5
目の前の光景に、紫音は体が恐怖で震えた。
りーちゃんが。りーちゃんが!
助けなきゃ。なんとかしなきゃ。だが、心に反して体が少しも動いてくれない。
やがて男が、その手で梨音の股間をまさぐりだした。
「やああ―――!しーちゃん、しーちゃああん!」
梨音の叫びに、紫音の体が動いた。
「わああああ!」
大声を出しながら全力で駆け出し、腕を前でクロスさせて梨音を押さえつける男に思い切り体当たりをした。
「うわっ!」
紫音の全力の体当たりに、男は梨音の上からはねとばされる。
紫音は梨音の前に立ち、はあはあと息を荒げながら倒れ込んだ男を睨みつけた。
「このチビ、なにしやがる!」
男が怒りを露わに、紫音を見た。
ギラリ。
「うっ…」
だが、紫音に睨まれ男は思わず後ずさる。自分より遥かに小さいはずの紫音のあまりの形相に、男は怯えた。
男は、蛇に睨まれた蛙のごとくだらだらと汗を垂れ流し、身動きがとれない。
そこにたまたま大人が通りかかり、男は警察に捕まった。
無事だったものの、それから梨音は紫音から離れることができなくなった。
そして紫音は、その時に初めて自分の顔の凶悪さに気がついた。
あんなに大きな男の人でさえ、自分の睨みにビビって動かなくなった。
紫音は、押さえつけられ泣きじゃくりながら自分を呼んだ梨音を思い出す。
梨音を、守る。
俺の顔が怖いなら、それを武器にしてやる。梨音をいじめるやつは、誰でもビビって二度と手が出せないようにしてやる。
二度と梨音をあんな目には合わせない。
その日から、紫音は恐がりな自分を偽り、自らの睨みを磨くべく努力をした。
睨みだけではない。力もつけないと。
殴り合いや喧嘩は嫌いだけど、強くなくちゃ梨音を守れない。自宅で必死に筋トレに励んだ。紫音の父親はとても体躯がよく、背も高かった。紫音は父親似だったため、中学にあがる頃からぐんぐんと背が伸びた。
体も、筋肉のつきやすい父に似てあっという間に逞しくなり、ちょっとした相手なら軽く押しただけで飛んでいくようになった。
紫音は心から父親に感謝した。
こうして、紫音は梨音を守るため、その本当の自分を隠し今に至るのである。
とはいえ、元来の性格が変わってしまったわけではない。紫音は梨音の前でだけ、本当に自分をさらけ出し、元の自分に戻る。そして、梨音と共に今日一日で起きた怖いことなどを話し、二人で抱き合って泣くのだった。
「りーちゃん、お風呂できたよ〜。お洗濯も干したよぉ」
「はーい。こっちもできたよ〜。ねね、お皿出してえ。」
はーい、と返事をしてキッチンに入る。ジュージューとおいしそうな匂いで焼けているハンバーグを見て紫音はにこにこだ。
ハンバーグを皿に乗せ、テーブルに運ぶ。後ろから梨音がサラダの入った皿とご飯と味噌汁をお盆に乗せてやってきた。
「いただきます」
二人仲良く向かい合い、夕飯を食べる。
「俺のハンバーグ、ハート型だあ!」
「えへへ、しーちゃん大好きって気持ちを込めて作りました!」
えへん、と得意げな梨音に紫音はありがとお、とお礼を言う。
「今日の人、怖かったね。りーちゃん、会ったことあるの?」
ハンバーグを食べながら、紫音がふと訪ねる。梨音は箸を止め、うーんと首を傾げた。
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