本能寺の変


信長のもとについてから6年は経っただろうか。時たま秀吉の方へ援軍に行かせてもらえたが、その度にいちいち小言を言う三成も戦で張り切ってる清正や正則も変わりなくて安心したものだ。あ、そういや官兵衛とも初めて会えたな。初期の三成ほどではないがまあまあ信用度皆無でわろた。お面のせいですね分かります。まあ今後も関わっていくだろうし少しずつ信頼度上げてけばいいか。ちなみに半兵衛とも会えたんだけど、悲しいかなもうすでに衰弱していたのであまり話すこともできぬまま帰らぬ人となってしまった。秀吉について一緒に中国征伐に参加していたならもう少し絡めただろうが、過ぎてしまったことを悔いても仕方ない。切り替え大事。

そんなこんなで実に長い期間中国を攻めあぐねていた織田軍ではあったが、数日前秀吉から再度信長への援軍要請が入った。これを機に信長は直接中国を平定するつもりらしい。蘭丸や濃姫はもちろんのこと、俺もその軍勢に加えられていた。そして訪れたのがここ、本能寺。ついにきた。この時のために長い間蘭丸からの怖い視線に耐えたり濃姫からの誘導尋問に逃げまくったり信長からの無茶ぶり(主に楽しませろって命令が多かった)にヒーヒー言いながら対応したり…頑張った…ほんと頑張ったわ俺…この数年の苦労を思い返すと涙ちょちょぎれそうだがまだだ。信長の死をしっかりとこの目で見届けるまでは油断できねえ。



「っ!」

その日もいつものように眠っていたが、まるでその時を待っていたかのようにがばりと布団から飛び起きた。同時に遠くから聞こえたのは、恐らく光秀の声。敵は本能寺にありってか。からすの能力がなければいつも通り朝まで眠りこけてそのまま焼死していたことだろう。改めてこんな寝込み襲いに来るとか末恐ろしい。もう殺る気しか感じられないもんね。

とりあえずまだ他の奴らは眠っているだろう。このまま放置してむしろ光秀に加担するべきかとも思ったがこのあとは山崎の戦いがあったはずだ。あくまで信長の仇討ちとして敵対しておかないと秀吉側とズレが生じる。とりあえずまだ火は放たれてない。他の家臣が気付くまで寝たふりでもしておくか…と思ったが、どうやらそうもいかないらしい。

「織田軍、覚悟ォ!」
「だが断る!」
「うっ、ぐぅ…!!」

声高らかに寝室に飛び込んできた兵士を瞬殺。からすパイセンなめんなよ。しかし予想外だったな、もう普通に中にまで侵入してきてやがるとは。俺が宛がわれた部屋は信長の寝室よりも外側に位置している。信長や他の武将が気付くのも時間の問題だろうがもう一人殺っちゃったし仕方ねえ。あんまり織田軍を有利にするわけにもいかないが、この分だと俺がマジで暴れない限りもう勝機は薄いだろう。

「敵襲!敵襲ー!」

声を上げて部屋を飛び出した。それに気付いた明智軍が一目散に駆けてくる。ちぎっては投げちぎっては投げを繰り返しながら、寺中を走り回った。家臣共さっさと起きろ〜!伝令早く各地に知らせろ〜!










倒れていく兵士。流れていく血。燃え盛る本能寺。

泣き崩れる光秀をそのままに、奥へ奥へと歩みを進める。崩れ落ちていく屋根や柱を眺めながら歩くうちに、ついに突き当たりまで来てしまった。そうかここが死に場所かと薄ら笑う。

「…捨て置くのではなかったか?」

何故だか分からないが、後ろにいた人物はこの男だろうという確信めいたものがあった。振り返りもせずに一言だけ告げる。いつだったか秀吉の元から引き抜いた烏天狗の面をつけたおかしな男。最初は純粋にその力に興味があったから。共に過ごして尚更強烈に感じた強さ。それこそ秀吉のところで燻っているのが疑問だと感じるほどに男は強かった。名物の茶器をやろうと言えば実家の湯のみで間に合っていると答える。城を一つやろうと言えば己の居城は長浜城だと答える。国を一つやろうと言えば秀吉にやれと答える。ならば何がほしいのだと言えば何もいらぬから早く天下を統一せよと答える。

「捨て置くよ、ちゃんとあんたの死を見届けたらな」

本当に、掴み所のない男だと、そう思った。聞き慣れない声と口調に振り返れば、いつも携えている面を外しこちらを見つめるからすの姿があった。あれだけ頑なに外そうとしなかったそれを外しているということは、言葉通りそのまま去るつもりなのだろう。己を助けるわけでもなく、助けを呼ぶわけでもなく、光秀を討つわけでもなく、そのまま飼い主である秀吉のもとへ羽ばたくつもりなのだ。

「…うぬの望みは信長の死であったか」
「そうだとも言えるし、違うとも言える。叶うなら誰も死んでほしくない。けど、もう決まってることなんだ。あんたがここで死ぬのは」
「ほう…その人物がサルであったとしても、こうして捨て置く覚悟があったか」
「…あるぜ。秀吉だって不死身ってわけじゃねえ。あんたと同じでな。でもまだその時じゃない」

おかしな男だとは思っていたが、ここにきて未来を知っているかのような口ぶりで語り出した。死ぬ間際である己になら話してもいいと思ったのだろうか。いいだろう、それなら冥土の土産代わりに聞いておいてやろう。

「秀吉はいずれ天下を統一する」
「……では、その先は」
「…さすがだな、察しが良すぎて笑っちまうよ」

苦笑を浮かべるということは、やはりその後にまたもうひと悶着あるのだろう。いくら天下を統べることが出来たとしても、それを継続させなければ意味がない。後継者の当てが外れるか、敵対勢力が現れるか。どのみち今後この世でその結果を知ることは叶わないだろうが。

「ククク…ならばうぬがどう抗っていくのか、天下の行く末と共に地獄にて見守ろう、ぞ」
「抗う気なんかねえよ。俺は長寿さえ全うできれば…」
「ふん。ただ生きていくだけで、それでよいと申すか」
「無価値か?」
「………」
「…だろうな、俺もそう思うよ」

視線を落としたからすの顔は、暗い。

「…少ししたら、光秀もそっちに行くからさ。仲良く見守っててくれよ。俺の無様な生き様を」

いつの間にか膝をついていたらしい。己を見下げながらゆるりと手を振るからすに笑って返した。良かろうと。それならば見届けてやろうではないか。無様だと知っていてもなお生き続けていかねばならない、哀れな男の一生を。

倒れてきた炎を纏う大きな柱によって、ついにその姿は見えなくなってしまった。












(…さすがに、死んだか)

俺と信長の間に落ちてきた火柱に向かって軽く手を合わせておいた。いろいろお疲れさん。あとは秀吉と家康に任せて、地獄で皆とゆっくりしててくれ。地獄でゆっくりできるのかと言われればそうじゃないのかもしれないが。まあ細けえ事はいいんだよ。

無様な生き様とか、なんか自分で言ってて虚しくなってきたな。でももう決めたんだ。何を犠牲にしようと、誰が死んでしまおうと、それが歴史として定められていることなのであれば受け入れて生き抜いていくって。もう後戻りはできない。

『……では、その先は』

信長の言葉を思い出して軽く頭痛がした。今はとりあえずここを抜けないと。熱いし臭いし最悪。こっから山崎までどうやって行くんだろう。こっそり明智軍に混ざろうかな。お面外してたら多分バレねえだろ。多分。

そう、俺はこの時、無防備にもお面を外していたのだ。

メキリ、だかバキリ、だかわからない。それでもなにかが壊れた音が確かに頭上から聞こえた。

「あっ、」
















「………」
「…どうした三成、その兜に異常でもあったのか」
「…緒が切れていた」

兵が落としたのであろう兜を拾うと、その緒が結び目ではなく中途半端なところから切れていたのだ。縁起でもない。そう思いながら結び目をほどいて長さを調節し直した。

中国攻めもいよいよ大詰め。信長の本隊が到着すればあとはそのまま数で圧勝することが出来るだろう。そしてその本隊にはなまえがいる。この中国攻めが終われば秀吉様の任務も完了する。きっと同じようになまえもこちらに帰ってくるはずだ。まったく会えなかったわけではないが、それでも数ヵ月に一度会えるか会えないかといった具合だった。たしかにあいつは強いが、だからと言って毎度無事でいられるかとなると絶対とは言い切れない。それにあいつがそばにいないと調子が狂う。早々に終わらせなければ。

「…こっちでお前と知り合ってしばらく経つが、ふとした瞬間に見せるその顔が気になるな」
「なんだ、変な顔でもしていたか」
「いいや、酷く穏やかな顔だ。まさかとは思うが、故郷に残してきた女でもいるのか?」
「……まあ、そんなところだ」
「…意外な流れだな。まさか肯定されるとは」
「どういう意味なのだよ」

詳しく話せとしつこくせがむ吉継は悪いやつではないのだが、たまにこうして悪乗りしてくるくせがあるから厄介だ。そう言えばこいつも高虎と同じく姉川や小谷城では浅井側にいたので、秀吉様が気を遣ってなまえ…いや、からすとの接触を避けていたのだったな。高虎とは違い吉継ならば過去のしがらみなど気にせず関わってやってくれるだろう。もう一度言うが決して悪いやつではないのだ。今回の戦で、からすとしてのなまえと引き合わせてやってもいいかもしれん。

「伝令!」
「!」
「織田軍本隊、京の本能寺にて明智軍の謀反に遭い全壊!信長様及びその家臣数名が討たれました!」

手から滑り落ちた兜が地を打つ音がして、それ以外の音が何も聞こえなくなった。





190109


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