短編 | ナノ
(企画提出作品)
(女主です)





「じゃあね」

まるでさっきまでの事なんか何でもなかったみたいにさらりとそう言って部屋から出ていった。俺の返事も聞かずに向かった先はもうわかってる。わかってるのに何もできないし何も言えない。パタリと閉められたドアの音が虚しく響く。

今思えば始まりなんて些細なことだった。その人はただのバイト先の先輩だったのに。偶然一緒になった帰り道、寂しいのなんて古臭い台詞を囁かれて、その日からとてもじゃねえけど人に言えるような関係ではなくなってしまって。何度も何度も今日で終わらせようって思ってるのに、結局今日までズルズルズルズル。バカじゃねえのと一人嘲笑してシーツを引き寄せるとそれはまだあの人の匂いが染み付いていて、それだけでまたどうしようもなく胸が苦しくなる。





「あ、」

それは本当に偶然だった。何も考えずに立ち寄った最近出来た大きめのショッピングモール。前から歩いてくるのは間違いなくなまえさんだった。小さく漏れた声でさえ拾ってしまう耳と、簡単に俺を見つけてしまったこの人を恨んだ。隣を歩くのは噂の優しい彼だろう。優しいだけだよなんて言うくせに俺の方には靡きもしない。けれど、どうだろうか。男の前で鉢合わせ。さすがに動揺くらいすればいいと笑ってやれば、なまえさんも同じようににこりと笑った。

「黒田くんも買い物?」

黒田くんだって。ああ、そう。

「…みょうじさんこそ。彼氏さんスか?」
「そうなの。デート」

いいでしょ?と微笑むなまえさんに掴みかかりそうになった。よくもまあぬけぬけとそんなこと。今ここで全部ぶちまけてやろうか。この何にも知らねえ間抜け野郎に全部教えてやろうか。あんたが大好きなそこの女は寂しいからって後輩の男相手に簡単に体許すようなとんだ淫乱女なんだぞって。全部全部ぶち壊してやろうか。

「……幸せそうで何よりです」

それでも何もかも堪えて笑い返す俺は相当バカなんだろう。

壊せない。壊せるはずがない。壊したくない。このどうしようもないバカみたいな関係が続いているのは俺のせいだ。俺がいつまでもこの人にすがりついて離れようとしないからだ。それら全部をわかってるから、なまえさんは平気で俺を傷付けられる。何も知らない他人のフリをする。綺麗な笑顔を浮かべて残酷な言葉を並べる。そうして次の夜にはまた何もなかったみたいに俺の腕に抱かれるんだろう。

「幸せだよ」

俺といる時のなまえさん。彼氏さんといる時のなまえさん。そして今目の前にいるなまえさん。どれが本物でどれが偽物なんだろうか。むしろこの中に本物なんていないのかもしれない。いくら考えたところでそれを知っているのは世界中どこを探してもなまえさんしかいなんだろう。ああまるで本当にただの他人みたいだなと、それでも無理矢理作った下手くそな笑顔を崩すことはできなかった。



161013