「……何を見てるんだい?」
「!」

どこか穏やかな顔で一枚の紙を見つめるなまえ殿を発見した。声をかけるとようやく俺の存在に気付いてくれたらしい。ああ、徐庶殿。そう言ってなまえ殿は笑った。

「それ。すごく、嬉しそうにしてたけど」
「これですか…ふふ、秘密です」
「?」

持っていたそれを丁寧に折り畳み、懐へしまったなまえ殿。隠し事をされた。その事に少し傷付いたけれど、平静を装う。彼の前では物分かりのいい男を演じていたいから。

突如俺の目の前に眩い光と共に現れた彼を保護してから数ヵ月が経った。始めは誰もが敵国の刺客だと言って聞いてはくれなかったが、俺の言葉や彼の活躍、そして彼自身の人柄に触れ、その目は少しずつ変わっていった。だが、俺のしたことなんて本当に些細なことだ。彼は彼自身の力でみんなの信頼を得た。

そして誰より一番に、誰より近くで関わってきた俺の心は、もうすっかり彼の物になっている。始めは戸惑ったしあり得ないと思ったけれど、日を重ねるごとに大きく大きくなっていくそれを見て見ぬふりなんて出来なくなっていた。俺は、なまえ殿を、愛してる。

他の誰より俺と一番多く接していたんだ、なまえ殿も俺と同じ気持ちでいてくれているはず。しかし素直にそれを伝え合うにはまだ時間がかかるみたいだ。俺もそうだが、どうやら彼も恥ずかしがりやらしい。それでいいんだ。いつか必ず、俺の口から、

「……これは…」

ある日、何の気なしに彼の部屋を訪れたが、部屋の主はあいにく外出中だったようだ。悪いかなとは思ったけれど、勝手に中に入ってしまった。別になにをしようと思ったわけではない。ただ、用事もないし、帰ってくるのを待っていようと思っただけ。本当にそれだけだ。

そうして寝台の上に見付けた、小さく折り畳まれた紙。もしや、あの時彼が見つめていた紙だろうか。勝手に見てしまっても大丈夫だろうか。

(…少し見たら、直しておけばいいか)

そんな軽い気持ちで、折り畳まれたそれを開いた。現れたのは、似顔絵。

「…なまえ殿か…そっくりだな…」

本人と瓜二つな絵に感嘆していたけれど、この似顔絵は、誰が描いたんだろう。すぐに思い浮かんだ人物は、たしか、なまえ殿とは距離を置いていたはずだ。表向きは、だけれど。そうとは言え、天の邪鬼な彼がわざわざなまえ殿のために、こんなにも完成度の高い絵を贈ったりなんかするだろうか。

「あれ、徐庶殿?」
「!」
「やだなあ、不法侵入やめてくださいよ…あ、」

ひょっこり帰ってきたなまえ殿は、俺の手にある紙を見つけた途端、急いで駆け寄ってきた。慌てて奪い取ろうとしたが、簡単には渡さない。

「ちょっ、返してくださいよ徐庶殿」
「……ええと…これは、誰に描いてもらったの?」
「誰にって…馬岱殿ですけど」

聞きたくない名前が飛び出して、すぐに聞いてしまったのを後悔した。

「どうして、似顔絵なんか」
「僕だって聞きたいですよ。でも馬岱殿が急に、あげるって…」
「…以前もそうだったけど、どうしてそんなに大事にしてるの?寝台にまで置いて…眠る前に見つめてたとか?」
「違いますよ。ただ、その、なんか恥ずかしくて…あんまり見られたくなかったんです」

だから返してください。そう言う彼の顔は、ほんの少し赤く染まっていて、

「…本当にそっくりだね。目の前で描いてもらったのかい?」
「いえ。鉢合わせた時、押し付けられたんで…描いてくれてたなんて知りもしませんでしたよ」
「見ずに描いてこれか…よっぽど、君のこと、気に入ってるんだね」
「まさか。徐庶殿も知ってるでしょ?あの人見えない壁作ってるんですよ。なかなか心開いてくれないっていうか…そう思ってたんで、余計驚いたんですよね」

ああ、気付いてたよ。その壁の内で、君に向ける視線が熱を帯びていたことも全部。でもそれだけだと思っていたのに。どうやら考えが甘かったようだ。彼はもう壁を取っ払おうとしている。君を手に入れようとしている。

そんなこと、絶対に許さない。

「…あっ!ちょっと…!」

びりびりと大きな音を響かせて、似顔絵だった紙はあっという間にただの紙くずになってしまった。俺の手から落ちていく破れたそれを見て、目を見開いたなまえ殿。そんな顔しても駄目だよ。これは当然の報いなんだから。

「なにするんですか徐庶殿…せっかく、馬岱殿が、」
「そんなに嬉しかったのかい?そんな薄っぺらい紙一枚貰っただけで?」
「…徐庶殿?」
「勘違いしちゃ駄目だよなまえ殿。そうやって油断させて、隙を作らせて、何をするのか分かったもんじゃない。馬岱殿はそういう男なんだ」
「なんか、おかしいですよ徐庶殿。さっきから何を言ってるんですか?」
「おかしい?俺が?大丈夫だよ、俺はずっと、変わらない。正常だ。ただ今まで隠していただけ。君を困らせたくなかったから。けれどもうやめるよ。このままじゃ君は、簡単に他の人間のものになってしまう」

一歩ずつなまえ殿に近づく。手を伸ばしたけれどかわされてしまった。何故だろう。最初から今までずっとずっと、大切にしてきたのに。疑惑の眼差しから守ってきたのに。ただ一人の味方でいたのに。愛し続けていたのに。

どうして?どうして俺から離れるんだ?

「…これ以上、まともな話は出来ないみたいですね」

どこからか取り出したのは小さな刃物だった。切っ先は俺に向けず、だがいつでも切りかかれるぞと言いたげに臨戦態勢に入っている。俺と戦う?なまえ殿が?なんの冗談だ。面白くもなんともない。

「どうして、そんな目で俺を見るんだい?俺はただ、なまえ殿のことを思って…!」
「それが分からないんです。以前のあなたなら、同じ国の仲間に対して、そんな中傷的な言葉を吐く人ではなかった。一体、どうしたって言うんですか?」
「……俺よりも、馬岱殿の味方をするって言うのか?」
「必然的にそうなりますね」
「あんな男のどこがいい!」
「っ、だから、どうしてそうなるんだよ…!」

苛立ったように俺を睨み付ける、その目すら愛しいのに。

「…ねえ、こっちに来てよ、なまえ殿」
「…………」
「君に触れたい。君を感じたい。君が欲しい」
「勝手なことばかり言わないでください。他に言うことないんですか?」
「他に…?ああ、俺としたことが、肝心なことを伝えるのを忘れていたよ…愛してる。他の誰にも、馬岱殿にだって渡さない。俺だけのものになってほしい」
「…もう何を話しても無駄みたいですね」

なまえ殿はそう言うと、諦めたように、刃物の切っ先を俺に向けた。

殺すの?愛する俺を殺すのかい?そんなこと、君にできるの?

「……いいよ、君に殺されるなら本望だ。一思いに貫いてくれ」
「!」
「君を愛している、この瞬間に死んでしまえる。これほど幸せなことがあるだろうか」
「…徐庶殿…いい加減に、」
「君が出来ないなら、俺がする」
「っ、待っ…やめろ!」

刃物を握る手を掴み、俺の胸に向けて引っ張った。瞬間刃物を離したなまえ殿。胸を貫く痛みはなく、代わりになまえ殿の拳がとん、と当たる。ほら、やっぱり君に俺は殺せない。

「…ふふ…嬉しいよなまえ殿。やっぱり俺たちは、想いが通じあっていたんだ…」
「ふざけるな…離してくれ徐庶殿」
「せっかく捕まえたのに離してしまうなんて馬鹿げてる…君だってこうなることを望んでいたくせに」

なまえ殿がこんなに近くにいる。あと少し顔を近づければ、唇にだって触れられる。もういいんだ、なにも我慢しなくて。

「愛してるよ。ずっと我慢してた分、たくさんたくさん、愛してあげる」

もう誰にも会わせない。話させない。触れさせない。誰にも。固く結ばれている唇を舐めると、そこは目が眩むほど甘い味がした。








140413