たおやかな猫又とくのいち


「なまえちんみーっけ!」
『む。また見つかってしまったか』

枝の上で伸びをしていた柔らかい体をそっと抱きかかえた。最近出来たお友だちである彼女の名前はなまえ。その正体はきっと風魔の旦那もびっくりの“人語を話す猫”である。最初は忍び仲間にからかわれているのだと思ったけれどその声や言葉、意思は、確実にこの小さな口から発せられている物だった。幸村様や他の人間には内緒の、可愛い可愛いお友だち。

『君はいつでもどこでも私を見つけだしてしまうね』
「なんでだろうね?あたしもわかんない。会いたいなって思うとすぐそこになまえちんがいるんだもん」
『ふふ、嬉しいことを』

鈴を転がしたような可愛らしい声のあと、ざらりとした舌があたしの頬を撫でた。恐らく彼女は信じていないだろうが、本当のことなのだ。いつだってふとこの暖かい体を抱きしめたいと思うと、なぜか近くにこの子がいる。人語を話すところといいきっと不思議な力を秘めている猫なのだろう。山には尾が二つに分かれた猫又というあやかしがいると聞いたことがあるけれど、どうせお伽噺だと詳しくは聞かなかったなあとぼんやり思う。例えばもし彼女がそのあやかしだったとしても、あたしを友だちだと言ってくれた言葉は嘘じゃないと信じたい。

そんなことを考えながらもう一度彼女の体をぎゅうと抱きしめたのが、数日前のことだった。



「なまえちん!」

何度も何度も彼女の名を叫びながら山を駆ける。辺りはもうすっかり火の海だった。戦が長引き、勝てぬと悟った敵軍が火を放ったのだ。幸村様たちはもうすでに撤退している。けれどここは彼女の住みかでもある。聡明な彼女ならきっともう逃げているだろうと思う反面、もしもまだ山の中に残っていたら、逃げそびれていたらと最悪の事態を考えている自分もいる。たった一匹の猫のために馬鹿げてる、けど、

「なまえちん、いるなら返事して!なまえ…きゃあ!?」

燃え盛る炎のせいで大きな木が倒れてきた。怪我をするには至らなかったが、ものの見事に道を塞がれてしまい眉をひそめる。これはまずい。周りの木々も当然のように火が燃え移っており移動には使えない。地を駆けるには多少の火傷は必須だろう。それ以前にまだなまえを見つけられていない。いつもなら簡単に見つけられるのに。だからこそ余計に不安になる。

どうする。どうすればいい。急かせば急かすほど思考が鈍る。どうせこのまま考えても妙案など浮かばない。それなら今は少しでも前に。なまえのもとに。どうせもとよりしがない忍びだ。ひっそり消えたところで誰も気付かない。けれどその前に、最期にもう一度だけ彼女に会いたい。

「お願い、なまえに会わせて…!」

らしくなく視界が滲んだその時、思わず目を閉じてしまうほどの突風に襲われた。ごおごおと大きな音を立ててあたしの体や木々の間を吹き抜けていく。ようやく開いた目に飛び込んできたのは、すっかり焼け焦げてしまった周りの木々と見知らぬ男。火が消えたのはあたしの周りだけで、まだまだ山火事はおさまっていない。先ほどの突風は、目の前にいる男が起こしたものだろうか。

「やあ。遅くなったね」
「え、」
「炎のせいで君の気配が遮られてしまって時間がかかってしまった。仕方なく人の姿に変化したが、正解だったようだ」

怪我はないか?と頬に触れたこの男をあたしは知っている。初めて見る顔のはずなのに、なぜだろう、この優しい口調と慈しむような瞳を知っているのだ。まじまじと顔見ると、普通の人間とは違い頭の上に獣のような耳が生えていた。はっとして背後に回ると二つに分かれた細長い尻尾。

「…嘘でしょ、まさか……なまえちん…?」
「うん」

あっけらかんと返された言葉に思わず叫んだ。

「女の子だと思ってた!」
「え、驚くところそこ?」
「こんな、こんな美丈夫なんて聞いてないにゃあ!」
「だって言っていないもの」

クスクス笑う様はまるで猫。きっと間違いなく彼は“彼女”だと思っていたなまえ本人なのだろう。生きていたという喜びと人間になってしかも男だったという驚きで頭が混乱している。相当な間抜け面を晒しているだろうあたしの顔をじーっと見つめて、やがてなまえはまたふわりと笑った。

「可愛い子、私のために泣いてくれたのかい?笑っておくれ。私はそのために来たのだから」

唇に触れた舌は、やはりざらりとしていた。