「…ごめんな、やす」


その日は朝からやすの様子がおかしかった。

「…やす」
「んー」
「離してくれないとトイレにも行けない」
「んー」
「……やすってば」
「もうここで漏らせばァ?」
「馬鹿なこと言うな」

ため息を吐きつつ、少しだけ引き剥がす手の力を強めた。

今日は部活も学校も休み。こんな風に休みが被ったのはやすとの距離が近くなってから初めてのことだった。それまでは学校なり部活なりがあったから多少は離れなければいけないこともあったが、今日は別だ。文字通り四六時中俺をそばに置いておくらしい。朝一緒に食堂へ行ったきり、やすの部屋に閉じ込められてしまった。もうすぐ昼になる。そうすればまた昼食ということで部屋から出してもらえるのだろうか。

部屋にいるからといってなにか変わったことをしているわけではない。いつものようにダラダラと他愛もない話をして過ごしてる。変化を挙げるとすれば、やすが俺の腰に腕を回して引っ付いていることくらいだ。正直いまの季節的に暑いし、トイレくらい行かせてほしい。

「…やす、トイレ」
「……チッ。五分な」
「舌打ちされる意味がわからん…」

語気を強めると、ようやく解放してくれたやす。しかしなぜ時間制限まで設けられなければいけないのか。俺は捕虜かなにかか。やっぱり変だ。いくら寂しかったとはいえ、普通ここまでするだろうか。しかし問いかけてもきっと答えてはくれないんだろうな。








「おっ、なまえじゃねえか」
「ああ、しんか。おはよう」
「おはよーさん…なんだおめさん、朝っぱらから疲れた顔して」
「顔に出てたか…まあいろいろあってな…」

トイレからの帰り道に出会ったのはしんだった。もうすぐ昼だというのに、ここでやっと今日やす以外の人間と喋るだなんてビックリだ。本当はこのまま愚痴ってしまいたいところだが変な心配をかける訳にもいかない。なんとか笑顔でやり過ごし、部屋に戻ろうとした。

「あ、そういえば」
「ん?」
「おめさん、ケータイ見てねえのか?尽八が既読付かねえっつって怒ってたぞ」
「え、グループのやつ?やばい見てなかった」

というかケータイを見る間もなく連れ出されたからな。後でケータイだけ取りに自分の部屋に戻るか。

「ありがとうしん、すっかり忘れていた」
「へ?」
「いや、こっちの話。じゃあな」

今度こそしんと別れ、自室に戻った。






「あったあった」

ベッドの枕元に置いてあったケータイはチカチカと点滅していた。開くとすぐに飛び込んできたのは、さっきしんが言っていたぱちのメッセージだ。

「やすの部屋で見るか…あ、」

そのままケータイを閉じようとしたその時、タイミングよく画面が変わった。着信が入ったのだ。ほとんど自然な流れで、なにも考えずそのまま電話に出てしまった。

「もしもし」
『お、一発で出たショ』
「そりゃ着信があったら…って、前にもあったなこの流れ」
『クハッ、たしかに』

着信相手はまき。久しぶりに聞く声になぜだかひどく安心した。

だから俺はすっかり油断してしまったんだろう。

「どうしたんだ。そっちも今日は休みなのか?」
『そっちも、てことはなまえも休み?』
「ああ。久しぶりにな」
『ふーん』
「ふーんて」
『もうちょい早くわかってたら会いに行ったのに』
「え、いいよわざわざ。それにもうすぐ会えるだろ」
『……まあ、そうだけど』
「なんだよその返事…楽しみにしてるのは俺だけか?」
『はっ?いや、そうじゃねーショ!そうじゃなくて、』

少し意地悪を言ってみた。電話の向こうで慌てているであろうまきの姿が安易に想像できて面白い。

『てか、今日なんか予定あんのかよ』
「(あ、逃げたな)いや、別に……あ、」

別にたいした予定はなかった。だからこそ今日は朝からやすに、

「…何してんのなまえチャン」
「!」

そこまで思い出したのと、第三者の声が飛んできたのはほぼ同時。焦って電話を切ってしまった。振り返るとやすは笑っている。なのにこんなに心臓がバクバクとうるさいのは何故だろう。別に怪しいことなんかしてない。ただまきと電話をしていただけ。隠すほどのことでもなかったはずだ。しかし、本能的にダメだと思ったんだろう。何でもない風に装うのが難しい。

「…別に、なにも。ケータイを忘れてたから」
「なにもって、電話してたじゃナァイ」
「あー…でもたいした用件じゃないから」
「ふーん。たいした用件じゃないとか言われて、」

巻島もカワイソーに。

ニヤリと笑うやすはやっぱり聞いていたらしい。いつもそうだ。やすに隠し事なんか通用しない。いつ部屋に入ったんだろう。そんなことにも気付かないくらい電話に夢中になってたわけでもないのに。まあ単純に部屋が隣だから盗み聞きしてたんだろうけど。

「…その悪い癖直せよやす」
「なんのこと?」
「盗み聞き」
「盗み聞きじゃねえヨ。夢中になって話してるから丸聞こえだっただけ。てかさァ用事ってトイレだけだったんだろ?寄り道してねえでさっさと帰ってこいよバァカ」
「ああ言えばこう言う……!」

手にあったケータイが震えた。ああ、また着信。まきがかけ直してきたのだろうか。タイミングが悪すぎる。

「…出ればァ?」
「!」

気付かれないように電源ボタンを押そうとしたが、それより先にやすがそう言った。出ろって?この空気の中まきからの電話を出ろって?無茶を言う。まきには悪いけど、また一人になったときにかけ直そう。

バレてしまったんだし、と隠していたケータイを出して確認してみた。やはりまきからの着信。ごめんな、と心で謝罪をして電源ボタンを、

「うそ」
「っ!」

押そうとしたら、ケータイを奪い取られた。そのまま部屋のすみに投げられたそれを呆然と見つめていると、近くのベッドに押し倒された。ベッドが軋む音と、ケータイが落ちたガシャンという音が重なる。

俺の上に跨がるやすの顔はひどく歪んでいた。それが心配だったけど、それ以上に困惑と、恐怖が襲ってきた。なんだろうこの状況。密着を強要されることは今に始まったことではないが、こんな風に乱暴にされたのは初めてだ。

「…や、す?」
「出ろとか、うそ。出んな」
「は?」
「電話。俺といんのに、やめろよ。ていうか、あいつともう関わんな」
「そんな、」
「なまえは俺が好きなんだろ?俺が一番なんだろ?親友なんだろ?なぁ、」
「落ち着けやす、何を」
「だったらいらねーじゃん、他のやつとか。俺だけでいーじゃん。言えよ前みたいに。お前以上の親友はいねーって」

俺の言葉を無視して、どんどん言葉を並べていくやす。どれもこれも震えていて、か細くて、冷たくて、聞いているこっちが辛くなる。

なにがそんなに不安なんだ。たしかにお前は親友だ。大事な幼馴染みだ。だからってそれ以外と関わるななんて無茶苦茶すぎる。独占欲が過ぎるだろう。

「…それ、逆の立場で置き換えてみろよ」
「あ?」
「もし俺が同じようにやすを独占しようとして、俺以外の誰とも関わるなって言ったらどうする?迷惑だろう」
「なまえは迷惑だって思ってるってこと?」
「当たり前だ」
「俺は喜んで受け入れるヨ」
「はあ?何言って…」
「だって俺はなまえだけでいいから」
「っ…あのなあやす、」
「なまえしか欲しくない」

ああ、こんなに長年一緒にいたのに。ずっと一緒だったのに。やすの気持ちがわからない。

どんな言葉を返せばいいのかわからなくて、ただ息だけが漏れる。近付いてくるやすの顔はやっぱり悲しそうで、そんな顔をさせてるのは他でもない俺なんだろう。幼馴染み失格だ。

「…ごめんな、やす」
「っ、」

口をついて出た謝罪の言葉に、やすの動きが止まった。それでも鼻先がくっつきそうなほど近い。やすの吐息が唇にかかる。目は少し見開いていて、またすぐに細められた。

「いるか、なまえ!」
「!」
「今からフク達と一緒に食堂へ行くが、お前もどうだ?ついでに荒北も誘ってやろうと思うんだが」

ドアの向こうからぱちの声がした。瞬間我に帰る。なんだこの至近距離。

「っ、俺も行く!」

助かった、と慌ててやすの体を押し返した。思っていたよりも簡単に退いてくれたのでよかった。ドアを開けると、ぱちとふく、それからしんも一緒で、三人とも目を丸くしてこちらを見つめていた。

「なんだ、靖友も一緒だったのか」
「悪ィかよ」
「別にそうは言ってないだろ」
「誘いに行く手間が省けたしな。では行くか!」
「みょうじは今日もカレーか?」
「え?うーん、そうだな、たまには違うの食べてみるよ」

さっきまでの重たい空気が嘘だったみたいに、和やかな雰囲気。ちらりと盗み見たやすの顔も、いつも通りになっていた。本当に、さっきの出来事は夢か何かだったんじゃないか。そう思いたいけれど、押さえつけられていた手首が赤くなっていたから、現実だったんだ。

次またやすと二人きりになるのが怖い。そう思ってしまう俺は、やっぱり幼馴染み失格だ。






151211


prev:next