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素直になって

ピッ、ピッ、とちいさな電子音が静かな病室に響く。ベッドで眠る愛しい兄の頭をひと撫でして、紫音はそっと病室を後にした。

警察や学校やらから散々事情聴取をされようやく解放されたのはあの乱闘から一週間のちのことだった。病院に運ばれた梨音はすぐに手術室に運ばれ、手術は成功したものの意識を未だ回復しない。
事情聴取で、カジと言う男が一切の責任は全て自分にあると言った。それ以外、何を聞かれても口にすることはなかった。その意を汲んだ克也たちも、黙秘を通しやがて警察は克也たちが被害者であるということに話を落ち着けた。

あの廃工場で気を失った紫音が次に目覚めたら病室だった。自分がどこにいるのかわからずキョロキョロと周りを見渡す。

「りー、ちゃん…?」

そばにいつもいるであろうその存在の名を口にした瞬間、紫音の脳裏に一瞬にして甦る記憶。

狂ったような笑い声。

光る銀色。

赤い花。

目の前で、ゆっくりと崩れ落ちてゆく梨音。

「う…、あ」

震える両腕を伸ばし、そこにいるかのように虚空をかきむしる。
梨音。梨音、梨音。

「うああああ!あ――――――ッ!!」
「!紫音ちゃん!?」

叫びを聞きつけ、病室に真っ先に駆け込んできたのは晴海だった。

「梨音!梨音、梨音!!ああああああ!」
「大丈夫!大丈夫だから、紫音ちゃん!」

ベッドの上で叫び暴れる紫音をぎゅうと抱きしめ、必死に抑え込む。

晴海は、病院へ運ばれてから片時も紫音の傍を離れなかった。だが、目覚めた時にのどが渇いているのではと紫音のために飲み物を買いに出たほんの少しの間に紫音は目覚めてしまったらしい。
しまった。やっぱり目が覚めるまでは傍を離れるべきではなかった。

紫音を抱きしめ、大丈夫だと何度も何度も繰り返す。紫音は自分を押さえこんでいる人物が晴海だとようやく気づき、がばりと顔を上げた。

「…大丈夫、って、なに…!?梨音は!?梨音は、どこ!?」

ぼろぼろと涙を流し晴海に掴みかかる紫音に、晴海は胸がぎしりと痛んだ。

「ここにすぐに運ばれてね、紫音ちゃんが気を失っている間に手術したんだよ。幸いにも急所が外れてたから、傷跡は残るだろうけど命にかかわるようなことはないって…。」
「梨音は、どこ…?」

縋るように見つめる紫音に、晴海はゆっくりとその背中を撫でる。

「…今は、個室に移って眠ってるよ。克也もそこにいるはずだから…、行こうか。」

晴海の言葉に紫音は青い顔をしたまま無言で頷いて立ち上がった。歩こうとしてよろけ倒れそうになる紫音を支える。自分よりも筋肉質で少しごついはずのその体は、晴海にはとても華奢に感じられた。
晴海に連れられて着いた個室の部屋をノックして開けると、憔悴しきった克也がこちらを振り向いた。紫音の姿を見とめ、ぐっと眉間にしわを寄せて唇を噛みしめる。だが紫音は、そんな克也の姿に視線を向けることなくベッドに横たわる梨音をただじっと見ていた。

引きずるようにして足を進め、梨音の横たわるベッドにたどり着く。少し血の気の失せたその青い顔はまるで眠り姫のようだった。
そっと、梨音の頬を撫でるとほんのりと掌に体温を感じてホッとする。と同時に、紫音はその目から声も出さずに涙を溢れさせた。

「…すまない。」

紫音の背中に向かい、小さく、だがはっきりと謝罪する克也の声に紫音は全身の血が逆流した。

「…いまさら…なんの謝罪だ」

絞り出すようにして出されたかすれた声には、明らかな怒りと悲しみが含まれていた。
紫音の言葉に返す言葉もなく、ただただ二人は俯くしかできない。

「なにが…!なにが、大丈夫だ…!あんたらの!あんたらのせいで、梨音はあんな目にあったんじゃないか!何が梨音を守るだ!守るどころか、あんな危険な目に合わせて…!!」

言葉の終わりと同時に、紫音がゆっくりと二人の方へと振り返る。
ギリ、と今まで見た事も無いような鋭い目で睨まれ、晴海は息をのんだ。

紫音が。あの、紫音が、自分に対して明らかな嫌悪と怒りを向けている。初めて見るその表情に、晴海は言葉を発することができない。

「あんたらが、俺たちの前に現れてから何もかもがめちゃくちゃだ…!梨音だって…、梨音だって!梨音は、俺が守ってきたのに!梨音が助けを求めるのは、いつだって俺だけだったのに!」

あの、覚悟を決めて目を閉じた梨音のつぶやいた名前。それが克也の名であったこと。

「梨音を、返せ!何も知らない、傷一つないきれいなままの俺のりーちゃんを返せ!!二度と…、二度と、梨音と俺に近づくな!!二度と姿を見せるな!」
「…!」

絞り出すような紫音の叫びに、晴海の心は大きく引き裂かれたかのようだった。涙を流しながら、自分を憎しみのこもった目で睨みつける紫音に何も掛ける言葉が見つからない。それは克也も同じだったようで、何かを言いたくてもそれを言葉にすることができない。

完全なる、拒絶。

それは、自分たちが狙われていると教えたあの遊園地の日など比にならないほどの、激しい存在否定だった。

克也は、ベッドに眠る愛しい相手をじっと後悔と悲しみに満ちた目で見つめる。

「…すまなかった。」

そうしてしばらくたってから、深々と紫音に向けて頭を下げて病室を出て行った。

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