番外編 | ナノ


「何してるの?」


鶴の一声とでもいうのか。僕がそう声を発した瞬間、何かを囲んでいた大勢の人がこちらに目を向けた。普段なら放っておくのに、今日はなぜだか気になったのだ。なにか物珍しいものを見つけてはしゃいでいるようには見えない。なぜなら僕が声をかける前、人々の目には明らかな嫌悪の感情が浮かんでいたから。

見覚えのある、嫌な目だ。まるで化け物を見るようなその目。それが気になってつい声をかけてしまった。


「ココだ…」
「四天王がなぜここに?」
「きゃあああ!ココ様ぁ!」
「何かあったのかい?こんなに集まって……」


徐々にざわつく周りを無視して人波をかき分ける。輪の中心まで差し掛かったところで、足が止まった。

一瞬だけ、見とれた。見慣れない青い肌に目を奪われた。僕の姿を捉えた赤く澄んだ目は微かに揺れている。


「……まさか、彼は…」
「そ、そうだ!退治してよココ!こいつ、急に町に現れて…!」
「なあにあの肌の色…それに角まで生えてる…」


“きもちわるい”

誰かがそう発した途端、呼応するように非難の声を上げ始めた人々。その対象は自分ではないのに、過去の出来事がフラッシュバックして胸がざわつく。

やっぱり関わらなければよかった。そう思い踵を返そうとして、また赤い目とかち合う。


(……綺麗な目だ…)


何かを訴えているわけではない。ただ目が合っただけ。なのに反らせない。しかしそれは僕だけだったらしく、彼はやがて目を伏せ、その場から立ち去ろうとした。


「帰れ帰れ!この化け物!」
「二度と町に近付くな!」
「なんて汚らわしいの…えっ、ココ様!?」


いまだに続く罵声の嵐を掻き消すように、離れる彼の手を掴んで走った。


「っ、あ、あの…!」
「来い!キッス!」
「!」


戸惑う彼を無理矢理キッスの背に乗せ、後ろから支えるように包み込む。キッスに指示を出し、いざ空へ…というところで、彼はまた口を開いた。


「あの、」
「ああ、急に驚いたよね?でも今は黙ってついてきてほしい」
「……四天王が、どうして俺を庇うんです?普通、こんな得体の知れないやつ、始末してもおかしくないんじゃ…」
「得体の知れないやつでも、一般人に危害を加える様子がなければ始末する必要はないさ」
「…………」
「なにより得体の知れないやつではないからね。電気鬼のおにくん?」
「えっ」


間抜けな声に思わず笑ってしまった。どうやら僕の読みは正解だったらしい。

天狗の城の電気鬼。知名度こそ低いものの、その料理の腕には定評があると聞く。噂が流れ流れて僕の耳にまでやってきたのは最近のことではない。

しかし彼の本拠地はグルメ界のはず。なぜ人間界にいるのだろうか。そっと顔を覗きこむと、びくりと肩を震わせて僕を見たおにくん。その目に浮かんでいるのは、おそらく恐怖。


(さっきのせいか…人間に対して完全に警戒心を抱いている)


自分とは異なる存在を見ると、警戒してああなってしまう人がいるのはたしかだ。むしろあれが普通の反応だろう。分かっているとはいえ、仕方ないとはいえ、同じ人として恥ずかしくも思った。申し訳ないとも思った。


「……始末しないにしても…どうして助けてくれたんですか?」
「……どうしてだろうね」
「………?」
「助けてって言われてる気がしたんだ」
「…別に、思ってなかったですけど」
「ふふ、まあそれは冗談。僕も似たような経験があるんだ。重ねちゃった…って言えば、怒るかな」
「……いえ。ありがとうございました」


それまで僕に合わせてくれていた目が、ふっと前を向いた。

いろいろ聞きたいことはあるけど、この調子じゃ何も話してはくれないだろう。しかしさっきの光景を見る限り、まだまだ人間界に溶け込むには時間がかかるはず。とりあえずこのまま家で保護してあげよう。そのうち心を開いてくれると嬉しいんだけど。

そこまで考えて、あれ、と首をかしげた。


「……あの」
「っ、ああ、ごめん、どうしたの?」
「どこに向かってるんでしょうか」
「僕の家だよ」
「…………どうして」
「どこかに住んでるの?それならそこへ送るけど」
「…………」
「…ないなら、しばらくうちにいるといい。僕はこの子としか暮らしていないし、家は人がいる町から遠く離れた場所にある。静かに過ごせるいい場所だ」
「……迷惑に、なるんじゃ…」
「まさか。むしろ君のことを知りたい。グルメ界の話もね。とても興味深い話が聞けそうだ」


落ち着かせるように、安心させるように、優しく語りかける。もう一度顔を覗きこむと、今度は静かに僕の方を見た。


「……あなたがいいなら、その…おねがいします」
「ココだよ」
「!」
「名前くらい知ってるだろ?ココ」
「……よろしくお願いします、ココさん」
「こちらこそよろしく、おにくん」


その時のおにくんの目は、先ほどと比べると幾分か警戒心が薄れている気がした。

そうだ、僕はさっき、確実におにくんを自分と重ねてしまった。化け物だなんだと非難され、追い回されていた自分と。だから助けずにはいられなかった。それだけなのに、なぜここまでしてしまうんだろう。今日会ったばかりの相手を家にあげるだけでなく、住まわせるだなんて。

けど不思議と不安はなかった。それどころか、なぜか楽しみな自分がいる。自然と上がる口角を誤魔化すように、目の前にある黒い髪を撫でた。












「……今思えば、ただ手元に置いておきたかっただけなのかもしれない」
「は?なんの話ですか?」
「いや、ちょっとね」


先日グルメ界に戻った(というか連れ去られた)おにくんが遊びに来てくれた。始めは夢かなにかかと思ったけど紛れもない現実だ。嬉しすぎて泣いたらリアルに引かれたけど気にしない。


「出会った頃を思い出してたんだ」
「誰とです?」
「……それは秘密」 
「……まあ、なんでもいいですけど」


無表情、というかクールな性分なのはあの頃と変わってないなあと思った。僕が淹れた紅茶もすっかり飲み干し、さて、と椅子から立ち上がったおにくん。


「え、もう行っちゃうの?」
「もうっていうか、軽く三時間は滞在しましたけど」
「久しぶりに泊まっていけばいいのに」
「このあと約束があるんで」
「聞き捨てならないな、僕を差し置いてでも優先すべき約束があるっていうの?」
「逆にココさんを優先すべき程度の約束なんてありませんから」


そう淡々と述べたおにくんはそのまま僕に背を向けた。あの時支えた小さい小さい背中が、少しばかり大きくなっているように感じる。

その背に手を伸ばしたその時、おにくんは振り向いた。慌てて手を引っ込めた自分がひどく情けなくて笑える。


「また、遊びに来ます。ココさんも皆さんと来てくださいね。天狗の城で待ってます」
「もちろん行くよ。一人でね」
「……友達少ないですもんね」


ふわりと笑った彼に、自分も曖昧に笑い返した。行きたいけど、君の料理を食べたいけど、どうしてもあの男の存在が邪魔をする。きっと見たくもないものを見てしまうことになる。そう思うとどうしても行けない。


「それじゃあ、お邪魔しました」
「ああ。またね、おにくん」


僕が言葉を言い終えたのと同時に、バチュンと音を立てて消えてしまったおにくん。途端にあんなに昂っていた気持ちが消えてしまった。死んでしまった。自分でも怖くなるくらい、一瞬で。

初めて出会ったあの時からずっとずっとこの気持ちは変わらないのに。愛しくて恋しくてたまらないのに。なのに君は、そんな僕を縛り付けたままあいつのところへ行くんだね。







(この世のどんな毒よりもタチが悪いなと思った)










140405