天狗様 | ナノ
 18


「いっ、た…!」


見える世界は一瞬で変わっていって、やっと止まったと思えばそこは薄暗い部屋だった。見覚えはある。数えるくらいしか入ったことのないブランチさんの寝室だ。どうしてこんな所に、なんて考える間もなくベッドに思いきり投げ飛ばされた体。軽く弾んだとはいえ本当に文字通り投げ飛ばされたのだ、少し痛かった。


「……あの、ブランチさ」
「もうこっから出られへんと思え」


状況を把握するために発した言葉は、馬乗りになったブランチさんと彼の言葉ですっかりかき消されてしまった。


「お前みたいな小鬼が一人で人間界行くとか……さぞ寂しくやっとんやろなあ思たら、えらい楽しそうやったやんけ」
「……どういう意味ですか。ていうか、なんで、急に…」
「あの四天王を手玉にしとったとはなあ。いつからそんな雌犬みたいなテクニック身に付けたん?」
「は…!?何言ってるんですか!俺は、そんな、」
「じゃあさっきのなんやねん。あれ見られても勘違いすんな言えんのか?」
「…っ…あれは……」
「ほれみい、言い訳でけへんやんけ」


押さえ付けられている手首が痛い。すぐ近くにあるブランチさんの顔は笑ってるけど、笑ってない。初めて見るその表情がとても怖く感じるはずなのに、どこかでドキドキしている自分がいて悔しくなった。

ブランチさんがどこまで知ってるのか、なぜそんなことを追求してくるのか、何を考えているのか、そんなことはどうでもいい。俺だって話したいことがあるんだ。頭ではわかってるのに上手く言葉が発せないのは、ブランチさんが出している目に見えないオーラのせいだろうか。

そもそも俺には、なぜこんなに怒っているのか見当もつかなかった。


「……で?どこまでいったん」
「!」
「デートとかしたん?キスは?まさかそれ以上やってたりする?」
「やめてください!!なんでそんなこと言うんですか!?」
「はあ?なに急にキレとんねん。ちょっと聞いただけやんけ」
「あの人はそんなんじゃない……それに、怒ってるのは、ブランチさんじゃないですか!」
「…………」
「たしかに好意を持たれていたのは事実です。でも俺は違うから…だから、さっきも丁重にお断りしてただけです」


慎重に慎重に言葉を選ぶ。それでもまだブランチさんの心意はわからない。怒っているのには違いないが、その理由がてんでわからない。けどさっきから引っ掛かることはある。ココさんの話を引き合いに出してくるのは何故だろうか。口を開けば俺を非難することばかり。それらすべてがまるで嫌みに聞こえる。ていうか嫌みか。嫌みでしかないか。


「……ブランチさん…何をそんなに怒ってるんですか?」


勘違いしそうになる。そんなわけないのに。でも、これじゃあまるで、


「……それ本気で言うてる?自分」
「わからないから聞いてるんです。急に連れてこられた理由もいますごく怒ってる理由も、ブランチさんが何を考えているのか、まったくわかりません。この間助けてもらったお礼も言えてないし、その理由も…それに、もともと俺、今日妖食界に帰るつもりだったんです」
「なんで」
「…ブランチさんに、話したいことがあるからです」
「…………」
「でもとてもそれを話せる状況じゃない。だから全部教えてください」


まるで殺されるんじゃないかってくらい鋭く俺を見据えていたその目が、少しずつ逸らされていく。次いで聞こえたため息に、疑惑が確信になってしまった気がした。


「……ワシも嫉妬ぐらいするっちゅうねん」
「!」
「ワレが出てってしばらくしてから、諦めたつもりやってんけどなあ」


のそりと俺の上から退いたブランチさんは、そのまま話を続けた。


「……もうええわと思って、しばらく平気なふりしててんけどな。あれから仕事集中出来んくなって、最近みんなに無理矢理休まされたとこやねん。せやけど一人でおったら余計いろいろ考えてまうから、気晴らしにハントしに行ったらお前おるし…」
「…………」
「こっちで治療して、千里眼使えるおっさんに家調べてもらって、そこ連れて帰って、それでもう完全に諦めようと思ってん。けど無理やった」


らしくない弱々しい声に、俺の方が泣きたくなった。そんなの全然知らなかった。ブランチさんが、そんなこと思ってたなんて、ちっとも気付かなかった。


「拒絶されんの覚悟で拉致ったろ思たらなんやあいつと喋っとって、まあちょっとぐらいやったらええかなあ思て様子見てたらなんか変な雰囲気なってたし。ふざけんなって。もしあん時嘘でもあの台詞言うてたら、あいつのこと殺してたかもしれん」
「…………いつから…」
「あ?」
「……いつから、俺のこと」
「……お前……ホンマになんも気付いてへんかってんな」
「だって…全然、そういう風に接された覚えないし、俺のことなかなか認めてくれなかったし、」
「…そう言われてみれば当たり前か」


その顔されんのが怖かったんやろなあ。そう言って俺の涙を拭うブランチさん。その優しく触れる手に、余計涙が溢れた。


「気持ち悪いもんなぁ、男同士でそんなん。てか、それに気付いて出ていったんかと思っててんけど」
「っ、そうじゃ、」
「あとな、認めてなかったわけちゃうねん。ちゅーかワレの腕はこの世の誰よりワシが一番認めてるつもりやし。けど、もし認めたらお前、自立するんちゃうかなあと思って」
「…………」
「……こんなしょうもない独占欲で傷付けとったんやな。すまん、おに」
「……ブランチさん…」
「ほんの数ヵ月ぐらいやのに、何十年って離れてた気ィする。辛かった。ちょっと離れただけやのにこんな寂しいねんな……おかげで思い知らされた。やっぱお前のことめっちゃ好きやわ」


そんな切ない笑顔、初めて見た。心臓が握り潰されそうだ。このまま死んでも構わないって思えるくらい、幸せすぎて、どうにかなりそう。

目元から離れていく手を追いかけるように起き上がって、そのままブランチさんに抱きついた。あったかい。ブランチさんの匂い。また涙が零れた。


「っ、おに……?」
「俺、俺も、おんなじです」
「はあ!?」
「俺が出ていったのは、ブランチさんの、気を引きたかったから…ずっと、俺ばっかり、好きだと思ってました」
「う、え、うそ、」
「嘘じゃないです……だから、俺、いますっごい、幸せです…っ」
「……ホンマに…?」
「……ずっと好きでした…大好きでした。それを伝えに、帰るつもりだったんです」
「……は……なんやねんそれェ…」
「わ、ちょっ、」


俺を抱き寄せたままベッドになだれ込んだブランチさん。抱き枕みたいに足まで絡めてくる。すごく密着してて、今さらながらめちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。


「……ぶ…ブラ」
「なあ、ホンマに?ホンマにワシでええんか?」
「え、」
「嫉妬深いし、独占欲強いし、喧嘩っ早いし、うるさいし、天狗やし」
「……俺も鬼ですけど」
「んー、それもそうやけど」
「…俺はブランチさんがいい。それ全部含めてブランチさんなら、俺は、それを全部愛するだけなんで」
「……ふーん。言うようなったやんけ。あっち行って成長したん?」
「それも嫉妬ですか?」
「当たり前やろ、胸糞悪い」
「…………」
「もうどこも行くな。ワシから離れんな」


胸板に押し付けられてるせいで顔は見えない。でもその声だけで真剣さは伝わってきた。

返事の代わりに背中に腕を回すと、納得したのか笑い声が響く。ああ、やっと本当に笑ってくれた。


「とりあえず、今日はもう寝よ。めっちゃ眠たい」
「……実は俺もです」
「はん、まだまだ子どもやのう」
「子どもで結構。おやすみなさい」
「拗ねんなやあほォ」


ていうかあんたも眠たいんだろうがとか思いつつ、いつの間にか以前のようにブランチさんのペースに巻き込まれてる自分がいた。


「…ブランチさん」
「なんやねん。はよ寝ろや」
「今度は逃がさないでくださいね、俺のこと」
「……刺し違えてでも引き留めるわ」
「…それ聞いて安心しました。おやすみなさい」
「はいはいおやすみおやすみ」


ぶっきらぼうにそう言ったけど、俺を抱き締める力が強くなった。

俺、この人と両想いなんだ。ついさっきまでこれっぽっちも現実味のなかったその真実を噛み締めて、静かに目を閉じた。









鬼の帰る場所





(もうどこにも消えないから)
(だからもう二度と離さないでください)














140302

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