19 部屋に連れてこられて、少し大きめの彼の服を着せられて、髪を乾かされて、医務室から取ってきた救急箱で手当てをされて、食堂で買ってきた菓子パンやジュースを食べさせてくれた。思うように体を動かせない俺に代わって、全部荒北くんがしてくれた。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた彼は嫌な顔一つせず、時折大丈夫かと声をかけてくれた。大丈夫だよと掠れた声で返すと、よかったと笑顔を返してくれた。 荒北くんは、やっぱり太陽だったんだ。ほんの数時間前まで死にたいくらいだったのに。何もかもがどうでもよくなったのに。決して許されない罪を犯した俺でさえ分け隔てなく照らそうとしてくれる。ポカポカ暖かくて優しくて眩しい、大きな大きな太陽だった。 「…眠いか?」 「……ちょっと、つか、れた」 「そうか。なら無理しねえで寝とけ」 「…でも、」 「ここなら大丈夫だヨ。安心して寝とけって」 そっと頭を撫でられる。多分、安心してきたんだと思う。心も体もこんなに落ち着いてる。瞼がひどく重く感じた。 「もうなんにも考えなくていいヨ。全部全部全部、忘れちまえ」 頭を撫でる手と降ってくる声が優しくて、本当になにも考えられなくなってきた。意識がふわふわする。意識が、 「……きた、くん」 「!」 「…が…とう…」 「……もうちょいだからネ、なまえ」 (どうなってんだ…?) ベッドの下に落ちていた服はそのままだった。ならまだあいつは素っ裸のはずだろ。その状態であちこち歩き回れるはずがねえ。そう思って近くを探し回ってみたけど手がかり一つ見つからない。自室にさえ戻った形跡すらなかった。 風呂場にもいない。医務室にもいない。食堂にもいない。それならともう一度こうしてなまえの部屋に戻ってきたけど、やっぱりいない。どこに行ったんだ、なまえのやつ。 まず逃げたとして、服もなにも着ずにそのまま抜け出そうとするか?それ以前に体は自由の利かない状態だったはず。どれをとっても一人で逃げるにはハンデが多すぎるだろ。 (……待てよ、じゃあ、) 一人では無理。なら、協力者がいるってことか?けどケータイはこの部屋の机の上に放置されてる。連絡するのは不可能のはずだ。それならどうして?誰だ?誰が連れ去った?そいつはどうしてなまえのいる場所が俺の部屋だとわかった?なまえの姿を見てなお匿おうとしてるのか?いったい誰が、 「何してんだよ、黒田」 「!?」 呼ばれた声に驚いて振り返る。そこにいるのは荒北さんだった。 「…なんで、ここに…練習は、」 「今日は休みもらった。オメーこそ練習行かねえで何してんだヨ」 「俺は…その…」 「つーかそこ邪魔。どけ」 「っ、」 淡々とそう告げると、俺を押し退けなまえの部屋に入っていった荒北さん。机の上に放り出されてたケータイを手に取ると、そのまま何もなかったかのように部屋から出ていこうとした。 「ま、待ってください」 「…ああ?」 「それ、なんで、なまえのケータイ、どこに持ってくんですか?」 「あー…さすがにケータイくらい持ってねえと不便だろあいつも」 「あいつ、って…!」 なんだよそれ。なまえは今あんたのとこにいるってのか?じゃあ、もう全部知ってるんじゃ… 「…なんで、そんな普通なんスか」 「普通?なにが」 「……見たんじゃないんですか、あいつの体」 「………」 どうしてこの人がなまえを助けたのか。そんなことはもうどうでもいい。理由なんか興味はない。なにが狙いかは知らねえけど、とりあえず早く奪い返さねえと。 自然と体に力が入る。そんな俺とは正反対で、荒北さんはひどく落ち着いていた。しかも、笑ってる? 「…ああ、見たぜ。それに本人からも聞いた」 「……なのに、助けたんスか」 「当然じゃナァイ?だって俺もオメーと同じなんだヨ。あいつを愛してる」 「…違う。同じじゃない」 「は?」 「俺はあんたなんかとは比べ物にならないくらい愛してる。そんな1年2年一緒だったくらいで、軽々しく愛してるなんて言うな」 そうか、この人、ただのあいつのクラスメートだと思ってたのに。敵だったんだ。やっぱり邪魔だ、この人。本当に。 「それに、もうあいつの頭ん中は俺への憎悪でいっぱいっスよ。あんたなんかがいくら助けようとしたところで…」 「ハッ!」 「!」 「気楽なもんだよなァエリートチャンはさァ。愛してる愛してるって馬鹿みてえに求愛してそれで満足ってかァ?」 「…何が言いたいんスか」 「さっき言ったよな?なんでそんな普通なんだって。普通じゃねえよ。なまえのこと見つけた時、腸煮えくり返って叫び散らしたかった。今だってオメーのことぶっ殺してやりてえくらいイラついてんヨ。でも、同時に、感謝もしてる」 何言ってんだ、この人。感謝?俺に?なんでそうなる。意味がわからない。 「オメーがあいつを苦しめれば苦しめるほど、傷付ければ傷付けるほど、追い詰めれば追い詰めるほど、逃げ場を無くせば無くすほど、あいつはどんどん俺に依存する」 ざわざわと嫌な胸騒ぎがする。荒北さんの纏う雰囲気ががらりと変わった。 「オメーに心底傷付けられて、もう何もかも終わったって絶望して、それでも寄り添おうとする俺に体を預けてくれた。分かるか?もうなまえが信じられるのは、頼れるのは、すがれるのは、愛せるのは、俺だけなんだヨ、雪成チャン」 一言一言強調するように囁いたかと思うと、トン、とケータイで胸を軽く叩かれた。そこでようやく気付く。 悪魔のような笑顔を浮かべたその人は、たしかに、俺と同じだったんだ。 「オメーが存在する限り、オメーがあいつを求めようとする限り、あいつの不安や恐怖は一生消えねえ。そしてその分あいつは俺を求めてくるようになる。何かしようってんなら止めねえよ、好きにしろ。全部全部利用させてもらうからさァ」 楽しげに笑う荒北さんはいつの間にか去っていた。呆気にとられた俺は、だらしなく立ち尽くしていて、何故だか幼い頃にたくさん見てきたあいつの笑顔を思い出していた。 160415 |