「…あいつが勝手にしたことだ」


新開越しの窓から見えたのは、人生で一番っつってもおかしくないくらい最悪なシーンだった。瞬間意識がぶっとんで、気付いたらなまえを下駄箱に押し付けて問い詰めてた。キスしたあと顔を真っ赤にしたなまえを見て、あいつにもそんな顔さらしてたのかって、余計腹が立った。

なんであんなことされてんだよ。なんで巻島の味方するんだよ。なんで俺はダメなんだよ。

対抗心?そんなわけねえだろ、そんなんじゃなくて、ただ俺はお前が、

『お前なんか嫌いだ!』

心臓を握りつぶされた気がした。

『少し頭を冷やせ、馬鹿者』

東堂と新開と一緒に遠ざかってく。待てよって手を伸ばしたかったけど、捕まえてどうする?嫌ってる相手の言葉を聞いてくれんのか?無理だ、出来ることなんてなにもない。

どこでやり方を間違えた?どうしてればよかった?正解なんかあったのか?わっかんねえよそんなもん。わかってたら、こんなことになってねえ。



結局それから一切なまえとは話してない。部活にも行けねえからほとんど一人で過ごす日々。一日がすごくなげえしつまんねえ。なんだこれ。たしか前にもあったよな、こんな時期が。

『もう野球部なんかやめてやった。二度とやらねえ』
『……そう、か』

そうだ、中学の時怪我して、治したあとも何もかもが上手くいかなくなって、荒れてた時期だ。その時も全部がつまんなくて全部が敵で全部が怒りの対象でしかなかった。つまんねえ時期だった。

それでもなまえはいつだって隣にいてくれてたのに。もうそのなまえすらいない。

(…逆によかったかもな、これで)

これでもうあいつが傷付くことも、悲しむこともないだろ。あとは俺が諦めれば済む話だ。簡単なことじゃねえか。このまま諦めて、いつかまた自然と仲直りして、前みたいに幼馴染みとして過ごせばいい。それが正解だろ。

ベッドに仰向けになってぼんやりそんなことを考えていた。壁にそっと手をやる。これ一枚隔てた向こうになまえはいたのに。もうすぐあの日から一週間経つ。こんな大喧嘩したことねえから仲直りの仕方がわからねえ。自然と元に戻ってくれりゃあ一番なんだけど。

平日は授業があるからまだよかった。けど土日になると1日暇になる。一週間も部活行けねえなんて地獄でしかない。期限は次の月曜日。早く走りてえ。今のこのモヤモヤした感じが気に入らない。思いっきり走って忘れたい。

「…ハッ、それで忘れられたら世話ねえよな」
「おい荒北!」
「!?」

ぼそりと呟く。それに返事をするようにいきなり開いたドアに驚いて飛び起きた。

「…んだよ東堂。部活はァ?」
「今日は午後からだ。それよりなまえは?もう行ったのか?」
「はあ?なまえ?…そういや一時間くらい前に、部屋出てったと思うケドォ」
「……そうか…」
「つか、なんだよもうって。なんか知ってんのか」
「………」

突然現れた東堂はなまえを探しているようだった。でもそれなら場所違いにもほどがある。あいつがここに来るわけねえだろ。それにこいつ、何か知ってる臭え。

「…荒北、今すぐ千葉へ行け。なまえはそこにいる」
「は?」
「もう時間がない、急げ!」
「待てよ意味わかんねーヨ!なんで俺がわざわざ千葉まで!」
「なまえは巻ちゃんのところへ行ったんだ、先週の返事をしに」
「!」
「恐らくもう箱根は離れている。だが今から行けば」
「いいんじゃねーの別にィ」

東堂の言葉を遮ると、分かりやすく驚いていた。だってそうだろ。断るならメールとか電話でいいじゃねーか。それをわざわざ千葉まで行くってことは、そういうことだろ。俺に邪魔する権利なんかねえよ。

「俺はただの幼馴染みだ。あいつの好きにさせてやりゃいいだろ」
「お前…本気で言ってるのか…?」
「本気もなにも、当然だろォ?あいつだって嫌いな俺にとやかく言われたくねえだろうし」
「っ、まだそんなことを言っているのか!あれは本気の言葉ではない!いくらお前でも気付いているだろう!?」
「知らねーよあいつの考えなんかヨォ!分かってたら喧嘩なんかしてねーよ!」
「少しでも分かってやろうとは思わなかったのか!?」
「思うかよあんな奴のことなんか!もう知らねーよ!勝手に巻島とでも誰とでも付き合ってりゃいいんだ!」
「荒北、お前…!」
「いい加減にしろ荒北」
「っ!」

東堂とは違う声が飛んできた。なんだよ、いつの間にいたんだよ。オメーまで俺が間違ってるって言いてえのかよ。

「…福ちゃん、」
「フク、お前いつから…」
「荒北、本当にこのままでいいのか?もう一度胸に手を当てて考えてみろ」
「……ねえよ、なんにも。もうどうでもいい」
「本心か?」
「あー、そうだヨ」

そういや新開、言ってたなァ。俺や東堂に言われてるうちに決心しとけって。福ちゃんのことだったか。けど誰に言われようともう同じだ。むしろあいつのためを思っての選択なんだ。間違ってるわけねえだろ。

「…ならば、質問を変える」
「あ?」
「みょうじに伝えたいことがあるはずだ」
「………」
「お前は自分の気持ちに気付いてから、一度でも、真っ直ぐにそれを伝えたことがあるか?」
「……それは、」
「それ以前に、お前はあいつへ感謝の言葉を伝えたことがあるか?」
「感謝?」
「ずっと共にいてくれていることへの感謝だ」
「ハッ、そんなの…」

…言ったことねえに決まってる。今さらこっぱずかしいし、当たり前のことだったから。

「あいつは、お前が一年で荒れていた頃も、自転車競技部に入ってからも、ずっと共にいてくれていたはずだ。恐らく中学の荒んでいた時期も、ずっと」
「………」
「それがどれだけ大変なことかわかるか?一度でもわかろうとしたか?」
「…あいつが勝手にしたことだ」
「幼馴染みだからか?」
「………」
「ただの幼馴染みが、毎日突っぱねられてもめげずに、わざわざひねくれた男のそばにいようとするか?ただの親友が、初心者中の初心者であるお前をサポートするために自らもがむしゃらに学んで、マネージャーになる道を選ぼうとするか?」
「っ、」
「その事に、一度でもありがとうと、感謝をしたことはあるか?」

『自転車?やりたい、のか?』
『なら俺も行こう』
『嬉しいんだ、またやすが何かをしたいって言ってくれたのが』

感謝なんかしたことねえよ。だって当たり前すぎたんだから。お前と一緒にいることが。そんなこと言わなくても分かってくれるって勝手に思ってたから。なんにも言わねえお前に甘えてたんだな俺。

こんなんだから、言いてえことのひとつもちゃんと伝えられなかった。言い訳して甘えて逃げてた。

「…その感謝すら伝えられないお前が、それ以上の気持ちをぶつけることなど無理に等しかったか」
「…っせえよ」
「………」
「……ありがとな、福ちゃん、東堂」

わかったよ。もう逃げねえよ。もう正解とか間違いとか関係ねえ。やりたいようにやってやる。嫌われようともう知らねえ。

待ってろよなまえ、今度こそちゃんと伝えるから。






151217


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