泉田くんの言葉を聞いてからその日一日は気が気じゃなかった。授業が終わったあとも部活中も帰宅中も家で過ごしてる時でさえ神経が最高に研ぎ澄まされていたと思う。まあ結局何もなかったわけだが。でも、ほんと、意味が、分からない。なんで?なんでわざわざそんなこと企んでるの?自転車競技部のみなさんはそんなにお節介さんだったの?まずどうしてそういう作戦を決行しようと思ったの?せっかく荒北先輩のためにと思って別れ切り出したおれの勇気台無しなんですけど?それに他の誰でもない荒北先輩が一番迷惑だろこんなの。おれだって今さらやっぱり取り消してなんてとてもじゃないけど言えないし。本当に、意味が分からない。自転車競技部怖い。

「どうしよっかくろべえ〜」

膝の上でドーンと寛ぐくろべえとは入学以来からの大親友(猫)である。体を撫でてやると嬉しそうに喉をならしていた。可愛い。ちなみにくろべえとはおれが勝手に付けた名前だから周りに人がいない時にだけ呼んでいる。くろべえ可愛い。

「……今さらもう無理だよな。大体、あの人が一番に拒否するだろうし」

というか別れてから一度も会ってない。当然だ、付き合ってる頃でさえ会おうとしなければ会えなかったんだから。それほどの距離感。もうこのまま卒業までこの調子でいれば会えずに済むんじゃないだろうか。あとは自転車競技部のみなさんの謎の作戦をことごとく回避していれば問題ないだろう。頑なに拒否してれば、あの人たちだって諦めてくれるだろうし。それまでおれのストレスゲージがぶっ壊れなければの話になるけど。

「今日はまだ誰にも会ってないし、この調子で……あっ」

よしよしと話し掛けていると、不意におれの膝から飛び降りたくろべえ。なんだ、愚痴ったから怒っちゃったのか?

「おーい、くろ…」
「んだァ?こんなとこいたのかよくろべえ……」

てってってと歩いていったくろべえを追い掛けて校舎裏から出ると、そこにいたのは、

「……みょうじ…?」
「っ、」
「あ、おい!」

くろべえと誰かの足元が見えた。視線を上げなくても分かる。何日かぶりに聞いたその声は、少し高くて掠れ気味の、おれが大好きだった、荒北先輩の声だ。頭がそう理解した瞬間、弾かれるようにその場から逃げ出した。

なんでこんなとこに?なんでよりによってこんな時に?なんでくろべえの名前知ってるんだ?なんでおれのこと追いかけてるんだ?あ、待てよ、部員じゃないおれが知ってるんだ、部員である荒北先輩ならとっくの昔に知ってるはずだ、自転車競技部のみなさんのトンデモ大作戦。ヤバイこれ捕まったら絶対キレられるやつ!死ぬ気で逃げないと!ああでもおれただでさえ足に自信ないのにこんなの逃げ切れるわけが、な、

「いっ、うんっ…!?」

曲がり角を曲がった瞬間、窓からひょいっと体を持ち上げられたと思ったら、廊下にいた。びっくりして声を上げようしたら口を塞がれて、見上げるとそこにはおれと同じように屈み込んでいた葦木場くん。しーっ、と口元に人差し指を当てておれを見る葦木場くんは、どうやらおれを助けてくれるらしい。困惑しつつも大人しく従っていると、おれを呼ぶ声と騒がしい足音は遠くへ行ってしまった。

「……行ったね」
「………あ…ありが、とう…」

ようやく離された手。まだ胸はバクバクとうるさいし、頭が混乱してるけど、一先ず助かったようだ。改めてお礼を言うと、気にしないでという言葉が柔らかい笑顔と一緒に返ってきた。

「でも、び、びっくりした…まさか廊下から拾い上げられるとは…」
「俺もびっくりしたよ〜。廊下歩いてたら荒北さんの叫び声がしたからさあ。しかもみょうじくんの名前呼んでたし」
「……葦木場くんは、トンデモ作戦には参加してないのか?」
「トンデモ?」
「あ、いや、こっちの話…」

危ない危ない、この呼称はおれが勝手に考えただけなんだった。でも、葦木場くんもたしか自転車競技部だったはずだ。去年同じクラスだったから覚えてる。それなら逃げるおれよりも荒北先輩の味方をしてもおかしくないのに。

「……葦木場くんも、さ、もしかして、おれと荒北先輩のこと…」
「え、知ってるよ?全部聞いてる」
「うっ…や、やっぱり…」
「荒北さん毎日嬉しそうに話してたからね〜」
「……え?」
「なのに今はまるで真逆だからさ、みんな心配してるんだ」

ポリポリと頬を掻きながら困ったように笑う葦木場くんは、今、なんて、

「もちろん俺も、また二人に戻ってほしいって思ってるよ?でも、みょうじくんがもう無理だって思ったから別れたんでしょ?それなら、わざわざまた元に戻らなくてもいいんじゃないかな、とも思ってる」
「……葦木場くん…」
「みょうじくんは十分我慢したんだから、もう我慢しなくていいんだよ?」

我慢、かあ。

葦木場くんは、天然さんなイメージがあったんだけどな。こんな的を得たような発言するんだ、意外。

「それじゃ、俺かくれんぼしてたからもう行くね」
「かくれんぼ?」
「うん。見つからないようにそろそろ移動しなきゃ」

この年でかくれんぼか。そそくさとその場から立ち去ってしまった葦木場くんは、やっぱり不思議なタイプの人間だなあと思った。



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