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2

克也が横を通り過ぎていくのにも晴海は反応できなかった。今しがた自分に対して紫音から向けられた拒絶に、目の前が真っ白になっていた。

「紫音、ちゃん…」
「馴れ馴れしく俺の名を呼ぶな」

紫音の名を口にした晴海の一切を拒絶する。その拒絶に、晴海はさらに鋭利なナイフで切り裂かれたかのように心が痛む。もうそこにいるのは、あの自分に甘えてくれたかわいらしい紫音ではなかった。

「…ごめんね、」

『紫音ちゃん』、といつものようには続けられなかった。泣きそうになる自分を叱咤し、無理やり笑顔を作って頭を下げ、背中を向けて病室を後にする。
晴海は、決して振り返ろうとはしなかった。

「う…、く…」

二人がいなくなった病室で、紫音はがくりと膝をつき崩れ落ちる。眠る梨音のベッドの傍らで、蹲りいつまでもいつまでも泣き続けた。


あれから、一週間。紫音はあの乱闘で殴られたりはしたものの、元々鍛えていたこともあり大した怪我もなく翌日には退院することができた。だが、梨音はいまだ目覚める気配がない。医者も、怪我自体は回復に向かっているのでこればかりは梨音がなんとか目覚めるのを待つしかないと言った。

自分が退院してから、紫音は毎日時間の許す限り梨音の見舞いへと向かった。そして、眠り続ける兄に向かい今日一日のあったことを話す。聞こえているだろうか。
自分の声にいつか梨音が笑って答えてくれる日を待ち、毎日毎日病室へと通う。

いつものように梨音の見舞いを終えた紫音は、一人寮へと向かう。あれから、二人が自分たちの前に姿を現すことはない。だが、学校に来ていないわけではないらしく屋上に行かなくなった紫音の耳には、以前のように不良たちがたむろするようになっているとうわさが入って来た。

いやでも耳に入ってくる二人の噂に紫音は大きなため息をつく。

部屋で用事を済ませ、夜中になりまた静かに自分の寮部屋を後にする。

「…にゃんこちゃん…」

小さく、暗闇の草むらの中に向かって声をかける。だが、返ってくるのはしんとした静寂のみ。
紫音がかわいがっていた子猫は、紫音が退院した日から姿を見せなくなっていた。

一日、来なかったからかな。怒ってどっかに行っちゃったのかな。

「にゃんこちゃん」

再び小さく呼びかけるも、子猫が姿を現すことはない。
えさだけでも、と昨日置いて帰ったエサも今日もまた手を付けられずにそのままだ。
新しいエサを置いて、そっと昨日の皿を持ち上げた瞬間、紫音はぼろぼろと涙をこぼした。

何も。なにもかも、なくなっちゃった。
りーちゃんも。先輩も。子猫ちゃんも。みんなみんな、自分の前からいなくなる。

どうしてこうなってしまったんだろう。ほんの少し前まで、あんなに楽しかったのに。
大事なものは、いつだって自分の手からすり抜ける。大事にしていたはずなのに。守ろうと決めたはずなのに。自分のせいで、守ろうとしたものは傷ついていく。

「うー…」

紫音は、流れる涙を止める術を知らなかった。

その次の日、いつものように梨音の病室へ向かう紫音の前に見知らぬ男が立ちふさがり頭を下げてきた。

一体誰だろうか。

見覚えのない紫音は、頭を下げる男を怪訝な顔で見つめた。

「…カジです」

そして、自分に名乗ったその男の名を聞いた瞬間、紫音は大きく目を見開きすぐに憎しみのこもった眼で睨みつける。

「木村、紫音さん。…お願いがあります。」

カジは紫音に向かって深々と頭を下げた。

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