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2

記憶喪失だなんて、ドラマや小説の中の世界だけの話だけかと思っていた。でも、実際に目の前にはそうなってしまった紫音ちゃんがいる。

紫音ちゃんは、目覚めて全てをなくしてしまっていた。

自分が誰かもわからない。ここがどこで、今は何年の何月で、目の前にいる人間の誰も区別がつかない。

梨音ちゃんは、ボロボロ泣いて紫音ちゃんに喰いつくように迫った。

「しーちゃん!ほんとに、ほんとにわかんないの!?僕、梨音だよ!紫音のお兄ちゃんだよ!」
「ひ…、わか、わかんないよぅ…!う、うえ…っ」

あんなに、大事な半身であった梨音ちゃんをも怯えた目で見つめ泣き出す紫音ちゃん。同じように泣く梨音ちゃんを何とかなだめて、克也は病室から梨音ちゃんを一旦連れ出した。
残された俺は、ベッドの上でカタカタ震えて泣く紫音ちゃんを見てただただ呆然とする。

忘れちゃった?今までの事全部?

俺と、中庭で一緒に話した夜も、校庭で泣き崩れ好きだと言ってくれたことも。

ゆっくりと近づき、ベッドの横の椅子に腰かけるとびくりと体を竦ませておずおずと俺を見た。

揺れる眼差しが、俺を怯えてみるその目が、とても辛い。だけど、

「…初めまして。俺は、秋田晴海だよ。君と同じ高校に通ってる、先輩なんだ。」
「…せん、ぱい…?」

にこりと微笑んで自己紹介をすると、紫音ちゃんは震えながらも小さな声で返事をしてくれた。それにこくりと頷いて、胸にしまってあった生徒手帳を出す。

「これが、俺たちの通ってる学校。君はそこの一年生。ゆっくりでいいよ、大丈夫。少しずつ、俺が教えていってあげる。」


大丈夫だよ、紫音ちゃん。俺、約束したよね。


「まずは、君のお名前からね。君は、木村紫音だよ。」


君はもう一人じゃないって。これからは、俺が守ってあげるんだって。


「目が覚めて、なにもわかんなくてびっくりしたね。心配しないで。俺が、」

差し出された生徒手帳をぱらぱらとめくり、警戒した目を向ける紫音ちゃんに微笑む。

「…君の先輩だった俺が、ちゃんと教えていってあげるから。傍にいるから、今はゆっくりお休み。」

俺の言葉に怪訝な顔をしながらも、紫音ちゃんは大人しくベッドの中に潜り込んだ。


すうすうと寝息が聞こえだして、紫音ちゃんが眠ったのを確認して俺は病室をそっと抜け出して談話室に向かう。談話室では、泣いている梨音ちゃんの肩を抱いて必死になだめている克也がいた。俺が来たのに気が付いて、梨音ちゃんが勢いよく顔を上げる。

「先輩!紫音…、紫音は…!?」
「…今は寝てるよ。」
「…ほんとに…、ほんとに、忘れちゃったのかな…。」

ソファに腰掛ける俺に、悲痛な顔で唇を噛みしめて俯く梨音ちゃん。克也も、何て声をかけていいかわからないんだろう。俺だって、信じられない。信じたくない。今まで、俺を見るたびにふにゃんって目を下げて笑ってた紫音ちゃんに、あんなに怯えた目で見られるだなんて。

「お医者さんは、いつ記憶が戻るかわからないって言ってた。…もしかしたら、戻らないこともあるかもって。そしたら、どうなっちゃうのかな。しお…、紫音は、僕の事、もうお兄ちゃんだって思ってくれないのかなあ…っ、」
「大丈夫だよ、梨音ちゃん」

ぼろぼろ泣き出した梨音ちゃんに、微笑んできっぱりと告げる。

「あんなに、梨音ちゃんの事好きだった紫音ちゃんが、そんなこと思うはずないじゃないか。だから、大丈夫だよ。記憶がないままでも、きっと梨音ちゃんの事はもう一度、お兄ちゃんだって思ってくれるよ。」

梨音ちゃんを励ますために言った言葉に、自分の手がカタカタと震えているのを隠すのに必死だった。

梨音ちゃんと紫音ちゃんは、兄弟だ。例え記憶をなくしてしまっても、この先一生縁が切れることはない。でも、俺は?

本当は、俺も叫びたかった。俺はキミの恋人なんだって、愛してるんだって叫びたかった。

でも、できなかった。

紫音ちゃんは俺の事を、見知らぬ人間だと思っている。そんな人間に、しかも男にいきなり
『恋人だ』
と言われて受け入れられる人間がいるだろうか?

最悪、信じないと拒絶されるかもしれない。そう思うと、恋人だなんて言えるはずがなかった。

紫音ちゃんの世界からはじき出されたままを想像すると、体が芯から震える。
怖い。怖くてたまらない。

「…大丈夫…」

自分自身に言い聞かせるように、ぎゅっと膝の上に置いた拳を握りしめて繰り返した。

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