音ちゃんに叫び出しそうになった。

そう。困った事とは、これ。

警戒を解いて、紫音ちゃんがめちゃくちゃ俺に甘えるのだ。

まるで本当に拾ったネコが懐くかのように俺に甘える紫音ちゃんは最高に可愛い。記憶があっても、ここまでは甘えないだろう。


かわいい。かわいすぎるのだ。


「せんぱい、今日ね、朝ごはんもお昼ご飯も全部食べたよ。嫌いなもの出たけどね、残さないで食べたの。ねえ、ほめてほめて。」

左手でくいくいと俺の袖を引き、はい、と頭を撫でろと傾けてくる紫音ちゃんに鼻血が出そうになる。よしよしと撫でてやると、ふにゃんと目元を緩めて笑う。

「先輩が来てくれるの、すごくすごく待ってるんだよ。ね、先輩。退院しても、俺といてね。お世話してね。」
「もちろんだよ、紫音ちゃん。」

制服をきゅうとつかみ、こてんと首を傾けてされた可愛らしいはずのおねだりに何だか泣きそうになった。

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