短編 | ナノ
ある年のある季節のある日のこと。ある大きな城である人物の葬式が行われた。安芸の大名毛利元就その人である。参列した者はその家系の者のみならず深く関わりのあった者はみな悲しみ涙した。小姓である青年なまえも例外ではない。泣いて泣いて、泣いた。声が枯れるほど泣いた。涙が枯れるほど泣いた。毛利家の者を除くと一番元就に近い者であった彼を哀れむ声も多々あったほどである。しかし、周囲の者はみなとんだ勘違いをしていた。

なまえは、彼を、毛利元就を好いてなどいなかった。慕ってなどいなかった。尊敬などしていなかった。なまえは、彼が、毛利元就が嫌いだったのだ。ずっと嫌いで嫌いで仕方なかったのだ。その男が死んでしまった。常人ならば喜ぶのが普通だとなまえは歓喜した。歓喜のあまり涙が止まらなかったのである。けれど彼はその心の内を明かしたことはない。周りが勘違いをしてしまうのも無理はないのである。とにかくなまえは嬉しかった。

幸せから一夜明けた翌日。目を覚ましたなまえは驚愕した。見慣れた景色はそこにはなく、よく見ると布団も変わっている。飛び起きて見渡すと、そこはやはり見覚えのない部屋。目覚めたばかりとはいえなまえは恐怖した。まさか、という考えが頭を過ったのだ。そんなはずはない、だって昨日…と混乱する頭を落ち着かせようと試みたが、その必要はなかった。

「起きたんだね。おはよう、なまえ」

聞こえた声に体はおろか心の臓まで止まってしまったのではないかと錯覚した。そんな馬鹿な。おかしい。ありえない。そんなわけないのに。一瞬でたくさんの拒否を表す言葉が脳内を占拠した。そのすべてを嘲笑うかのように、死んだはずの元就は言葉を続ける。

「ふふ、なんて顔してるんだい…ああ、驚かせたかな?無理もないか、あんな大掛かりな仕掛けをしてまで騙してしまったからね。すまなかった。私としても、君にこんなことをするのは本当に心苦しかったんだよ。いやね、ほら、最近なんというか、距離を感じたんだ。私となまえ、君との距離をね。もちろん君にそのつもりはないと信じていたさ。だが、どうしても気になってしまって…本当に、つい出来心というか…恥ずかしいな、君の愛を試すようなことをしてしまった。もっともっと信じればよかったのにね。自分が情けないよ、君は紛れもなく私のものなのに、どうも自信が持てなくて…けどこれでわかったよ。ありがとう、私を想ってあんなにも泣いてくれて。実は私もあの場に忍んでいてね。昨日の君の様子ったら可愛くて可愛くて仕方がなかったよ。何度飛び出して抱き締めてしまいたかったか…でも、そうするとせっかくの作戦が台無しになってしまうからね。いやあ、自分を抑えるのに必死だったよ」

だが、もうその必要もないね。にこりと笑った元就はついになまえの目の前にまで来ていた。なまえは震えた。がたがたと情けなく体を震わせ、勝手にあふれでる涙は昨日のものとは真逆のものだった。元就はそれを掬いとり、そのままその指を口へ持っていく。それだけでは飽きたらず、舌で直接吸いとっていった。それでも涙は止まらない。元就はその一粒一粒、惜しむように舐めとってはいとおしそうになまえの目を見つめた。

もう一度言うが、なまえは、彼が、毛利元就が嫌いだったのだ。その死が偽りだとわかった今、過去形ではなく現在進行形で“嫌い”なのである。元就は彼を溺愛していた。隅から隅まで愛して、愛して、いつしか彼なしではいられなくなってしまった元就。そんな元就の変化に気付いていたのは、怖いほどの愛情を注がれていたなまえ本人だけであった。なまえは怖かったのだ。怖くて怖くて、いつしかそれは憎悪に変わっていった。狂っている。この男はおかしい。はやく消えてしまえばいいのに。日夜そう願っていたことがようやく叶ったと思えばこれである。なまえは今度こそ逃げられないと悟ってしまった。

「本当に可愛いなあ君は…そんなに私の生を喜んでくれるなんて…心配しないで、なまえ。もう二度と君を離さない。誓うよ。ここで、ずっと、二人きりで暮らそう。愛してる。愛してるよなまえ」

待ちきれないとばかりになまえの唇を奪った元就。放心状態の彼に、もう拒絶する力も抵抗する言葉もなくなっていた。

最後にもう一度だけ言うと、なまえは、彼が、毛利元就が嫌いなのである。


140127