天狗様 | ナノ
 11


時刻はもうすぐ夜の10時。ずいぶん時間がかかったが、いい食材が手に入った。せっかくだしおにくんに美味しく調理してもらおう。ついでにそのまま夕食を食べて、あわよくばそのままお泊まりとか……やばい想像しただけでにやけてきた。

煩悩だらけの頭のまま、見慣れた扉をノックする。


「おにくん、僕だけど……おにくん…?」


返事がない。けれど窓から漏れている光はちゃんと家主の存在を証明している。おかしいな、いくら僕と言えど返事は必ずしてくれるのに。

疑問に思ったので、窓を覗きおにくんの姿を探した。すると意外とはやくに見つかったが、様子がおかしい。テーブルに突っ伏したまま微動だにしないのだ。電磁波を確認してみると、体全体が赤く染まっている。


(赤……熱が出ている……まさか、風邪かなにかで倒れてるのか?)


慌ててドアノブを捻ると、無用心にも鍵は開きっぱなしだった。まあ不幸中の幸いとしておこう。急いで部屋へ向かうと、窓の外から見えた光景と同じ。近くで見ると微かに息をしているが、僕が入ってきたにも関わらず少しも動く気配がない。明らかに様子がおかしい。


「大丈夫かいおにくん!僕だよ!」
「……ん…く…っ」
「……おにくん…?」
「…んあ……コーコーさぁーん…?」


肩を揺らすとむくりと体を起こしたおにくん。その顔はやはり真っ赤だったが、どうも風邪独特の発熱によるものではない。そんなに辛そうに見えないし、むしろ珍しくにやにやしている。あれ、と思いテーブルをよく見ると、空になった一つのコップ。そしてそこから微かに香る、酒のにおい。


「……もしかして……酔ってるの?おにくん」
「んんー…どおして、ココさんが、ここにぃ?」
「完全に酔ってるな……はあ、よかった。しんどくて寝込んでるのかと思ったよ」
「だぁーいじょおぶですよう…はははは…」


へらへらと笑いながら僕を見つめるその目はゆらゆらと揺れている。焦点がたるで定まっていない。頬を真っ赤にさせてとろんと笑うおにくんはありえないくらい可愛いけど、正気じゃないところを狙うなんて品のないことはしない。頭を数回撫でてから、キッチンの様子を伺った。


(……ずいぶん古びたノートだな。レシピが記してある)


出しっぱなしの調理道具と、使用されたであろう食材の皮や切れ端。おそらくあの酒を作っていたんだろう。そしてその酒のレシピを記しているであろうページが開いたままのノート。捲っていくと、どのページもびっしりとたくさんの字が並んでいた。

レシピの数も相当なものだが、どうやらおにくんが記したものでは無さそうだ。その証拠に、ノートの表紙の隅に持ち主の名前が小さく書かれていた。それも、よく知った名前が。


「……なぜおにくんがこれを…」
「ココさぁーん?」
「!」
「…あー、それですかあ?」
「すまない、勝手に物色してしまって」


ノートを手に取り見つめていると、不意に後ろから声をかけられた。ふらふらとおぼつかない足取りで、おにくんはこちらへ近付いてくる。まだ酔いは覚めていないようだ。


「いいですよぉべっつにー……それぇ、ブランチさんのレシピノートなんですぅ」
「みたいだね。なぜ君がこれを?」
「えぇーっとぉ…天狗の城からぁ、出てきた時にぃ、ちょおーっと拝借しましてぇ」
「…ちょっとお水飲もうかおにくん」


ずいぶん間延びしたしゃべり方をしていたものだから、入れてあげた水を飲ませた。それをちょびちょび飲んだおにくん(もちろん可愛い)は、少しだけ落ち着いたのかありがとうございますと呟いた。


「……拝借っつっても、黙ってなんですけどね。バレないように」
「…………」
「俺、成長したくてあそこから出てきたんですよ。あの人…ブランチさんと同じ土俵に立ちたくて」
「……でも、それなら妖食界にいた方がよかったんじゃないか?人間界に比べると、猛獣や食材の捕獲レベルも桁違いだろう」
「そうでしょ?そう思うでしょ?でもねー、俺ねー、根本的なこと考えてみたんですよー。あの人の近くにいるだけじゃ、そのままだって思ったんです。あの人の下で腕上げてるだけじゃ、あの人に追い付くことはできても追い越すことはできないんじゃないかって。だからわざわざ人間界まで修行しに来てるんですよ」


まだほんの少し酔いが残っているのか、いつもより饒舌だ。しかしその話じゃ辻褄が合わない。

 
「…待って、それじゃあなぜ料理人であることをやめたんだ?美食屋と料理人じゃ勝負のしようがないじゃないか」
「しょうぶ?やだなあ違いますよココさん、俺別にブランチさんに勝ちたいわけじゃないんですよー」
「………?」
「あの人と同等、もしくはそれ以上の実力を持った美食屋にならなきゃダメなんですよ」


さっきまで揺れていたはずの赤い瞳が、ギラリと鈍く輝いた気がした。









鬼のひみつ










140206

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