うっすら目を開けると、そこはやはり知らない場所だった。暗くてひんやりした空気。文字通りの牢屋だ。そして不自然な体勢。両手を上に縛られ、無理矢理立たされている状態。ご丁寧に足にまで枷がつけられている。やっぱり捕まってしまったか、とのんきに状況把握している自分が怖い。若い頃はあっちの世界でもよく捕まったなあ懐かしいなあとまだぼんやりしている頭で思い出を掘り返していると、奥に見える扉が開いた。

「……あ、」
「ああ、目が覚めたのですね。よかった」
「あなたは……たしか…」

現れたのは魏軍の人だ。よく先陣を切って向かってくるから顔を覚えてしまった。毎回礼儀正しく、名前を…

「……楽、文謙…」
「!」
「…楽進殿、でしたよね?」
「はい!まさか、なまえ殿に覚えてもらっていたとは…恐縮です!」
「はは、立場上よく会いますからね……それで、やっぱりこれ、捕虜的なあれですかね」

じゃらじゃらと音を立てて手枷の存在を示すと、途端に顔を曇らせてしまった楽進殿。対して僕の方はへらへらしてるなんて、まるで立場が逆だ。

目覚める前の記憶は、魏との戦中で止まっている。気絶した原因は恐らく鈍く痛む後頭部だろう。なにか硬いもので思いきりやられたに違いない。戦中に後ろから襲われて、けれど殺されずに目覚めることができた。そのまま捕まったと考えるのが妥当だろう。

「恐縮ながら、私がご説明を……気絶し倒れていたあなたを捕らえたのは確かです。曹操殿が仰るには、蜀軍の情報収集の為に、と」
「……という名の興味本意ですか」
「……恐らく」

そりゃあそうだ。自分で言うのもなんだけれど、僕はこの世界の人々からすれば異質そのもの。やっと蜀での生活に慣れてきと思えばこれか。いつになれば帰れるのやら。

しかし蜀の情報なんてもちろん与えられるわけないし、かといって僕の身の上話をしたところでなにも面白くないだろう。出来ることと言えば、この世界では珍しい忍術の類いくらい。それも飽きればきっと切って捨てられる。どうしたものか。

「…ここに来たということは、楽進殿が尋問役ってことですか」
「!」
「自慢じゃないですけど、僕口堅いですよ。立場的によく捕まることあったんですけど、どんな拷問受けても口割らないような特訓受けてるんで」

悪い人には見えないけど、一応敵だからな。警戒しながらそう言うと、楽進殿は静かに牢の中へ入ってきた。しかしその顔はどう見ても今から僕のことを拷問してやろうなんて微塵にも感じさせない表情だ。気のせいだろうか、そのどこか熱を感じさせる視線は。

「……楽進殿?」
「私が尋問など、出来るはずがありません。あなたが相手ならなおさらです」
「はあ…たしかに、そういうの苦手そうですもんね」

つってもこの人のことそんなに知ってるわけではないけど。むしろ会うのは決まって戦中に対峙した時だけだし、こんなに話すことすら初めてかもしれない。

尋問ではないとすると、いったい何が目的なのだろうか。すっかり距離を詰められてしまったが、手足を封じられた僕に出来ることは、ただ僕の目を射抜く楽進殿の目を見つめ返すことだけ。

「……すみません。ですが、もう、我慢できません」
「は?」
「失礼します」
「え、なに、ちょっと…!」

じゃらり。また手枷が音を立てた。僕が動いたのと、楽進殿が急に抱き締めてきたせいだ。

「がっ、楽進殿?」
「……なまえ殿、」
「………?」
「初めて対峙した、あの時から、ずっと…お慕い申しておりました…」
「へ、」
「しかしあなたは敵対国の、それ以前に異界のお方。一時の気の迷いだと言い聞かせてきました。しかし、あなたと会う度、刃を交える度、この胸が喜びと愛しさと苦しさでうち震えるのです」
「…………」
「こんな日をずっと夢見ていました。所詮は淡い夢だと、そう思っていました。ですが…っ…」

何かを必死で堪えるように、時折苦しそうに漏らす息が耳を刺激する。まさかの告白に少し驚いたが好機かもしれない。楽進殿には悪いが、その好意、利用させてもらおうか。

「……そうだったんですか」
「…………」
「驚いたな……まさか同じ気持ちだったなんて」
「!」
「本当は、僕も…ずっとあなたを想ってました」

すぐそばにある顔に頬を寄せてそう告げた。我ながら最低だと思う。偽りの愛の言葉をすらすらとこぼして、その純粋な心に取り入る。生き延びるためとはいえ、罪悪感でいっぱいだ。何より慣れてしまっている自分が恐ろしい。

「それは……本当ですか…?」
「楽進殿が本心を打ち明けてくれたから話せたんです。こんなに嬉しいことはない」
「……なまえ殿…!」

忍ばせている暗器は数十個。目立つ場所にあるものは取られているだろうが、二、三個あれば十分だ。まずは手枷を外してもらって、

「よかった…無茶をした甲斐がありました」

そこまで考えて開いた口から言葉が出ることはなかった。

「珍しく出来ていた隙を狙って正解でした。頭、まだ痛みますか?」
「……楽進殿…何を…?」
「こうでもしないと、あなたほどのお方を気絶させるのは無理ですので。手荒な真似をしてしまい、申し訳ありません」
「あの、」
「ですがいま思えば、なまえ殿もこうなることを望んでおられたのですね?だから、あんなに分かりやすく隙を作って、私を誘き寄せた。そうでしょう?」

背中を這う指が、擦れる頬が、密着する体が、耳をねっとりと侵略してくる声が、すべてが一瞬にして恐怖に変わった。

この人、さっきから何言ってるんだ?

「……楽進殿が、僕を?」
「ええ、そうです。他の誰かに触れられるなんて考えられない。襲ったのも、捕縛したのも、ここに繋いだのも、すべて私です」
「……どうしてそこまで…」
「どうして?先ほど申したではありませんか、ずっとお慕いしていたと」
「だからって、ここまで、」
「ここまでしないと、あなたに触れることさえ叶わない。ですがもう安心してください。ここにいる味方は私だけ。私だけが、あなたを幸せにできます」
「っ!」

まるで耳を丸ごと口に含まれたみたいだ。思わず顔を離すと、数分ぶりに楽進殿と目が合った。気のせいじゃない。やっぱりその目には怖いほどの熱と、狂気が宿っていた。

「……やはり、この枷が不安にさせているようですね。しかしすぐに慣れるはず。もう気にならなくなるほど、愛させてもらいます」
「ま…待って楽進殿、僕…」
「恐縮ですが、もう待てません…ずっと封じ込めてきたすべてを、私の想いを、受け止めてください」

ねえ、幸せでしょう?そう言って舌なめずりをする彼に、何を言えばよかったというのか。










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