彼が何を言っているのかわからなかった。そう伝えたのは話を理解するための時間を稼ぐためか、彼の不気味にも見える笑みを消すためか、手首を掴んだままの手をさりげなくほどくためか。どれも失敗に終わりそうだが。

「何をって、ねえ?」
「今先生が言ったこと、すべてに対して言ったんだけど」
「そのままの意味さ。私は真実を述べただけだよ」
「……それが分からないって言ってるんだ」

力を込めてそう言うと、一瞬だけきょとんとしてみせて、また笑った先生。いつもは安心するその笑顔が、今日はひどく癇に障るし、何故だか不安に駆られる。

さっきの言葉といい、今日の先生はどうも様子がおかしい。

「なら、もう一度最初から話した方がいいのかな?」
「…………」
「仕方ないな…今度は、よぉく、聞いておくんだよ?」
「……先生、そうじゃなくて」
「まず昨日。昨日は豊臣のところの子飼いと一緒だったね。ひどく楽しそうに城下町を歩いてじゃないか。次いで二日前には、武田の真田幸村に突っかかりに行っていた。君は敵意剥き出しだったが幸村の方は違うんだ、注意しないと駄目だろう?そして三日前。あの日はよく会いに行ってる女忍びと一緒だった。別れ際ひどく寂しそうだったけど、あれはどういう真意があってのことなんだい?とても興味があるな。それから」
「先生!」

もうやめてくれ。そういう意を込めて叫んだのに、先生の顔は変わらない。嘲笑うとか何かを企んでるとかそんなんじゃない。むしろ、そうだったならどれだけいいだろう。先生の顔は、ただただ僕を慈しんでいるような、そんな笑顔を浮かべていた。異常ともとれる数々の言葉とその笑顔があまりにも正反対すぎて余計困惑する。

いつからだ。いつから僕を監視していた。そんな気配、毛ほども感じていなかったのに。僕の気が緩みすぎていただけだろうか。なんにせよ、普通じゃない。

「……それだけ僕のことを監視して、いったい何が目的?それとも、知らないうちに先生に何かしちゃったかな、僕」
「目的か……君のことをもっともっと知っておきたいから。それじゃあ理由にならないかな」
「……何のために…」
「むしろ、私の方こそ君になにかしただろうか」
「は?」
「どうしてそんなに、怖い顔をしているんだい?」

困ったように笑う先生。怖い顔って、僕のこと、だよな。どうしてってそんなの、当たり前だろ。こんなことされて、普通にしてる方がおかしいじゃないか。

「……何を、言ってるんだ」
「ん?」
「先生、なに考えてるんだよ。おかしいだろ、なんで、なんでこんなことするんだ。もっと知っておきたいってなんだよ。なんのためにそうする必要があるんだよ。どうして、僕がこんな顔になってることをしているっていう、自覚がないんだよ」
「……なまえ……すまない、少々語弊があったかな」
「語弊?」
「知りたいとか、知っておきたいじゃ不満だったんだね」
「…せん、せ、」
「君のことなら何でも知ってる。そう、何もかもね。隅から隅まで、ありとあらゆること、すべて…」
「っ!」

近付いてきた顔に思わずくないを向けてしまった。しかしその手すら間一髪で掴まれる。無意識だったから加減なんてしていない。なのに止められた。先生はまだ笑っている。

こわい。本能的にそう感じたのはいつぶりだろうか。手がだらしなく震えているのがわかった。

「ふふ、危ないじゃないかなまえ。急になんだい?照れ隠し?」
「……離してくれ、先生」
「嫌だよ。離したら逃げてしまうだろう?」
「…………」
「さっきはああ言ったけど、本当はまだ足りないんだ。きっと私の知らない君がまだまだいるはず。それが許せない。だから、ねえ、ひとつ残らず教えて?」

彼が何を言っているのかわからなかった。






140211