月光 | ナノ






「ありがとうございましたー」

若い男の店員の声を背にコンビニを出た。久しぶりにこんな時間に外出したなと、すっかり真っ暗になってしまった夜空を見上げて呑気に思う。まだ五月なのに少し歩いただけでじんわり汗をかいてしまった。そよ風が気持ちいい。

外出届を提出しているとはいえそろそろ戻らないといけない。もう19時前だ。辺りに学生の姿は見当たらない。ところどころに設置されている街灯を避けるようにして夜道を歩いた。

夜はいい。見知ったやつがいないようなこんな場所は特に好きだ。忌々しいこの銀髪が目立たないし、騒ぎ立てられることもない。自然と口角が上がる。あいつが入学して以降、こんな風に笑うことが減った気がする。ただでさえ表情が乏しいって自覚があるくらいなのに。

「黒田?」

完全に気を抜いていたその瞬間、名前を呼ばれて肩が跳ねた。誰もいないと思っていたから余計に驚いたのだ。久々に聞いたその声に素早く振り向く。荒北くんだ。自転車に乗っている。部活帰りだろうか。

「ハッ、やっぱ黒田だった」
「……荒北くん。部活、今終わったのか?」
「おー。明日休みだからちょっと長めに走ってたんだヨ」
「そうなのか。お疲れさま」

中学の頃も、そうやって努力していたからあんなに輝かしい成績を残せていたんだろうな。あの頃から遠い存在だった彼が、またどんどん遠くなっていく。そんな気がした。

うまく笑えているだろうか、俺は。あれからまだなにも話せていない。顔を会わせれば軽い挨拶くらいはしていたから、荒北くんには俺の変化はバレていないと思う。失礼のない程度に距離を開けていたから、こうして立ち止まって話をするのは本当に久しぶりだった。だからと言って長居するわけにはいかない。適当に流して早く寮に戻ろう。

「黒田は?こんな時間に買い物かヨ」
「あー、まあな。ちょっと欲しいものがあって」

本当は前みたいに雪成の無茶な要望に付き合いたくないから出てきただけなのだが、伝える理由はないだろう。

「荒北くん、疲れてるだろ。俺に合わせなくていいから先に帰って休んでくれ」
「お前さァ、」
「!」
「最近俺のこと避けてるよな?」

どくりと、心臓が鳴る。

「避けるって、そんな理由もないのに?」
「惚けんなよ。あんだけよそよそしいとさすがに気付くっつーかァ…」
「…………」

バレて、いた。さりげなく距離をとっていたつもりだったのに。どうしよう。怒らせてしまっただろうか。失望されてしまっただろうか。どう返そうか悩んでいると、荒北くんはハッ、と笑った。

「いーよ隠さなくて。聞いたんだろ?」
「え」
「弟から」

聞いた?弟?雪成のことか?なんのことだ、やっぱりこの二人、なにかあったのか?けど俺はなにも聞けてない。話が見えず答えあぐねている俺を見て肯定だととったらしい荒北くんは、諦めたように言葉を続けた。

「……自分の弟を悪く言う奴なんざ、避けて当然だよな」
「!」
「悪かった」
「ちょっ、待ってくれ、荒北くん。話がわからない」
「あ?聞いてなかったのォ?」

やぶ蛇だったかァと頭を掻きながらぼやく荒北くんは、雪成を悪く言ったと言っていた。荒北くんのことだ、なんの理由もなしにそんなことをするとは思えない。きっとあいつがまた生意気な態度を取ったからだろう。それはあいつの自業自得だし、そうでなくても俺にとってはどうでもいいこと。だから荒北くんが俺に謝る理由なんてないし、むしろ俺の方が謝りたいくらいだ。

「入部してすぐのことだヨ。明らかに生意気なニオイプンプンさせてやがったから、クソエリートだなんだっつって、勝負して、あいつの天狗鼻をへし折ってやった」
「………」
「そのことをあいつから聞いて、気ィ悪くして避けてたんだと思ってた」
「……そ…」
「!」
「クソ、エリート…?」

荒北くんの言葉を復唱した。

あの、才能に溢れた、中学ではヒーローだった、敵なんかいなかった、勝ちしか知らなかったであろう雪成が、負けた?

「……ぷっ、」
「……黒田?」
「あっははははははははははは!!!クソ、クソエリートって!!ナイスネーミングだなそれっ!!ふはははは!!」

思わずしゃがみこんでしまった。腹が痛い。クソエリート。うん、その通りだ、間違いない。これほどまでにあいつに相応しいニックネームがあるだろうか。ああだめだ、笑いが止まらない。しかもあいつ、負けたんだ。あれだけ言ってたくせに、負けたんだ。だからこの間あんなに動揺していたのか。俺に知られたくなかったから。残念だったなァ雪成。本当、ざまあみろって感じだ。

笑いすぎて涙目になってきた。そろそろ落ち着こうと深呼吸をして立ち上がる。しかしまだ堪えきれずに口が緩む。だめだだめだ、俺のクズみたいな性格がバレてしまう。いや、もう手遅れか。しかし立ち上がって見つめた先にいた荒北くんは、どこか安心したように俺を見ていた。

「…んだヨ、そんなウケると思わなかったぜ」
「いや、だって、ふふ、まさにその通りだなって」
「ハッ……よかった」
「え」
「嫌われてたんじゃなかったんだな、俺」

ああ、そこに安心してたのか。嫌うはずがないだろう。中学の頃の憧れで、この学校で唯一友達と呼べる存在である君を。むしろ今の俺を見て嫌わないだろうかと逆に心配になった。

「けど、それならなんで俺のこと避けてた?」
「それは……荒北くんがぎこちなかったから、弟がなにかしでかしたんだと思って顔を合わせづらかったんだ」
「ぎこちなかった?」
「弟が自転車競技部に入ったって話した時だよ」

あの時は本当に負けてしまったからなんじゃないかと思ったけど、これで辻褄が合った。雪成への対応を俺に知られたくなかったからあんなぎこちなくなってしまったんだろう。よかった、これで全部すっきり解決した。

「変な態度をとってしまって悪かった。あいつのことならもう気にしないでくれ」

むしろどんどん追い込んでやればいい。さすがにこれは伝えないが。

「別にいーヨ。俺も誤解が解けてよかった。また明日からは、」
「なまえ!!」
「!」

荒北くんの言葉を遮って飛んできたのは俺の名前だった。振り向かなくてもわかる。ここらで俺のことを名前で呼ぶやつなんて、一人しかいない。

なんで。どうして。行き先なんか告げてなかったのに。

「お前…何してんだよ…!」

それはこっちの台詞だと振り向くと、街灯に照らされた顔が真っ青な雪成がいた。



160306

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