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「木村紫音く〜ん、ちょ〜っといいかな〜?」
翌日、教室でいつものように本を読んでいると晴海が現れた。へらへらと笑いながら、こいこいと手招きをする。突如現れた晴海の姿に皆何事かとざわつき、梨音は怯えたような目を紫音に向けた。
紫音は梨音に大丈夫、と目配せをすると晴海と向かい合う。
「…梨音なら、お前らとはもう…」
「梨音ちゃんじゃないのよ、今日は紫音ちゃんに用事があるの。俺一人だよ。梨音ちゃんはお友達がいるこの教室にいればいいし、心配なら俺のチームの奴がこの教室にもいるからそいつにガードさせりゃいいよ。おい、田中。お前、紫音ちゃんがいない間梨音ちゃんに手え出すやつがいないか見張ってろ」
「は、はい!」
晴海の命令に従い、田中ががたがたと立ち上がって梨音から少し離れた場所でガードマンのように梨音の傍に立つ。紫音は驚いて目を見開いた。梨音は何事かときょろきょろと視線をさまよわせ、びくびくと怯えている。
「ね?だからお願い。なんもしないよ、ちょっとお話したいだけ。」
…ちょうどいい。この際だ、きっちり話をしてもう梨音に近づかない様に言ってやろう。
紫音は無言で立ち上がる。
「しーちゃ…」
泣きそうな声で自分を呼ぶ梨音を振り返り、大丈夫だと手で合図すると紫音は晴海の後について行った。
晴海の後をついて行きながら、紫音はふと考えた。…さっきこの人は、自分の事を『紫音ちゃん』と呼ばなかっただろうか。記憶によればこの人は梨音の事は『梨音ちゃん』と呼ぶが、自分の事は『弟君』としか呼ばなかったはずだ。ほんの些細なことだが、紫音はそれがいやにひっかかった。
屋上まで来ると、晴海は紫音が同じように屋上に入ったのを確認してから屋上の扉の鍵をかけた。紫音がそれに怪訝な顔をすると、晴海はにこりと微笑んだ。
「んな警戒しないでよ。今ここには俺と紫音ちゃんしかいないよ。これほんと。鍵をかけたのはね、誰かが万が一にも入ってこないようにするため。紫音ちゃんが困っちゃうからね?」
…なんで、俺が困るんだろう。
ますます怪訝な顔をする紫音に、晴海がにこにこと笑いながら近づいた。正面に向き合い、笑顔のまま何も話さない晴海に紫音が口を開く。
「…一体何の用だ。用件があるならさっさと話したらどうだ」
「紫音ちゃんたらぁ、そんな怖い声出さないの。普通にしゃべっていいんだよ?…昨日のにゃんこちゃんに話してたみたいにさ」
晴海の言葉に紫音の顔がさっと青くなる。まさか。
「紫音ちゃん、ほんとはあんなかわいいお話の仕方するんだね〜。俺びっくりしちゃったあ」
ニヤニヤと笑う晴海に、紫音は愕然とした。失敗した。あんな深夜、中庭奥に絶対に人なんかいないと思ってたのに…!
青い顔のまま立ちすくむ紫音に、晴海は追い打ちをかける。
「ほんとの紫音ちゃんがあんなんだって知ったら、みんなびっくりしちゃうかもね?まさか、梨音ちゃんを守ってるこわ〜い弟君が、実は猫ちゃん大好きな甘えたちゃんだったなんて知ったら…」
「う…っ!」
晴海は思わずぎょっとして言葉を止めてしまった。晴海にちくちくと真実を暴露された紫音が、限界を超えて泣き出したのだ。目の前で大粒の涙をこぼす紫音に驚いて固まる。そんな晴海に、紫音は泣きながら突然すがりついた。
「なななななに!?」
「お願い、言わないで!」
突然紫音にぎゅうと制服を掴まれ、晴海は思わずどもってしまった。そんな晴海にお構いなしに、紫音は離すまいとますます強く制服を握りしめる。
「お、お願い!俺がこんなんだって、誰にも言わないで!ばれちゃったら、梨音が襲われちゃう!梨音を守れなくなっちゃう!」
せっかく、この自分の容姿を武器にして今まで梨音を守ってきたのに。
お願い、お願いと泣きじゃくる紫音に晴海は困ってしまった。まさかこんなに泣き虫なんて。調子狂うなあ、とおろおろしながら制服を掴む紫音の手を掴む。
ここでこの泣き顔にほだされるわけにはいかないのだ。
「そんなに、ばらされたくない?」
晴海の言葉に、紫音は何度もこくこくと頷く。
「じゃあさ、紫音ちゃん、俺の言うこと聞いてくれる?」
にこりと微笑む晴海に、紫音は涙をこぼしながらがくがくと震えた。何をさせられるんだろうか。恐怖のあまり声が出ない。そういえば昨日、自分は梨音を助けるためとはいえこの人の相棒の克也という人物を思い切り殴ったのだ。その前にも、自分はこの人にひどく冷たい態度を取って怒らせた。そして、思い切り振り飛ばした。
自分の行いの数々を思いだす。そして同時に、梨音の事も思い出す。
…あの時、決めたはずだ。自分はどうなってもいい。自分がたとえ傷つくことになろうとも、梨音さえ無事ならば。紫音は震える体を叱咤して、しっかりと晴海に向き合った。
「…わかり、ました。何でも、します。でも、お願い。梨音にだけは、手を出さないで。梨音にだけは何もしないで。」
その目には先ほどのような怯えはもうない。晴海は少し怪訝な顔をした。
…そんなに、梨音ちゃんが大事なの?
確かに、この学園において梨音は一、二を争うほどにかわいらしいし実際狙っているやつも多いだろう。誰かが守ってやらなければ、あっという間に飢えた男どもの餌食になるだろう。それでも、晴海は紫音の梨音に対するこの異常な庇護欲はおかしいのではないかと思った。
同時に、梨音の事ばかりを心配する紫音に少し胸がもやっとした。
晴海は軽く頭を振る。
今は別にそれを追及するつもりはない。とりあえず、こちらの要件だ。
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