06


登校して教室に入って、荒北くんと挨拶を交わした。そこまでが俺のいつもの朝だったはずなのに。

「……みょうじクン…?」

荒北くんのとある指摘により、それは“いつもの”ではなくなってしまった。

「…どしたのソレェ」
「それ?」
「首」

とんとん、と自分の首もとを突いた荒北くんの真似をして首回りを触ってみた。けれどてんで変わった様子はない。何かついているわけでも、痛みを感じるわけでもない。よくわからなくて首をかしげると、俺の首を見るまではいつものように笑顔を浮かべていたはずの荒北くんの顔から表情がフッと消えてしまった。ああ、これは、怒ってる時のやつだ。俺の苦手な。

「…なんか、ついてる?」
「ついてる」
「えー…でも、なんにも感じないんだけど…」
「キスマーク」
「え」
「キスマーク、ついてる」

みょうじクンって彼女いたんだ?

声はいつも通り落ち着いた掠れ気味のものなのに、表情がない。けど雰囲気でわかる。今彼は、確実に怒っている。その理由がわからかいけれど、それ以前にキスマークってどういうことだ。彼女なんか出来た覚えはないし、誰かにそんなものをつけられた覚えももちろんない。

「…それ、なんの冗談?」
「オレがそんなクソつまんねー冗談言うと思う?」
「っ!」

パシャリ。いつの間に出していたのやら、荒北くんの手に握られていたケータイが音を立てた。ほら、と見せられた画面には俺の首もとと、赤い痕。思わずその箇所を擦る。腫れているわけでも切れているわけでもない。痛みも痒みも何も感じない。じゃあ、これは、本当に?

「……その顔、ほんとに身に覚えないっつー顔してんネ」
「だっ、て、」

わからないんだ。本当にわからない。学校にいる間はもちろん、家に帰ってからはずっと一人だったし、外出もしてない。つまり帰宅後はずっと一人だったんだ。さっき言った通り彼女だっていない。なのに、どうして。

すっかり困惑しきった俺を見た荒北くんの顔が、無表情なそれから一変、どこか難しそうな顔になった。何か思い付いたような、気になることがあるような。

「…みょうじクンさァ」
「?」
「前オレにしてくれた奇妙な声の話、まだ続いてんの?」


ーダァイスキー

ああ、そうだ、荒北くんには話してたんだっけ。その話をした翌日以降も、もちろん今日だって聞こえてた。でもどうして今そんな話を、なんて聞くほど鈍感な方ではなかったから、胸がざわつく。もちろん嫌な意味で。

「………まさか」
「けど、」
「荒北くんだって言ってただろ?どうせ俺の気のせいか幽霊だよ」

もうこの話はやめよう。そう言って無理矢理話を終わらせた。荒北くんの方はまだ何か言いたげだったけれど、ちょうどいいタイミングで教師が入ってきたから上手く交わすことができた。その後も出来るだけ話を避けるように接していたら、荒北くんも諦めてくれたらしく、もうその話を持ち出すことはなかった。

そうだよ、気のせいだ。気のせいに決まってる。このおかしな痕だって、きっと知らないうちにどこかでぶつけたとか、寝ぼけて掻いてしまったんだ。だから、大丈夫。











ーダァイスキー

「っ!!」

瞬間鋭い痛みを感じて飛び起きた。真っ暗で何も見えない。多分、誰もいない。けれど今まで以上に鮮明に聞こえてきた。そしてさっきの痛み。自然と息が上がるのがわかった。

(うそだ、うそだ、うそだ、)

覚束無い足取りで洗面所まで走って、電気をつけた。鏡に写った自分の顔はひどく歪んでいて、その首もとには、明らかに赤い痕が増えていて、

「…え、」

恐る恐る触れると、そこは微かに湿っていた。一瞬息が止まったその時、リビングから音が。窓の閉まる音、だ。まさか、そんな…!

急いでリビングに戻っても、もうそこには誰もいない。けど、いた。いたんだ。さっきまで、俺に気付かれないように、ここにいたんだ。誰かが。

「………嘘、だろ…」

俺はそこでようやく事の大きさに気付いて震えた。







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