物知り天狗と毛利元就


「違う違う、その右の草じゃ。お主が触れているのは毒草」
「おっと危ない。ありがとうなまえ」
「気にするでない。ああ、それと、その上に伸びている蔓も食べられるものじゃ。水気が多く水分補給にもなるぞ」
「へえ、すごいな…」

後ろから聞こえる下駄のカラコロという音を聞きながら蔓を軽く引っ掻くと、そこから溢れ出てきた水にまた感嘆した。ちょうど喉が乾いていたのでそのまま顔を寄せて水分を口に含んだ。ほんのり甘い気がする。

「君は本当になんでも知っているね。助かるよ」
「なははは!山のことならわしにどんと任せよ、元就」

カラカラ笑う彼はなまえという名を持つ大天狗。とはいっても姿形は私のような人間と何ら変わりはない。違うことと言えば口から上が天狗の面で覆われていることくらいだろう。出会ってしばらく経つが、未だに彼の素顔を見たことはなかった。しかし辛うじて見える口元から想像するに、恐らく素顔は口調のわりには年若い青年のような面立ちなのではないだろうか。それでもきっと実年齢は私の何倍もあるのだろうけれど。

昔山菜採りにやって来た時、誤って毒草を食べてしまい気絶した私を介抱してくれたのがなまえだった。目が覚めた私を今のようにカラカラと笑いながら屋敷に帰してくれたっけ。あれ以来度々交流が続き、気付けば茶飲み友達のような関係にまでなったのだから不思議なものだ。彼の正体は決して大声で人に言えるようなものではないが、この年になるとそういう周囲の目など気にならなくなる。こうして今日も山菜採りに付き合ってくれる彼は誰がなんと言おうと、私の大切な人だ。

「どれ、わしにも寄越せ」
「っ、」

ずい、と押されたかと思うとそれまで私が口付けていたところに同じようにかぶりついたなまえ。きっと当人は何の気なしにやってるんだろうなあ。彼の一挙一動に簡単に心乱される自分がひどく青臭く感じて苦く笑った。

「…君は博識だけど、人の心までは読めないんだろうね」

少し拗ねたようにぽつりと呟いた。きっとまた豪快に笑い飛ばされるんだろうけど。

「ふむ…そうじゃのう。確かに人の心を読むなど神の所業。わしには到底不可能じゃ」
「………」
「じゃが、感情を汲むことは出来るぞ」

そう言うや否や、片手でばっと塞がれた視界。唐突な行動に呆気にとられていたら、唇に少し固くて熱いものが触れた。まさか、そんな馬鹿な。顔からゆるりと手が離され、広がる視界の先にはやはり笑顔のなまえの顔。高々と伸びた面の鼻がある限り接吻など出来ない。視界を遮られたのは素顔を見せないためか。

「……なまえ…君は、本当に…意地の悪い人だね」
「なはは、そう言うな元就。これでもわしなりにお主のことを好いておるのよ」

遊ぶように接吻をするくせに素顔は決して見せてくれない。私を手玉に取ろうだなんて、きっと日本中を探しても君しかいないだろう。いつかその素顔も心もさらけ出してくれる日が来ればいいが。

やれやれ、まだしばらく長生きしなきゃいけないようだ。