「万福丸。そなたは今日この時より、名を長喜と改めよ。某の後を継ぐ立派な浅井家当主となるよう、なお一層励め」 「はっ。この長喜、これからも父上と母上のご期待に添えるよう精進していく所存でございます!」 「うむ!頑張るのだぞ、長喜」 滞りなく執り行われた元服の儀。舌足らずで恥ずかしがり屋だった若様はもうどこにもいない。一回りも二回りも歳が離れている大人たちに囲まれていても泣きべそをかくこともない。凛とした表情で、少しだけ低くなった声を張り上げ、長政様とお市様の前で堂々とそう宣言した。 本当に、ご立派になられたものである。とたとたと俺や高虎の後ろについて回っていたあの頃がつい先日のように感じる。時の流れの早さには毎度驚かされるな。俺の隣に座る高虎はそこに座ったその瞬間からずっとひぐひぐ泣いているのでそれにも驚かされる。生みの親かお前は。たしかに涙ぐましい光景ではあるがそれにしても限度というものがあるだろうに。しかし、それも若様を心からお慕いしているからこそ。だから他の家臣達や長政様たちも微笑ましくこちらを見ているのだろう。 (だが、時折度が過ぎていることもまた事実) この元服を機に、少しはその過保護具合がおさまってくれると良いのだが。 「……いつまで泣いているんだ高虎。若様が心配なさるぞ」 「うっ…わが、わかっでいる…万福丸、ざまっ、ご、ごりっぱに、ふうう…っ!」 「あ、若様」 「!!?」 神社から城に戻った後もひたすらぐずっている高虎だったが、いもしない若様の名前を出すや否やすごい勢いでそちらを見た。しかしいないと分かると物凄く怖い表情で俺を睨む。変わり身の早いやつだな。 「戯れだ。あまりにも泣き止まないのでつい」 「馬鹿野郎やっていいことと悪いことがある!」 「しかしそのまま若様に会えば心配させてしまうのは本当のことだぞ。早々に泣き止め。今日はもうお会いせぬつもりなのなら止めないがな」 「お会いする!!」 「うるさい」 着物の袖で乱暴に顔を拭ってもう大丈夫だと豪語する高虎。まるで子どもだなとため息を吐いた。 「高虎!吉継!」 「「!」」 ほら、噂をすれば若様だ。 神社で見せていた凛々しい顔から一転、今まで何度も見てきた眩い太陽のような笑顔を見せながらこちらへ走ってくるものだから、何故だか内心安堵している自分がいる。名前や立場が変わろうとも、きっとこのお方は、万福丸様という人間は、ずっとずっと変わらずにいるのだろうなと思ったから。 「お帰りなさいませ若様…いえ、もう長喜様でしたね」 「まっ………ことご立派なお姿でした万福丸様この高虎感動のあまり涙が止まりませぬ!」 「長喜様、高虎は少し興奮しているだけですので怖がらずとも大丈夫ですよ」 「やめろ吉継おかしくなったみたいな言い方をするな!」 「吉継」 「!」 「そして、高虎」 名前を呼ばれると同時に、左手をとられた。高虎は右手を。俺たちの手をぎゅっと握り、長喜様は、小さく深呼吸をした。 「……父上に比べると、まだまだ頼りない、次期当主ではあるけれど…ずっと父上や母上を支えてくれていたお前たちに、頼みたい」 途端に神社で見た凛々しい顔になった長喜様。しかしどこか不安そうに見えるのは気のせいだろうか。 「おれが、ちゃんとこの浅井家を継ぐ日まで…そして、当主となった後も、そばにいて、支えてほしい」 「…長喜様…何を仰られるかと思えば、そのようなことでしたか」 「!」 「私はこの浅井家に命を捧げている身。長喜様の為に戦い、お守りすることが我が使命と心得ております。何も心配なさることなどございません」 「吉継……ありがとう」 心底安心したような、花が咲いたような笑顔を浮かべた長喜様に俺も笑みがこぼれた。そんなことを心配していたのかと思ったが、本人にとってみればきっととても不安なことだったのだろう。幼い頃からずっとそばにいたのだ、今さらここから、このお方のそばから離れるはずがない。 そう、そんなことは聞かれずともむしろこちらから頭を下げて忠誠を誓わせてもらいたいくらいのこと。俺ですらそれだけ長喜様をお慕いしているのだ。隣の男なら勢い余ってその場で土下座するかまた号泣するくらいのものだと思っていたのに、なんら反応がない。長喜様の顔に不安が戻る。 どうした高虎、と視線だけそちらへ向けて、驚いた。泣くわけでも笑うわけでもなく、ただ、ぽかんと呆けている顔がそこにあったのだ。 「……高虎?」 「………ああ、いえ、申し訳ございません」 「!」 「私も同じです。吉継や他の家臣共々、この命尽きるまで、長喜様に付き従う所存です」 「…ありがとう、高虎。二人とも、これからも世話をかけるがよろしく頼む」 じゃあ父上に呼ばれているから、と長喜様は俺たちの手を離して行ってしまわれた。今日はいろいろな所に顔を出さねばならないはずだろうから、その前に会って話せてよかった。今後は俺たちもより一層しっかりしていかなければ。 そういうわけで、お前のその魂の抜けたような態度が非常に気になるのだが。 「…どうした高虎。あまりに感動しすぎて本当におかしくなってしまったか?」 「………吉継、」 「ん?」 「…万福丸様は…浅井家の、近江の、長喜様になってしまったのだな」 ぽつりぽつりと力無く紡がれた言葉の意味がよくわからない。長喜様は長喜様だ。誰のものでもないだろう。 「……そうだな。そして、俺たちの立派な主君となられるお方だ」 「………」 「そろそろ自室に戻る。ではな」 なぜだろう。これ以上その話題を広げてはいけない気がして、半ば無理やり切り上げた。俺たちは従者で、長喜様は、若様は現主君である長政様のご子息だ。それ以上でもそれ以下でも、それ以外でもない。 変な気を起こしてくれるなよ、高虎。 190613 |