“あそこの長男は出来損ないだ”

好きなように言えばいい。

好きなように笑えばいい。

好きなように馬鹿にすればいい。

そうやって蔑む言葉や不快そうな顔だって、あと少しすればすべてなくなってしまうんだから。




「雪成!開けなさい!」

ドンドンバンバンうるさいドアと、その向こうから聞こえる母さんの怒鳴り声。それをどこか遠くで聞きながら、虚ろな表情を浮かべているなまえの肩を抱き寄せた。父さんはいないし母さんの力じゃ部屋に入ってこれやしない。あと少しだ。あと少し耐えれば、俺たちの勝ち。

夢魔と母さんの間に生まれたなまえは文字通り悪魔の子ってやつで、父親である夢魔の血をしっかり受け継いだ正真正銘の悪魔だ。対して俺はというとその後父さんと母さんの間に生まれたただの人間。母方の血の繋がりがあるとはいえ、夢魔と人間だ。本来なら相容れるはずがなかった。それなのに俺たちはお互いを愛してしまったから。なまえは家族として、兄としてだけれど。

夢魔は成人するまでに一度は人間を襲わないと人間になってしまう。なまえの父親である夢魔の言葉が本当なら、あと数分もしないうちになまえは俺と同じ人間になれる。こいつは自分の父親や他の夢魔と違って人間らし過ぎた。だから一度たりとも人間を襲ったことはないし、夢魔としての役割を果たしたこともない。周りは滑稽だ失敗作だと嘲笑う。それでもなまえは変わらなかった。俺もそれでいいと思ってる。なのに、母さんはそれをよしとしなかった。散々なまえを罵倒した挙げ句、自らなまえを襲おうとしてまで完璧な夢魔にしようとしやがった。まだ人間じゃないとはいえ、実の息子に対してだ。

「……もうちょいだからな、なまえ」
「…………」
「もうちょいで、こんな訳わかんねえ状況も全部終わるから」

肩を抱き寄せて、手を握って、まるで自分に言い聞かせるように言葉を漏らした。なまえはなにも言わない。度重なる母さんや周りとの衝突で疲れきってるのか、それとも夢魔から人間になる予兆なのか。虚ろな目はじっと床を見つめていた。こうして見ると、姿形は俺と何ら変わりないただの人間なのに。

「雪成、お願いだから、はやく開けて、」

壁掛け時計を見ると、あと三分で日付が変わることがわかった。

「…母さん、もう諦めろよ。なまえは俺たちと同じ人間に」
「無理なのよ!」
「………は?」
「もう無理なのよ、その子は、」

母さんの態度が変わった。どこか焦燥しきったようなその声はなんだ。もう無理ってどういうことだ。なにが無理なんだ。どうして無理なんだ。

「…っ、なまえ?」

思わず立ち上がろうとしたら、握っていたなまえの手が逆に握り返してきていて、

「…め……ごめん…雪成、ごめん」
「……なんで、謝んだよ」

虚ろで色のなかった目が、深く濁ったような紫色に変わっていた。どこか辛そうに息を漏らして、床ではく俺を見つめてる。

なんだよ、その顔。勘違いするだろ、やめろよ、

「…大丈夫だなまえ、もうお前は」

だってそうだろ。お前は、あくまで兄貴として、俺のこと

「俺と同じ、人間として」
「なりたかった」
「え、」
「お前と同じ、なにも知らない、無垢な人間に、なりたかった」
「……なるんだよ。何言ってんだよ、もうすぐなるんだよ、だから」
「もう無理だ。無理なんだ。ごめん、雪成」
「だからなんで謝んだよ!なんだよ無理って!もっと納得できるように言えよ!」
「俺は、兄貴失格だ」

バサリと大きな音をたてて、なまえの背中から、黒い黒い翼が生えた。

「………なん、で、」
「…もっとちゃんとした兄弟として、そばにいたかった。でももう俺にそんな資格ないから」

俺のことは忘れてくれ。

儚げな笑顔を残して部屋から飛び立ってしまったなまえ。時計の針は0時丁度を指していた。