「やぁーっと来た」

中庭のベンチに座っていたみょうじさんはそう言って笑って俺を見た。式が終わってすぐは人だらけで騒がしかったここももうすっかり散り散りになってしまって、とても静かだ。

「……チャリ部の方行ってたんで、遅れました」

何でもないようにそっと隣に座った。チャリ部の方に行ってたってのは本当のことだ。嘘なんかついてない。なのにどうしてそんな風に笑うんだろう。まるで全部お見通しだって顔して。いつだってそうだ、何を隠していたってこの人はすぐに見つけてしまう。けど、今日は俺だって譲れない。前々から決めてたんだ。今日は絶対、

「チャリ部ねえ。この三年間嫌ってほど絡んできたけど、そいつらともお別れだと思うと寂しいもんだぜ」
「そのわりには清々した声してますけど」
「だって清々してるもん」
「でしょうね」

見なくてもわかる。きっとすっごい嫌な笑顔を浮かべてるんだろう。この人らしい。

「……電話、ちゃんと出てくださいね」
「ん」
「メールもそうだけど、どんだけ遅くなってもいいから、ちゃんと返してくださいね」
「ん」
「休みの日はすぐ教えてくださいね、日にち合わせて行くから」
「ん」
「浮気したらぶっ殺しますからね」
「こわっ」
「体調には気を付けてくださいね。ダルいからっつってご飯抜いたりとかしちゃダメですよ」
「母ちゃんかよお前」
「自撮り一日に最低一枚は送ってきてくださいね」
「めんどくさ」
「何かあったら隠さずに何でも話してくださいね」
「……ん」
「仕事の愚痴とかあったらいくらでも聞くし、何時間でも付き合うから、いつでも連絡してくださいね」
「ん」
「……それから、」
「なあ」

それから、それから。とにかくなにか話題を。言葉が途切れないように。

「何でお前こっち見ないわけ」

喋り続けてないと、違うことに意識を集中させとかないと、

「みょうじさん寂しいんですけどー」

決めてたんだ。今日は絶対泣かないって。笑って見送るって。なのに、やっぱりそんな俺の考えなんか知ってたって風に笑うこの人の顔を見ただけで、簡単に決意が揺らいでしまう。

「……これでいいスか」
「目ェそらしたからダメー」
「…………」
「なんでそこで睨むんだよこえーよ」

わかってるくせに。こうでもしてなきゃ、最後の最後にまたダセェ姿見せちまうだろ。最後くらいかっこつけさせてくれよ。

「まあいいや。そろそろ帰るし」
「…………」
「精々頑張れよ。部活も、勉強も」
「……はい」

返した言葉は震えていなかっただろうか。ちゃんと笑えていただろうか。

これ以上一緒にいたらボロが出てしまいそうだから早く離れたい。みっともなく泣いて、またどうしようもなくすがってしまいそうで怖い。でもその反面、もっとずっと一緒にいたい。こうして学校で会えるのは今日が最後なんだ。明日にはあっちに行ってしまうから。もちろん見送りには行くけど、でも、

「んで、さっさと合格決めて」
「はい」
「ちゃんとこっち来いよ」
「はい」

もうわかったから。嫌がられたって行くに決まってるだろ。だから、行くなら早く行ってくれ。



「こっち来たら、一緒に住むか」


瞬間、息が詰まった。


「…………はっ……ぇ……」
「あれ、言ってなかったか。俺あっち行ったらアパート借りる予定だから」

お前がよければだけど、なんて、俺の答えなんか知ってるくせに。

「…はー、お前ほんと泣き虫」
「だっ、れの、せいスか…っ」
「はははは」
「わら、い、事じゃ、」
「俺さあ、意外とお前の泣き顔好きだぜ」

ああもう最悪だ。ほら見ろ、止まらなくなった。やめてくれ。これ以上掻き乱さないでくれ。

「ま、泣き顔だけじゃねーけど」

柔らかい笑顔も、少し掠れた声も、優しく触れてくる手も、しばらくお預けなんだ。だったら今ちゃんと覚えとかないと。次に会うときまで、耐えられるように。寂しくなってもすぐに思い出せるように。

「お前がいつでもそうでいてくれたように、俺もお前の全部を愛してる」
「っ…は、ぅ…みょうじ、さ…」
「…愛してるよ、雪成」

絶えず漏れる嗚咽ごと噛みつかれた唇が甘く痛んで、もうこの人のこと以外なにも考えられなくなる。

きっと俺はこの人か俺のどちらかが死ぬまで、みょうじさんのことを離してあげられないんだろうなと思った。それでいい。それがいい。あんたもそう思ってるでしょ?なあ、みょうじさん。俺も愛してるよ。これからも、今まで以上に愛して愛して愛して、俺のことしか考えられなくなるようにしてやるよ。離れてた一年なんてあっという間に埋めてやる。だからそれまで、待っててくれ。すぐ会いに行くから。





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