月光 | ナノ




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褒めてくれる人間は数え切れないほど周りに溢れていた。羨望や嫉妬の眼差しを向けてくる人間もまた同様にたくさんいた。けど、お前は自慢の弟だよっつって頭を撫でてくれるのは、きっと世界中のどこを探してもなまえ以外にいないだろう。その言葉がほしくて、その手で触れてほしくて、褒めてほしくて、認めてほしくて、見てほしくて、何かある度になまえに報告してたし、達成する度にそばへ駆け寄った。なまえはいつだって俺のほしいものをくれた。いつしかそれが当たり前になって、同時に他の称賛なんかどうでもよくなってた。俺はなまえが見てくれるならそれでよかった。

けれど、野球と出会ってなまえは変わってしまった。

『ごめんな雪成。兄さん、練習があるから行くよ』

中学に入ってから本格的に野球にのめり込んだなまえ。ただでさえ登下校が別になって、一緒に過ごす時間も減ったのに。家族なんだから、兄弟なんだからその程度のことでって思われるかもしれないけど、俺にとっては一大事で。これ以上なまえと距離ができてしまうのが嫌だった。あまり物事や周囲に関心のなかったなまえが俺以外のなにかに夢中になるのが嫌だった。俺が独り占めしていたはずのなまえが、油断しているうちに外に出ようとしている。そんなことは許されない。許さない。

(きっとこの頃から俺のなまえに対する感情は普通の家族愛とはかけ離れたものになってたんだろう)

中学に上がって、後を追うように野球部に入った。家で嬉しそうに話していた通り、部のエースだったなまえ。練習中も試合中も本当に楽しそうで、それだけ好きなんだなと思い知らされた。それなら、その大好きな野球で俺が頑張れば、また見てくれる。褒めてくれる。だから頑張って活躍したのに。

『すごいな、雪成』

見たかったはずの笑顔からは、嫉妬や悔しさが隠しきれずに滲み出ていた。中学に上がるまでバットも握ったことのなかった俺が、小5から野球を続けていたなまえよりも活躍してしまったんだ。周りは驚いたり褒めてくれたりしたけど、そうじゃない。そんなんじゃない。俺がほしいのは、求めているのは、なまえから与えられるものだけなのに。

笑顔が見たかった。前みたいに満面の笑みで頭を撫でながら褒めてほしかった。なのにまるで真逆の反応が返ってきた。違う。そんなつもりはなかった。どうしよう。嫌だ。嫌われたくない。俺はただお前に見てほしかっただけなのに。

そこまで考えて、やがて一つの答えにたどり着いた。

『もうやめれば?』

いっそ、嫌われればいい。どうせもう笑ってくれない。褒めてもらえない。故意ではないにしても、それくらい傷付けてしまった。それならもういっそ嫌われて、憎まれて、そうして意識させればいい。この世の誰より一番俺の事を嫌えばいい。愛憎は紙一重だなんて、よく言ったものだと思う。どうせ同じ気持ちになれないなら、嫌われてでも憎まれてでも、せめてその心にいさせてほしい。



『お誕生日おめでとう、雪成』

俺の思惑通り、なまえは俺から離れたがって、寮のある高校に進学した。寮からはほとんど帰ってこなくなったけど、それだけ俺の事を意識してるんだと思えばむしろ嬉しくなるくらいだったから、もう俺は相当キテたんだと思う。

『あの子にも連絡したんだけど、なかなか忙しいみたいでね』
『別にいいよ、母さん』

どうせもうすぐ会えるんだから。その俺の言葉にそれもそうだと微笑む両親は、俺の気持ちには気付いていない。志望校は無事合格。でもまだなまえには伝えてない。両親にも口止めしてる。来月寮見学に行く予定だから、その時に驚かせてやるつもりだ。

会いに来た俺を見たら、お前はどんな顔するのかな、なまえ。ただひたすら驚くか?顔を真っ青にしてしまうか?それとも、隠しもせずに憎悪の篭った眼差しで睨み付けてくるか?どれでもいい。なんでもいい。お前が見てくれるなら俺はそれだけで構わない。




『よう、黒田弟』

けど、あの人が現れてすべてが狂った。

『オメーも乗んだなァ、自転車』

高校でも中学の時と同じように、たくさん活躍して、実力の差を見せつけて、どんどん追い込んでやろうって思ってたのに。入部早々敗北した。負けてしまった。俺が負けたと知ったらなまえはどうするんだろう。ざまあみろと笑うだろうか。それだけならまだいい。けど、もし、ずっと抱えてた憎悪が消えて、俺に勝ったあの人へ興味が移ったら。

考えただけでもゾッとする。背筋が凍る。体が震える。呼吸が浅くなる。怖い。嫌だ。

なまえはいつも静かで優しくて、それでいて眩しい、例えるなら、月みたいなやつだった。対して俺は、ドス黒くて目も当てられないような汚い感情を抱えた醜い黒猫。とても太陽の下を歩けるようなやつじゃないから、月であるお前が照らしてくれないと、見てくれないと、何も見えない。呼吸すら出来ない。生きていけない。

(あの人、邪魔だ)

勝たなきゃ。絶対に。そう思って会う時間減らしてまで練習して、一年限定レースも一位とって、なのに、




「なのに、この仕打ちかよ」

すぐ下にあるなまえの顔は、絶望の色を浮かべてた。ああ、でも、その目には、ちゃんと俺が写ってる。

「俺、お前が見てくれるならなんでもする。ずっとそうだったから。すごいことして褒めてくれるんなら頑張るし、憎んでくれるんならお前が嫌がることばっかりしてやる。言うこと聞けってんならなんでも聞いてやる」

それとも、と服に手を掛けた。察したなまえは暴れて抵抗したけど、もう遅い。

「一生消えない傷でも付けてやろうか?」

その体にも心にも俺を刻んでやればさ、嫌でも意識し続けるだろ?

耳元で囁くそれはまるで脅迫。するりと脇腹を撫でてやると、息を飲んだのがわかった。キス自体はずっと前から寝込み襲って何度もしてたけど、セックスはまだだよな。当たり前だ。あの人が現れるまでは、まだそこまでしなくてもなまえの意識はずっと俺に向けられてたから。でも、もうそんな余裕もなくなった。

「心配すんなよ、優しくするから」

繋がる。なまえと。ずっと想像だけで終わってたことが現実になる。舌なめずりをすると涙を浮かべたなまえを見て、どうしようもなく欲情した。




160329

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