あいつのおかげで送れる平和な日常より


「素晴らしい」

朝起きる。着信履歴もメールも0。登校準備を済ませて部屋を出ても待ち伏せはなし。正門にもいない。下駄箱は綺麗だしあるとしても女の子からのラブレターがほとんど。教室に来るのも女の子もしくは同期の友達だけ。休み時間も昼休みも下校時も至って平和。それから寝るまでの間も基本的に一人。もちろんメールも電話もなし。本当に平和だ。ピースフルワールドだ。素晴らしい。

そりゃあ今度その面見せたら怒鳴り散らしてこてんぱんにして完全に縁切ってやろうとは思ってたけどまさかあっちから離れてくれるとは思わなかった。この平和な毎日は思い出したくもないあいつとの保健室でのやり取りがあった翌日からもう10日は継続されている。はじめの頃は何かの罠かもしくは偶然会わなかっただけかと思ってたけど明らかに姿を見せなくなった黒田。最高だ。あいつを見ないだけでこんなに静かに平和に心穏やかに過ごせるんだ。本当に、素晴らしい。

「そらよかったネ」
「俺地球上で一番幸せだって言える自信ある」
「聞いてねーよ」

昼休みの時間も残り半分を切ってしまった。はあ、とわざとらしくため息を吐いた荒北。なんだその顔。お前の唯一の友達である俺がこんなにも上機嫌だというのに嬉しくないのか。

「……オメーさあ、急に来なくなったあいつのこと気になんねーわけ?」
「これっぽっちも」

ぎゅうううううっと握り拳を作って見せた。だって本当だもん。言っただろ?あいつがこうやって距離置こうとしなくても俺がそうするつもりだったんだし、黒田のやつもさすがに悟ったんだろ。越えちゃいけねえライン越えちまったんだあいつは。自業自得だ。自分からそれを理解して離れたってところは評価してやる。あいつにしては賢明な判断だろ。

「まあ聞かなくても大方わかるよ。すっげー落ち込んでるか逆に吹っ切れて超絶部活一筋マンに変貌してるに500円」
「ふーん」
「……んだよその顔」
「500円」
「は?」
「どっちでもねーからオメーの負け。500円寄越せヨ」
「……マジ?」

ここでちゃんと500円渡してあげる俺の優しさよ。つか、え、どっちでもないってどういうこと?吹っ切れすぎて超元気とか?ついに桜ちゃんと付き合ったからウキウキハッピーマンになってるとか?なんだ、全然わかんねー。まさかとは思うけど、今姿見せないのもただの押して駄目なら引いてみろ大作戦とか言う?それこそありきたりすぎてなんの効果もないし、あの馬鹿がそんな器用なことできるとは思えない。しかし荒北の意味深な笑顔がすごく気になる。そういやあの日以降のあいつのことなんかちっとも知らない。荒北も知ってるはずなのに教えてくれないからだ。

(……別に気になる訳じゃねーけど)

でも、そんな言い方されたら気になるじゃねーか。

「なに、あいつ今どうしてんの?さらにおかしくなったか?」
「さあ?俺の口からは言えねー」
「はあ?テメーここまで引っ張っといてそりゃねえだろ」
「っせ。知りたきゃ自分から会いに行きゃいいじゃねえの」
「死んでも嫌だ」
「意地っ張りだなァオメー……まあ、一つだけ言ってやると、」

「みょうじくん!」

「「!」」

荒北の言葉に耳を傾けていると、ドアから可愛らしい声で名前を呼ばれた。桜ちゃんだ。

「なになに、どしたの」
「ちょっと話があって…今時間いいかな?」
「いーよ、だいじょーぶ」

荒北に軽く手を振って教室を後にした。なんだろ、ついに告ったのかな。わざわざ直で話があるって来たもんな。なにかしら大事かもしれない。さらば俺の昼休み。



「……残念だったなァみょうじ」

オメーもう手遅れだヨ、とさっきの言葉の続きを一人呟いて、もう一度ため息を吐いた。












「で?話って?」

中庭がよく見える廊下にたどり着いて、そこで立ち止まった桜ちゃん。人気がないとはいえ、こんなとこで話せる内容ならメールでもすりゃいいのに。窓を眺める桜ちゃんの隣に立って声を掛けると、彼女はその視線を俺の方に移した。

その目が幾分か暗く見えたのは俺の気のせいだろうか。

「…………桜ちゃん…?」
「みょうじくんは、嘘つきだね」
「え」
「協力してくれるって言ってたのに」 

嘘つき。彼女は笑いながらそう言った。どういう意味だ。唐突すぎて頭が混乱する。意味がわからない。俺は言葉通りずっと彼女のために協力していたつもりだ。全面的に応援したしアドバイスもあげてた。嘘つき呼ばわりされる筋合いも、そんな目で見られる筋合いもない。文句があるならいつまで経っても靡かない黒田に言ってくれよ。ただでさえ最近は相談に乗るのも苦痛になってるってのに。

「……ごめん、ちょっと意味わかんないんだけど。どういうこと?」
「私、黒田くんのこと好きなの」
「知ってるよ」
「ならちゃんと協力してよ」
「だから俺は、」
「してないじゃない!」

笑ったかと思えば今度は泣きながら怒られてしまった。一体なんなんだよ、俺がなにしたってんだよ。

なんなんだよ、どいつもこいつも。癇に障る。

「協力するって言うなら、ちゃんと行動で示してよ!」
「は……?」
「そんな気ないくせに、いつまでも黒田くんのこと、独り占めにしないでよ!」

だから、さっきから何言ってんだって。だいたいあいつはもう俺とは一切関わってない。あいつ自身の意向でだ。なのになんで俺が責められる?俺は何も悪くないだろ。どっちかっつーと被害者だし。上手くいかないからって八つ当たりすんなよ。

「桜ちゃん知らねーの?俺、あいつとはもうだいぶ会ってないんだけど」
「……知らないのはみょうじくんの方だよ」
「!」
「黒田くんは、」

そこまで言った桜ちゃんは、急に言葉を詰まらせた。黒田がなんだよ。荒北といい桜ちゃんといい、勿体ぶらずに言えばいいだろ。なんで隠そうとすんだよ。そんなことされたら、余計気になんだろ。あのどうしようもなく馬鹿でどうしようもなくアホで、どうしようもなく俺のことが好きだった、


瞬間、後ろからものすごい力で手を引かれた。ああ、そうか、桜ちゃんが最後まで言えなかったのはこのせいか。

「……馬鹿黒田」

自分でも笑えるくらい小さな声だったのに、やつの耳には届いたらしく、俺を引っ張る手の力が強くなった気がした。さあ、俺はこのままどこまで連れていかれるんだろうか。あれ以来一言も言葉を交わしていなかったこいつに。





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