▼ おもいおもい
「………」
またか、となまえは開きかけた目を静かに閉じた。ずしりと感じる温もりを帯びた重さ。耳元に聞こえるか細い寝息。そして首もとにある、手甲。
戦から離れて過ごしているうちに、ずいぶん深く眠れることが多くなった。その度に何度も何度も繰り返されるこの仕打ちに慣れたことは一度もない。ただ一番最初にされた時ほど驚きは少なくなった。それでも下手に抵抗できないのは、この手甲のせいである。独特の形をした扱いの難しいそれをいとも簡単に操る彼こそが、この重りの正体だ。少しでも首を動かせばその瞬間ざくり、だろう。男の正体が心を許した彼でなければ冷や汗の一つや二つ流れるものだが、彼の性格上、どちらかといえばまったく知らない忍び相手の方がよっほど可愛いとなまえは思った。
なぜ男…小太郎が、こうして毎夜毎夜布団のようにのし掛かってきているのかはわからない。しかし朝になれば勝手に帰ってしまっているし、こののし掛かり以外にされることも何もない。ただ少々重くて命の危機を感じるだけである。ほんの少し我慢すればすむことなので、なまえ自身下手に抵抗することはなかった。
はあ、と一つため息を漏らし、もう寝てしまおうと再び深い世界に意識を任せようとした、その時。ふう、と耳に直接息を吹き掛けられた。
「っ!」
さすがに驚いたなまえは思わず体を震わせてしまった。瞬間ぷつりと首に刺さる手甲。彼だからこれだけで済んだものの、常人ならばもっと深く傷付けられていただろう。鋭い痛みに少しだけ冷静になれたなまえは、一呼吸おいて声を発した。
「……小太郎くん」
「………」
「…起きてるだろ」
「……ククク…」
返事の代わりに返ってきたお馴染みの笑い声は肯定以外の何物でもなかった。
「痛かった。し、ずっと思ってたんだけど重いから。君」
「動いたうぬが悪い」
「そう仕向けたのは君だろ」
「クク…まさか耳が弱いとは知らなかったのでな…」
「……何なんだよ最近。一緒に寝たいなら素直にそう言えばいいだろ。こんな物騒なやり方…」
もう一度ため息を吐くと、また返ってきた笑い声。駄目だ、こいつ真面目に聞く気ないなと説得を諦め、早く寝ようと口を閉じた。
「…随分府抜けたものよな…敵の前でそう簡単に気を緩めるか」
「敵って…君のこと敵なんて思ったことないけど」
「その甘さが命取りになる…今、この瞬間、息をしていること自体が奇跡だと思え」
「…その気になればいつでも殺せる、ってか」
「我だけではない。万が一、ということもある。どこの馬の骨かもわからぬような奴に殺されてみろ…それこそ許さぬ」
小太郎の言葉は低く小さい声で囁かれていたが、一つ一つがずんとのし掛かるほど重たいものだった。
「それならいっそ我がこの手で葬ってくれる」
本気なのか冗談なのか。そもそもこの男の本気の言葉など聞いた覚えはないはずだとぼんやり考えながら、なまえはしばらくどう返せばいいのか悩んでいた。しかし眠気が邪魔をしてどうもいい答えが思い付かない。
「…ん…まあ、歪んだ愛情表現として受け取っておくよ」
「……クク…」
笑った、ということは間違いではなかったようだ。安堵したなまえは、今度こそ意識を手放した。
「…おやすみ、可哀想ななまえ」
自分に目をつけられたその日から、可哀想なことに違いはない。小太郎はまた一人笑ったが、それを聞いた者は誰一人としていなかった。
140124
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