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「この霧が晴れたら、動くぞ」

恐らく東軍もそのつもりだろうと、本陣から戦場を眺める。吉継を始めとした諸将もすでに各所に布陣済みだ。

これが恐らく俺の最後の戦になるだろう。この命が尽き果てるまで、豊臣の世を守るために全力で戦う。勝っても負けても、生き残っても死んだとしても、俺の意思は消えない。消させない。

何よりも、なまえは約束を守るのだと、そう言った。ならば俺にもう迷いなどない。

「では手筈通り、俺は前線に向かいます。殿はそこでどっしり構えて勝鬨を待っていてください」
「……ああ。任せたぞ、左近」

「伝令!!」

へらりと笑う左近が馬に跨がろうとしたその時、伝令兵が駆け込んできた。

「まさか、もう東軍が動いたのか!?」
「まだ少し早い気もしますが…家康にしては、やけにせっかちですな」
「お二人の言う通り、東軍に動きがありました!ただ、」

やはり動いたか。しかしそれにしては左近の言う通り早すぎる。まだ微かではあるが霧が残っているのにもう兵を動かすとはどういうことだ。ただの陽動か?

伝令兵は言い淀んでいる。一体何があったと言うのだ。

「…どうした?」
「……それが…」













「おい!一体何を考えている!」

あと少しで開戦だろうと前線で待機していたその時、声を荒げて飛んできたのは直政率いる井伊隊だった。何を考えている、とはどういうことだ?まさかすでに動くよう指示が出ていたのだろうか。

「はあ!?お前が何考えてんだよ!勝手に持ち場離れてんじゃねえぞコラァ!」
「動くにはまだ早いはずだが?」
「お前達ではない!そこのお面武者に言っている!」
「「!?」」
「……は?私?」

直政がからすにその槍を向けて叫んだ。自分のことだとは思っていなかったのか、からすも首をかしげている。

大事な戦前だ、ちょっとやそっとの理由じゃ持ち場を離れてまで進言しに来ないだろう。ましてや相手は真面目で堅物な井伊直政。そこまで声を荒げてからすに問い詰めるなんて、恐らくただ事ではないはず。

「一体何があった」
「…この男が我々の軍が守る砦や詰所に現れて暴れ回っていると、各所から伝令が届いている」
「は、何だよそれ!からすはずっと俺達と一緒だったっつーの!なあ清正!」
「その通りだ。風魔に何か指示をしたところも見ていないし、していたとしても、わざわざからすの姿に化けるだなんて浅はかなことをするはずがない」

それでは犯人を当ててくれと言っているようなものだ。それに、まだ風魔自身が犯人だと決まったわけでもない。西軍の雇った忍びかもしれないし、からすが気に入らない誰かの策かも知れない。伝令がただ単純に撹乱させるための嘘だという可能性もある。

「小太郎」

疑われているからすはというと、何度か風魔の名を呼びながら辺りを見渡している。けれど風魔が現れる気配はない。あんにゃろう、という呟きが聞こえて、嫌な予感がした。まさか。

「……すまない。小太郎が離反した可能性が高い」

その声は珍しく焦りを帯びている気がして、これは非常に不味い状況だと瞬時に把握した。まだ戦は始まっていないというのに、このままでは戦どころではなくなる。早急に対応しないと。

嫌な胸騒ぎがするのは、気のせいだと信じたい。






190518


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