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「晴海さん、どうしたんすか。最近元気ないっすね。」
「うっせぇ。あっちいけ」
不思議そうに声をかけてきたチームのメンバーをうっとおしそうに手で払い、ジュースの入ったグラスをぐいと飲み干す。
ジュースってなんだよ、ジュースって。今は酔いたい気分なのに。
眉間にしわを寄せ、空になったグラスを乱暴にカウンターに叩きつけ、タバコに火をつける。
「おいおい、店の備品を壊すなよ。弁償させっぞ」
小馬鹿にしたような二見の言葉に忌々しそうに二見をにらみ上げる。
「二見さんが酒くれないからじゃないっすか。」
「ばぁか。てめえらはまだ未成年だろうが。酒なんざ飲ませたら俺がお縄になっちまうだろ」
二見は自分のバーで晴海たちにアルコールは絶対に飲ませない。本来ならタバコだって辞めさせたいのだが、自分の昔を思い出してそれだけは仕方なしに黙認している。
二見はおかわりのグラスを晴海の前に置き、じっと晴海を見つめた。
「…なんすか」
「そりゃこっちのセリフだ。なんかあるからてめえはこうしてここにいるんだろうが。わざわざ俺の目の前によ?」
相変わらず勘の鋭い人だ。
晴海はお出かけの日から、今まで感じたことのない感情に戸惑っていた。それは全て、紫音に対してのみ沸き立つ感情。
紫音にあげたあの小さなぬいぐるみ。克也とバカみたいに張り合ってぬいぐるみを物色していると、ふとあのぬいぐるみが目に付いた。それは、店員が入れ間違えでもしたのだろうかウサギだらけのゲーム機の中に一つだけ、ひっそりと置かれてあった。何気なく紫音を振り返る。とてもほほえましげに梨音を見つめている。そして、しばらく見ていると紫音は一つのゲーム機の中を覗き込んだ。すぐに梨音に意識を向けてはいたが、その一瞬。晴海はその表情が若干悲しそうに見えた。
…紫音ちゃん、ぬいぐるみほしいんだ。
だが、多分偽りの姿をしている紫音は自分の欲をひたすらに押し殺しているのだろう。その姿と、目の前の機械の中にあるぬいぐるみが重なって見えて。控えめにウサギの中に埋もれるこの猫が、紫音に見えて。
気が付けば晴海はその猫のぬいぐるみを必死になって取っていた。
それでも、素直に渡せなくて。『ついでに』なんて言ってしまった自分を思い出して自己嫌悪に陥る。どうして、ちゃんと『紫音のために』と言ってやれなかったのだろうか。なぜ自分はいつも紫音に対してあんな言い方しかできないのだろうか。
カウンターでちびちびとジュースを飲みながら、紫音を思い浮かべる。
二見さんに誉められ、頭を撫でられてほんのりと顔を赤くした紫音。
帰りに、耳元で二見に何かを囁かれ目を丸くして相手を見つめた紫音。
夜の中庭で、自分のあげたぬいぐるみを大事そうに抱えた紫音。
…俺のことを、好きだと言った紫音。
どうかしてる。あんな、今まで何人にも言われた言葉を、それが紫音の口から発せられたと言うだけでこんなにも平常心でいられなくなるなんて。
晴海はその日から、どうしても紫音とまともに接することができなくなってしまった。紫音を見るとひどく落ち着かない気持ちになってしまうから。ここ最近、夜の中庭にもあまり行っていない。紫音に理由を聞かれ、思わず『忙しくて』などとくだらない言い訳までしてしまった。
離れていれば落ち着くかと思いきや、ますます落ち着かなくなる。なのに、会えば会ったでひどく落ち着かない。
会っても会わなくても確実に紫音のことばかり考えている自分に吐き気がした。そんな自分の雰囲気が伝わっているのだろうか、紫音と自分の間はひどくぎくしゃくとしてしまっていた。
『先輩は優しいよ』
紫音の言葉を思い出して胸がぎゅっとなる。今の自分は、泣きたいような、笑いたいような、変な顔をしてしまっているだろう。カウンターに置いた両腕に顔を伏せた。
「あっちはお前と違ってえらくご機嫌だなあ?」
二見がカウンター内でグラスを拭きながら奥のボックス席に顔を向けた。伏せていた顔を起こし、つられて奥をみる。克也は誰が見てもわかるように終始笑顔だ。周りにいるチームのメンバーも、ご機嫌な克也にひどく嬉しそうに話しかけている。
なんだあの笑顔。気持ちわりぃ。
恐らく梨音とうまくいっているからだろう。晴海は忌々しげに克也を無言で睨んでいた。
「どうやら例のうさぎちゃんとうまくいってるみたいだな?ほんと分かりやすい奴だな」
くっくっと笑う二見の言葉に返事をせず、グラスに口を付ける。
「なあ晴海。おもしれえからまた連れてこいよ。あのうさぎちゃんと子猫ちゃん」
『子猫ちゃん』
二見の口から出た言葉に、晴海は思い切りむせてしまった。
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