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それは正則の何気ない一言から始まった。

「からす殿ってさあ、どんな顔してんのかな!」

いつもの鍛練が一息ついた時だった。今日はからす殿抜きでの鍛練だったので、ふと何気なくそう言ったのかもしれない。今までまったく気にしなかったわけではないが、誰も声に出してそう問い詰めたことなどなかったので、自然と“からす殿はお面を外せない人”だと認識するようになっていた。なにせ出会った時からずっと烏天狗のお面をしていたし、秀吉様もおねね様もそれを咎めることなく、むしろそれが彼の素顔なのだと言わんばかりに受け止めておられる。俺たち子飼いがとやかく言うことではないし言うつもりもないが、気にならないと言えば嘘になる。

お面を外せない理由はなんなのだろうか。人に見せられないような顔をしているのか。単純に恥ずかしがりやなのか。家のしきたりか何かで外してはいけないのか。しかし食事中は頭巾を被り直しているのでお面を外してはいけないわけではないのだろう。ということは、お面云々ではなく素顔を晒せない理由があるのかもしれない。直接問うのが手っ取り早いだろうが、あまり話したくない理由なのだとしたら深入りするわけにもいかない。あの人のことは一人の武士として尊敬しているし、表情が読めないから少し意思疏通に関して不安な部分はあるが俺や正則はもちろん、あの三成に対しても分け隔てなく親切に接してくれるような人だ。いい人であることに違いはないだろう。そんな彼を興味本意から傷付けてしまうようなことは決してしてはならない。

「かっけー顔してんのかな、それとも意外とおっさんだったりすんのかな…なあ清正ぁ、気にならねえ!?」
「気にならんと言えば嘘になるが、無理強いだけはするなよ。誰だって触れられたくない部分はある」
「んだよ清正も気になんじゃん!頭でっかちは見たことねえのかなあ」
「…三成か…」

いつも事ある毎にからす殿へ暴言ともとれるような小言や説教をしている三成の姿を思い出した。俺たちの前ではもちろんのこと、他の家臣や秀吉様たちの前でも平然とそれらを行うのでおねね様が何度か本気で怒鳴っていたものだ。俺と正則もそんな態度が気に食わなくて注意をしたが本人はツンとして聞く耳持たずだし、からす殿も私は大丈夫だと俺たちを宥め三成に対してもすまないと簡単に謝ってしまうから成す術なく悶々としたことを覚えている。

唐突に現れた新入り、しかも秀吉様に気に入られているというところが気に入らないのだろうかと思っていたが、どうやらそんなことは無かったのだと気付いたのがたしか先月の事だった。いつものようにぐちぐちとからす殿へ文句を垂れる三成を制そうと口を開いたら、それより前にものすごい速さで部屋を飛び出したからす殿に正則と二人で目を丸くした。しかしそれよりも驚いたのは三成の顔だ。あれだけ涼しい顔をして暴言を吐いていたくせに、まるで体中の血液を失ったかのように顔を真っ青にして立ち尽くしていた。そういえばこいつはそういうやつだった、好きなものを好きだと素直に言えるようなやつではなかったのだと思い出し頭を抱える。それにしたって少しは限度を考えろと叱咤しようとしたがそれすらも憚れるほど悲痛な顔をしていたので仕方なくおねね様を呼び、ようやく動いた三成が無事からす殿を連れ帰ってきたので事なきを得たが…ともかく、あいつがからす殿のことを本心から嫌ってなどいないことははっきりしている。

近頃は共に行動する姿をよく見かけるし、もしかしたら三成なら知っているかもしれない。だが知っていたとしてそれを素直に答えてくれるかと言われればきっと否だろう。聞くだけ無駄だと思うが提案する前に正則はすでに駆け出していたので大きくため息を吐いて後を追った。










「は?からす殿の素顔だと?」
「そうそう!一番からす殿にベッタリなお前なら知ってんじゃねえの?」
「知らんし興味もない。それよりもそのからす殿はどこだ?おねね様からのお使いぐらいもう済んでいるはずなのに姿が見えぬ」
「俺たちも昼食以降は見ていないぞ。だから鍛練も二人でしたしな」
「そうか…チッ、どこをほっつき歩いているのだ…」
「頭でっかちも知らねえのか、余計気になるぜ…っしゃあ!そうと決まれば、一番に見つけてお面奪取!男福島、決めたからにゃあ絶対素顔拝んでやるぜえええ!」
「あ、おい待て正則!無理強いは…って、聞いちゃいないか…」
「…何がそんなに気になるかは知らんが、一つだけ忠告しておこう」
「!」
「貴様らではきっと、二人がかりだろうとからす殿が眠っていようと、一生かかってもあの面は奪えぬぞ」

どこか意味深な笑みを浮かべながらそう言った三成。元はと言えばあの馬鹿が勝手に言い出したことなのだが、そこまで言われて黙っていては男が廃る。

「…それなら楽しみにしておけ。すぐに正則と二人で烏天狗の面をお前に見せびらかしてやるさ」

あの人の実力は知っているが、俺たちだってもうすぐ合戦に参加できるくらいには強くなっている。今に見ていろと先に行ってしまった正則を追った。











少し走ると、柱の影に隠れてとある一室を盗み見ている正則の背中があった。どうやらからす殿を見つけたらしい。そっと隣に近寄ると、部屋の中で壁に凭れてじっとしているからす殿がいた。

「…眠っているのか?」
「みたいだぜ…これ、行くしかなくね?マジで!」

二人して声を殺しながら言葉を交わす。素顔が見えないので確証はないが、微かに寝息が聞こえる。眠っていると見て間違いないだろう。それにたとえ起きていたとしても背後は壁なのだ、挟撃すれば間違いなく逃げ場はない。無言のまま顎を動かして正則に合図をした。摺り足で部屋に侵入して左右を囲む。からす殿はぴくりとも動かない。残念だったな三成、俺たちの勝ちだ。

そう確信して伸ばした手は、目にも止まらぬ速さで叩き落とされた。

「っ、正則!」
「っしゃ任せ、おわああ!?」
「うぶっ!」
 
狸寝入りだったかと舌打ちして正則に叫ぶが、同じように面に伸びた手をかわしたかと思うと瞬時に体勢を切り替えそのまま俺の方へ正則を背負い投げしたからす殿。当然受け止められるはずもかわせるはずもなく、二人して大きな音を立てて吹き飛んだ。襖が外れてしまったのは気のせいだと思いたい。

「いっててて…チクショー寝てたんじゃねえのかよからす殿〜…!」
「すまない、邪悪な気配を察知したのでつい。しかし急にどうしたのだ?二人とも」
「…正則が、からす殿の素顔を見たいと言い出したので」
「すがお?」

軽く首をかしげたあと、それもそうかという言葉のあとにクスクス笑う声が聞こえた。どうやら素顔に関してはそれほど深刻な問題や状況を抱えているわけではないらしい。結果的には手も足も出ずに伸されてしまったわけだが、怒っているようではないので少しばかり安堵した。居住まいを正し謝罪をするとこちらこそと返される。

「私の素顔など、見たところで面白くもなんともないよ。だからと言って簡単に見せられるものでもないのだが」
「ちぇー、結局見せてくんねえのかよ」
「…なにか事情があるということですか?」
「そういうことだ。すまない、二人を信頼していないわけではないんだよ」

どうやら気を使わせてしまったらしい。もう一度謝ろうとした時、ふと“二人”という言葉が引っ掛かった。そしてあいつのあの態度。

「…なら、あいつは」
「ん?」
「三成は…」
「俺がどうかしたか?清正」
「!」

振り返ればそこには荒れ果てた部屋を苛立たしそうに見回す三成が居た。これは、もしや、非常に不味いのでは。

「畳に擦り傷、壁に凹み、襖も…これではもう使い物にならんな…」
「き、聞いてくれよ三成、これには深〜いわけがあってよ、」
「ほう?ならばその髪ばかりで中身のない頭で考えうる限りの言い訳を述べてみろ。すべて淘汰してやる」
「頼む三成、修繕は俺が何とかするから、おねね様にだけは…!」
「はっ、何を言うかと思えば…貴様らが自分たちで修繕するなど当然の事なのだよ。よってすべて報告させてもらう。…からす殿、静かに逃げようとしても私からの叱責が増えるだけですよ」

それともそれがお望みですか?

静かに、しかし確実に俺たち三人は三成の手によって窮地に追いやられていき、最後にはやはりおねね様からのお説教が待っていたのであった。




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