『男の血なんざ不味くて飲めっかよ』

そう吐き捨てて不敵な笑みを浮かべたみょうじさん。いつのことだったか。多分ずっとずっと前。俺たちが出会ってすぐの頃のことだったと思う。それくらい前の話だ。そんな出来事をなぜ今不意に思い出してしまったのか。





「………ゆめ…?」

あの時のみょうじさんの言葉を思い出したと同時に目が覚めた。どうやら夢を見ていたらしい。なんで今さら。嫌にざわつく胸に気付かないフリをして、すぐそこにある体を抱きしめた。ああ、けど、そろそろ起きる時間かもしれない。真っ暗な視界の中、片手だけ動かして電気のリモコンを探す。

「…みょうじさん、夜ですよ」

常夜灯のスイッチを押して、みょうじさんの体を揺する。薄橙色の淡い光が映し出す青白い顔に触れるけど、まだ目覚めない。

「……起きて、みょうじさん、はやく」

まただ、またざわざわしてきた。はやく起きてくれ。うるさいなあって怒ってくれていいから。起きてるわって殴ってくれていいから。はやく起きて、みょうじさん。じゃないと、俺、

「………はよ…」
「!」
「っ、あ…?なに、重いんだけど…」

怠そうに持ち上げられた瞼とゆるゆる飛んできた声。よかった、起きてくれた。そのまま思い切り上から抱き着くと怒られてしまったけれど気にしない。まだ大丈夫なんだ。まだ。

“まだ大丈夫”なんて自分で思ってしまったことに泣きたくなった。


みょうじさんとは深夜のコンビニで出会って、目が合ったその瞬間感じた。あ、この人、ヤバイ人だって。近付いちゃダメだって。そう思ってたのに、いつの間にか警戒心は恋心に刷り変わっていて、けど、この人の正体を聞いてやっぱり近付いちゃダメだったんだってまた思い知らされた。それでも一緒にいたいと望んだのは俺。それを受け入れてくれたのはみょうじさん。この人に合わせて昼夜逆転の生活を送るのにももうすっかり慣れてしまって、毎日幸せだった。世界中の誰よりも幸せだと錯覚していた。みょうじさんのことだって、まるで俺と同じで幸せなんだと勘違いしていた。そのツケが今まとめてやってきて、どうすればいいのかわからなくて、それでもこの人から離れたくなくて、

日に日に弱っていくこの人は、きっともう何日も何週間も、何ヵ月も、血を吸ってないんだ。俺のせいで。俺が嫌がるせいで。俺がいちいち嫉妬するせいで。けどそんなくだらないモヤモヤなんか、この人を失うことに比べたら平気で耐えられる。だから

「みょうじさん、前も言いましたよね?俺、平気だからって」
「……なんの話」
「吸血のことです」
「…あー……」
「俺、ちゃんと我慢するって言いましたよね?何度も何度も。なのに…はやく行ってください。待ってるから」
「……いや。ダルい」
「っ、あんたのために言ってんだよ俺は!」
「うるさい」
「うるさく言わねえと分かんないでしょ!?ほら、はやく起きて」

ベッドから無理矢理起こそうと腕を引っ張った。それだけなのに、パキリと乾いた音がして、

「……え、」

まるで小枝みたいに折れたそこ。そのまま俺が掴んでいた手首も、手のひらも、腕も、みょうじさんの右肩から右手にかけての部分が、全部灰になって消えてしまった。

「…悪ィ、もう、手遅れなんだわ」

まるであの時みたいな笑顔を浮かべてそう言ったみょうじさん。

「い…やだ、そんな、いや、いやです、なんで、」
「そろそろかなあとは思ってたんだけどな。ついに来たかって感じ」
「わかってたのに、なんで、なんでそんなんになるまで放ってたんスか!!俺のことなんかより、自分のこと…」
「その顔されんのが嫌だったんだよ、俺」

そっと顔に触れてきた手は震えていた。

「他の人間の血ィ吸って帰ってきたらさ、お前、いつもそうやってすごい悲しそうに泣くんだ」
「そ、れは、」
「今までならそんなもん知らねーって思ってたし、面倒になって切ってたし…なんなら、男相手と、付き合うなんざ、もっての他だったんだけどな…はー…」

参ったと言わんばかりの口調で、俺を諭そうとしてくる。ダメだ、もう諦めてるんだ。ダメだダメだ、いやだ、止めないと、血を、そうだ、血だ、

いつかこんな日が来るって分かってたから、ずっとサイドテーブルの引き出しに隠していたナイフを取り出す。思い切り自分の手首を切って、目を見開くみょうじさんの顔に近付けた。

「飲んで、はやく、不味いとか手遅れとか四の五の言ってねえで、飲んでください、はやく」
「………」
「飲めって!」
「……じゃあ、目ェ、閉じてて」
「!」

あんま見てほしくねえから。諦めたようにそう言ったみょうじさんに安堵した。そうして素直に目を閉じたら、なぜか唇に衝撃を感じて、あれ?

「…愛してたよ、雪成。お前が最初で最後だった」

ふわりと笑ったが最後、ベッドに沈んだ衝撃でみょうじさんは崩れてバラバラになってしまった。