北近江の大名にして浅井家三代目当主である浅井長政様が、我ら羽柴家と同じように安土城に呼ばれていた。いつものように奥方であるお市様や家臣である高虎、吉継を引き連れているが、今日は他にも人影が見える。四人よりもはるかに小さなその体は置いていかれないよう必死に長政様とお市様の着物の袖を掴んで歩いていた。 「おお、あれが噂の…」 「聞いていた通り、なんと可愛らしいご子息様か」 「三人の姫様方と同じできっと見目麗しく成長なさるだろう」 「あの二人の子どもなのだ、芯の通った真っ直ぐなお方になるはず」 あちらこちらからひそひそ話が聞こえる。けれどどれも暗い内容ではなく、まるでその将来が楽しみだと言わんばかりの声がほとんどだ。 浅井家次期当主と言われている、長政様と同じ金色の髪を持つ童。なるほど、あれが噂の若様か。名前はたしか… 「おっほ〜、これはこれは万福丸坊っちゃん!また大きくなりましたのう!長政殿もお市様も、元気そうで何よりじゃ!」 「秀吉殿こそご息災で何より。万福丸、秀吉殿にご挨拶を」 「こっ、こんにちは、ひれよししゃま…」 「はっはっは!相変わらず照れ屋さんじゃのう」 「義兄上の城に連れてきたのは初めて故、緊張しているらしい。今から会わせるのが少しだけ不安だな」 「大丈夫ですよ長政様。頑張って挨拶できるわね?万福丸」 そうだ、万福丸という名前だった。以前小谷城で見たという秀吉様からの話通り、まだまだ子どもらしく両親にべったりである。お市様からの優しげな言葉にこくこくと頷いてはいるが、本当に大丈夫なのだろうか。秀吉様相手でもあの様子だというのに、魔王相手だと泣き叫んでしまうのではないか。 「赤子の頃は無邪気に笑って抱かれていたが、物心ついた今、一体どのような反応をするのやら…」 「長政様、心配には及びません。若様には我らもついております」 未だ困ったように笑っている長政様に、吉継がそう言った。その言葉に反応した万福丸様が二人を見上げる。 「その通りです長政様。何が起ころうとも若様は私が命を懸けてお護り致します」 「気持ちは嬉しいが、何も戦いに行くわけではないのだぞ高虎。それに、その忠義は生きて尽くしてもらわねば」 「はっ、それは重々承知しています。しかし若様の為ならば私はいつでもこの命、捧げる覚悟はできております」 俺は本気ですと言わんばかりの真剣な顔と声に全員が苦い顔をしていた。相変わらずの忠義馬鹿だなと目を逸らした、その時。 「たぁとら、」 「ン"ッ」 ………ん"? 「こわい、かおしてる…おこってる…?」 「っ、怒ってなどおりませぬ私が万福丸様に対して怒りを覚えたことなど今の今までたったの一度もございません!!」 「…ほん、とう?」 「本当です!そのようなことたとえ天地が引っくり返ろうともあり得ないことです!!この高虎、いついかなる時もただひたすら万福丸様のことを考え万福丸様の身を案じ万福丸様の為に生きているのですそんな大切な万福丸様に怒りを感じるはずがありませぬ何かあるとすればそれは常日頃からその有り余る愛らしさを誰彼構わず振り撒いては誰彼構わず虜にしてしまうその傾国の美女すら逃げ出すほどの魔性の魅力に日々悶々とさせられてしまうところぐらいしk」 「若様、高虎は日々の厳しい鍛練のせいで疲れておりまする。私と少し城内の散歩でもしに行きましょうか」 「しゃんぽ!」 ぱあっと明るい笑顔を咲かせた万福丸様の手を引きその場から離れた吉継。今日も高虎は元気だなあと笑う長政様。少しだけ笑顔が引きつっているお市様。間違いなく引いている秀吉様。 そして、何故か万福丸様とは真逆の方向を向きながら気持ち悪い言葉を吐き続けている高虎。 …なんだこの混沌とした空気は。頭が痛くなってきた。今すぐ帰りたい。 「たしかに万福丸様の魅力は日本中の人間という人間すべてに知らしめるべきだと思いますしかし同時に日本中の誰にも知られたくないと思ってしまう自分がいr…あれ?万福丸様?万福丸様が消えた!?」 「…万福丸様なら吉継が散歩に連れていったぞ。それすら気付いていなかったのか」 「馬鹿野郎なぜ止めなかった!!」 「は?なぜ俺が責められねばならんのだよ」 「おのれ吉継めまた独り占めするつもりか…許さん!」 そう叫ぶや否やドタドタと騒がしく吉継が消えた方へと走り去ってしまった高虎に、頭痛がひどくなった気がする。いつもは誰も寄せ付けないようなつんとした空気をまとい、浅井家の臣として吉継と共に冷静に行動している男がなんという様か。というか、あれは本当に高虎なのかと疑ってしまうほどである。 果たしてあれをただの“忠義”だと一括りにしてもよいものなのかと思ったが、触らぬ神に祟りなしだ。今回のあの奇行は見なかったことにしよう。 190603 |