月光 | ナノ




10


幼い頃からなんでもできたあいつは俺の自慢だった。すごいな、よくできたな、さすが雪成だ、えらいな、頑張ったな。素直にそう思えたから、そのまま言葉にして言い続けてきた。対して俺にはこれといった特技も趣味もなくて、家族からも周りからもよく比較されていたことを覚えてる。今はもう気にしなくなったけれど。気にするだけ無駄だし。

『兄さんはすごいよ』

それでも幼い雪成だけは俺を認めてくれていた。今思えば誰よりもそばにいたたった一人の弟は、幼いなりに俺がどこかに隠していたはずの気持ちに気付いていたからそう言ってくれていたのかもしれない。けれどその言葉に救われていたのは確かだ。

小5から始めた野球は、思っていたよりもしっくりきて、楽しかった。どんどん夢中になった。こんな気持ち初めてで、そんな俺を見て家族も喜んでくれていた。もちろん、雪成も。中学に上がって当然のように野球部に入って、部長にも認められて、来年のエースは任せたなんて言われて、嬉しくて馬鹿みたいに舞い上がって、荒北くんと出会って、もっと野球が楽しくなって、

なのに、

『すげえ、さすが兄弟!』
『兄貴がすごけりゃ弟もすごいってか』
『弟の方は打つ方専門なんだなァ』

俺の唯一の誇りが、

『なんだよ黒田弟、お前ピッチャーも出来んの!?』
『長距離打者だしピッチングも最上級だし、』

呆気なくかっさらわれてしまった。

『お前、兄貴以上なんじゃね?』


気にするなと言ってくれる奴がいれば、影で嘲笑う奴もいた。それでも俺は俺だと気にせずに続けるつもりだった。

『もうやめれば?』

でも、まさかお前までそんなこと言うなんて思わなかった。

『恥ずかしくねーの?弟の俺とあんだけ比較されてさ』

お前は、お前だけは以前みたいに、そんな俺でもすごいって、認めてくれると思ってた。励ましてくれると思ってた。

『それとも、努力が才能を上回れるとか、そんなダセーこと考えてる?』

けどそれは俺の過信だったんだな。お前は本当はずっとずっと、俺のこと、見下してたんだ。

『いい加減現実見ろよ兄さん……いや、もう兄貴なんて呼ぶのも変な話か』

だって俺に勝てることなんて何一つ無いもんな?

その時は怒りとか悲しみとか全部通り越して、なにも、感じなかった。ただ頭が真っ白になって、目の前の人間が本当に俺の弟だった男なのかもわからなくなるくらい。けど、日が経つにつれ、ただただ憎しみと嫌悪感が募った。こんなにも人を憎んだことがあっただろうか。実の弟に抱く感情ではないのは確かだが、これでおあいこだろう。あいつも俺のことが嫌いなんだから。

なんでもできる優秀な弟。全てが弟に劣る出来損ないな兄。相容れるはずがない。幼い頃には気付かなかった歪みが今になって大きくはっきり見えるようになっただけだ。クソみたいな中学校生活が終わったと思えば今度は高校生活にまで介入してきやがって。卒業後はどこか遠くに出て一人暮らしでもしてやろうか、なんて。








「なまえ」

授業終了後。さっさと帰ろうと下駄箱に着くと、そこには雪成がいた。待ち伏せまでして何の用だと睨み付ける。どこか不安げな顔を見て、そういえば昨晩以来にちゃんと顔を見たなとぼんやり思った。

「……今度、」
「………」
「部内で一年限定の、レースがあんだけど、さ」

なんだ、そのたどたどしい物言いは。昨日も言っただろう。お前が勝とうが負けようが、

「どうでもいい」
「!」

話を遮るようにそれだけ告げて、運動靴に履き替えた。せっかく早い時間に帰れるんだ、ゆっくりさせてくれ。

上靴をしまいロッカーを閉める。ちらりと見た雪成は、まだその場に立ち尽くしている。それを無視して横を通り抜けた。

「……っ、今週の土曜日だ!」
「!」
「10時スタートで、ゴールは、すぐそこの山のてっぺん、だから」

わかんない奴だな。行かないに決まってるだろ。

「来て、ほしい」

絞り出すようなその声は、本当に雪成のものなのだろうか。思わず足を止めてしまった。

「絶対、一番にゴールする。約束する。だから、ゴールで待っててくれ」

吐き出すようにそう告げると、俺を追い越して走っていった雪成。なんだよ、そんな約束取り付けるくらい、お前ならもっと淡々と言えてただろ。来てほしいだって?無理矢理連れてこうとするのがお前だろ。なんだよさっきの。初めて他人に負けておかしくなっちまったのかよ。

「……気持ち悪い奴…」

今さら手のひら返したようにそんな態度とられようと、俺は変わらない。先に亀裂をいれたのは他でもないお前だろう?そう簡単に、いや、もう二度と戻れないよ俺たちは。前みたいな仲良し兄弟になんて。決して。

そう思うのに、どうしてあの時、足を止めてしまったんだろう。




160313

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