走りながらいろんなことを考えた。荒北さんが教えてくれた通り、きっとあの人はいま図書室にるんだろう。会って、何を話そう。何から話せばいいんだろう。結局忘れるなんて無理でした。バレないようにずっと見てました。あれから四六時中ずっとあんたのことばっかり考えてました。けど、どれもこれもきっと気付いてるだろ、みょうじさんなら。それでも何も言わない。顔も見せない。声もかけない。連絡もない。それなのに、会って何を話せってんだ。まず目も合わせてくれないんじゃないか。このまま会いに行ったって、何事もなかったみたいに、するりと俺の目の前から消えてしまうんじゃないのか。会いに行くのが、心底怖い。だってあれ以来一言も話してないし、会ってないし。それでも足は止まらなくて、気付けばもう図書室の前まで来ていた。

息を整えて、汗を拭って、深呼吸をひとつ。静かに中に入り、あの人の姿を探した。


「……はあ…何の話をしでかすかと思えば…」

どこだろうと奥へ進むと、声が聞こえた。ビタリと足が止まる。みょうじさんが、すぐそこにいる。この本棚の向こうにいる。あと数歩歩けば姿が見える。話せる。心臓がうるさい。拭ったはずなのにまた汗が流れてきた。けど、誰かと話してる。しかもこれ、俺の話だ。

「…あのまま一緒にいたら、ダメだったんだよ」

(っ、)

「あいつが不幸になる」



そのあとの会話はほとんど右から左へって感じで、頭に入ってこなかった。気付けば荒北さんと付き合ってるおっきい人が図書室から出ていってしまっていて、それに合わせて、やっと本棚から姿を現した。

驚いたように俺を見るみょうじさん。すぐに悔しそうに顔を歪めたみょうじさん。頭を掻いて何か考え事をしてるみょうじさん。立ち上がろうとしていた姿勢からまた椅子に座りなおしたみょうじさん。みょうじさんがいる。みょうじさんが、俺を見てる。嬉しい。そんな気持ちとは裏腹に、なぜか涙が出そうになった。会いたかった。ずっと。もう二度と話せないと思ってた。見てくれないと思ってた。だからこれだけで十分だった。さっきの言葉を聞くまでは、だけど。

促された通り俺も静かに椅子に座った。こんなに近付くのは本当に久しぶりだ。

「いや、なんで隣座るんだよ…普通向かいに座るだろ…」
「…ここでも、向かい合わせになれます」
「なれるけどさあ…ったく…」

渋々俺の方を向いたみょうじさんは呆れていた。でもちゃんと俺の目を見てくれてる。ああ、俺、ちゃんと喋ってる。みょうじさんと。

「それで、」
「なんスかさっきの」
「!」

けど、おかしいな。さっきの話聞くまでは、何話そうとか話せるかなとか不安だったのに。

「俺が不幸になるって、どういうこと」

今は真逆で、すらすらと言葉が出てくる。

「あんたと一緒にいることで、俺が不幸になるって?さっきそう言ったよな?」
「……言った」
「誰が決めたんスか」
「…決めたも何も、事実だろ」
「違う」
「は?」
「俺の不幸は、あんたの傍にいれなくなることだけだ」

傍にいさせてくれなきゃ、傍にいてくれなきゃ、名前が呼べない。名前を呼んでもらえない。触れられない。触れてもらえない。話せない。話してもらえない。

「だから俺の幸せは、あんたとずっと一緒にいること」
「………」
「それは、それだけは、いくらみょうじさん相手だろうと譲れない。他の誰にも変えられない。俺の幸せも不幸も俺が決める。あんたにだって、勝手に決められたくない。勝手に一緒にいることが不幸だなんて言わないでください。たとえあんたから見たら不幸だろうと、壊れそうだろうと、惨めだろうと、俺は、あんたと一緒にいたい」

つーかもうとっくにぶっ壊れてるし。いつものみょうじさんみたいにへらりと笑ったつもりなのに、目頭が熱くなってきた。泣くな。泣いたらまた困らせる。もうこれ以上困らせたくない。

「だから、こないだのお願いは、やっぱり聞けねえっス」
「……お前…」
「あんたがそれで幸せだって言ってたから叶えようと思った。なのに俺のためだったとか、笑えねえし」
「………」
「……それに、やっぱり、無理だったし。忘れる、とか」

忘れるとか、そんなの無理に決まってるだろ。もう知りすぎたんだから。なにもかも。

「……だ、から…だから…待ってて、ください」
「!」
「絶対、行くから。そっちに。ちゃんと、一年我慢する。たまに、会いに行くくらいは、許してくださいね。そんで、インハイも一位取り返して、自慢しに行く。絶対。進学か、就職か、わかんねえけど、絶対、そっち行きます。だから、」

「だから、もう一回、俺と付き合って。みょうじさん」

やっぱり何をどう頑張ったってあんたを忘れるなんて不可能だし、今後あんた以外の誰かを好きになることなんか出来ない。それならちゃんと我慢する。信じる。離れてても大丈夫だって、信じるから。

耐えてたはずの涙はいつの間にかぼろぼろこぼれていた。いつも優しく拭ってくれていたみょうじさんの手は動かない。それでも、俺は

「……はあ」
「!」
「耐えられると思ってたのに。一年くらい」
「っ、耐え、ます!ちゃんと、我慢する、から」
「お前じゃねえよ」

いつも浮かべてる余裕そうな笑顔が、くしゃりと歪んでいく。

「なんでさあ、お前、一年違いで生まれてきたんだろうなあ」
「…みょうじさん……?」
「……お前ばっかり寂しいとか思ってんじゃねえよ」
「え、」
「お前が、そうやって、自分ばっかり寂しいみたいなこと言うから、言えなかったんだろ」

頭が混乱してる。みょうじさんの言いたいことが理解できないんじゃない。ただ、都合よく解釈しそうで怖い。理解したいけどしたくない。

「…なんで、」
「あ?」
「なんで、今さら、そんなこと言うんスか…っ…」
「なんでって」

せっかく我慢しようって、耐えようって思ってたのに。行かせたくなくなるだろ。なのに。

「好きだからだろ」

そのまま強引に抱きしめられて、心臓が止まるかと思った。

「みょうじさ…っ」
「絶対無理じゃん一年とかさあ。なげーよ。しかも距離遠いし。絶対無理じゃん。耐えれるわけねえじゃん。だから、さっさと別れようって決めてたのにさあ」
「あ、の」
「しかもお前やったらめったら勘鋭いしどんどん束縛してくるし最終的になんでもお願いして〜とかどこのドMだよキモすぎ。あん時俺が内心どんだけ引いてたか知らねえだろお前。マジでキモかったからなお前」

軽快に飛んでくる暴言はいつも通りなのに、どこか震えていた。俺の肩が湿ってるのはきっと気のせいじゃない。

「どうすんの。このまままた付き合って、大丈夫なのかよ。ほんとに耐えれんのかよ。一年だぞ?一年。もう簡単に会えなくなるし、俺なんかこのまま就職だからくっそ忙しくなるだろうし、連絡だって疎かになるだろうし、今まで以上に、不安にさせるの、わかってんだよ、だから別れたのに、お前、ほんっと、馬鹿だよな」
「……馬鹿で、いいです」

涙が止まらない。声なんかみょうじさん以上に震えてるし、うまく喋れねえし、伝わってんのかもわかんねえ。漏れる声はほとんど嗚咽だった。

「そ、れでも、おれ、あんた、だけ、の、ものでいたい」

そんで、あんたもずっと俺だけの人でいてほしい。それが叶うならいくらでも耐えてやる。不安なのはあんただって一緒なんだろ?そんなの俺が全部吹き飛ばしてやるから、大丈夫だから、俺のこと信じてて。俺も、ちゃんとあんたのこと信じてるから。

足りない言葉を補うように強く強く抱きしめ返した。ぐえっと蛙が潰れたような声が聞こえた気がする。

「おま、か、加減しろ!」
「いてっ」
「痛いの俺の方だから!圧死させられるかと思ったわ」

頭を叩かれたので少しだけ腕を緩めると、ん、と手を差し出された。

「……握手?」
「まあ、なんだ、あ、改めてっつーことで…」
「…握手より、こっちの方がいい」

ス、と指を絡める。もう一方の手も、同じように絡めて、ぎゅうっと握った。

「げえ、恋人繋ぎ痛いんだよな」
「簡単には、離れないでしょ?」
「ソウデスネー」

スンと鼻を啜ったみょうじさんはすっかりいつも通りだった。けど、まだ濡れてる目元が切なくて、愛しくて、

「…好きです」
「……あー…お…俺も、好き…」
「そんな可愛いこと言わないでくださいここで押し倒されたいんですか」
「お前なんなのさっきまでアホみたいに号泣してたよね?なに?演技?さっきの演技だったの?」
「……ちゃんと、待っててくださいね」
「…お前こそ、留年とかしたら今度こそマジで別れるからな」

そう言って挑発的に笑う顔を見て、やっぱりこのみょうじさんが一番好きだなあなんて思った。

「愛してます。死ぬまで、ずっと、俺と一緒にいてくださいね」

繋いだ手もそのままに、ふっくらした唇にキスをした。







(仕方ねえから一緒にいてやるよ)


160719