金縛りって本当に恐ろしいらしいな


急遽自習になった五時間目の授業。昼休み明けという一番疲れを感じると言っても過言ではない授業が潰れたのでクラスはもうお祭り騒ぎだった。代理で来た教師は多少騒いでも多目に見てくれる中年教師だったこともクラスのテンションアップに拍車をかけたのだろう。もちろん課題はあるが10分もあれば終わるような小プリントだ。ほとんどの奴がすぐに終わらせて思い思いのことをして過ごしていた。

そんな時、こっそり眺めていたケータイがメール受信を知らせてくれた。内容…保健室でふて寝?なんの報告だよと下へスクロールして、すべて読み終えた頃には教室を飛び出していた。

「あっ!?おい誰だ今教室出てったやつ!」
「黒田くんです」
「いくら自習だからって自由すぎるだろ…」










『さっきみょうじから来たメール』

荒北さんから送られてきたメールの一番下にはそう書かれていた。こっそり忍び込んだ保健室は、まるで誰もいないみたいに静かだ。運の良いことに先生も生徒もいない。たった一人を除いて。

出入り口のドアから一番遠い位置にあるベッドだけカーテンが閉められている。そっと開けると、そこにはやっぱりみょうじさんがいた。まさか本当に寝てるとは思わなかったけど。ピンク色した丸椅子をベッド際まで移動させてそこに座る。

「…………うっわ、」

これ、ちょっとヤバイなと他人事のように感じた。ふて寝してくるって内容だったんだから寝てるに決まってるのにどうして会いに来てしまったのか。穏やかな寝顔をもっとすぐ近くで見たくて自分の顔を近付けた。寝息がはっきりと聞こえる。ほんのりみょうじさんの匂いがする。よく見る鬱陶しそうな顔でも怒ってる顔でも焦ってる顔でもない。綺麗な、それでいて無邪気な寝顔だと思った。寝顔なんて初めて見たからそれだけでもヤバイのに。心臓が高鳴る。呼吸が浅くなる。顔が熱くなる。布団を握りしめていたはずの両手がいつのまにかみょうじさんの顔に触れていて、立ち上がったせいで丸椅子なんてもう意味を持たなくなっていた。

無防備だ。誰もいない。誰も見てない。誰も知らない。みょうじさんは寝てるから、実質俺だけが知ってることになる。何をしようが誰にも何にも咎められない。けど、これだけは守ろうってずっと決めてたことがある。ちゃんと好きになってもらうまで無理強いはしないって。焦って迫ってそんなことで嫌われたら俺はもう本当にどうにかなってしまう。だから耐えなきゃいけないのに、気付かれなければセーフだなんて、そんな浅はかなこと考えてる。分かってるんだ、一度触れてしまえばもう我慢なんか出来るはずないって。

「……っ殺すぞ、こら…」
「!」

びっくりした。なんて物騒な寝言なんだ。どんな夢見てるんだか。まだ文句ありげにむにゃむにゃと口を動かすみょうじさんが可愛くてしかたない。

「……殺してください」

もういっそ俺はあんたに殺されてしまいたい。どうせいつか死ぬんならあんたの手で逝きたい。痛いのだって苦しいのだって、あんたから与えられるものならなんだって喜んで受け入れられるんだから。愛しくて愛しくてそれこそ死んじまいそうなほど愛してるのに気付いてくれない。知ろうとしてくれない。冗談なんかじゃないのに。いつだって本気なのに。たくさん触れたい。たくさん触れてほしい。もっと愛を囁きたい。俺だけに愛を囁いてほしい。俺だけを見てほしい。全部全部俺にくれればいいのに。頭の中で夢の中でいったいどれだけこの人のことを犯しただろう。何度も汚して何度も泣かせて何度もイカせて何度も狂わせて何度も好きだって言わせて、でも全部全部幻だ。幻想なんかで終わらせたくない。この人のすべてがほしい。なあ、早く起きてくれよみょうじさん。俺このままじゃあんたのこと、ほんとにむちゃくちゃにしそうで怖い。

「ん…ば、かくろだ……」

なのに、そんな、俺の名前、笑って、言うから













急に息が苦しくなった。呼吸しづらい。体が重い。思ったように動けない。え、まさかこれが金縛り?初めての経験だからどう対処すれば良いのかなんてわかんねーんだけどこれ大ピンチじゃね?たしか自分が一番嫌いなものが迫ってくるとかって聞いたような。じゃあこれで目ェ開けて馬鹿黒田がいたら金縛り確定な。

呑気にそんなことを考えながら重い瞼をなんとか開くと、本当に黒田がいた。超至近距離。あれ、てかお前なにして

「んっ!?むぅっ、」

瞬間意識がクリアになった。くちゅくちゅって音がすぐそこから聞こえる。いつかみたいな真っ赤な顔した黒田が、俺の口に貪りついていた。ふざけんなよこいつついにやりやがった。怒りに任せて蹴り飛ばそうと思ったら布団越しに乗っかられてるから足が動かない。かといって手で押し退けようとしてもびくともしない。

「はあっ、あ…みょうじさ…っ…」
「ひ、」

ようやく離れたかと思えば今度は耳に噛みつかれた。掠れた声に背筋がゾワゾワして気持ち悪い。荒い息が耳から直接ダイレクトに入り込んできて、嫌な汗が出てきた。

「こんのっ、いい加減にしろ!!」
「っ!」

顔が少し離れた瞬間、思いっきりぶん殴ってやった。そのままベッドから転げ落ちた瞬間、同じようにベッドからも保健室からも抜け出して、とにかく走った。走って走って走って、時々振り返って、追いかけてきていないことを確認してはまた走った。そうしてたどり着いた空き教室の隅に隠れて座り込んだ。

心臓がうるさい。思い出したかのように慌ただしく鳴り出した。たくさん走ったせいなのかさっきの出来事のせいなのか、もうどっちでもいい。最悪。ほんっとに最悪。寝込み襲うとか落ちるとこまで落ちたなあいつ。油断してた俺も俺だけど。さあどうする。もう今までみたいに馬鹿できなくなっちまったぞ。他の誰でもない、あいつ自身のせいで。

「…………気持ち悪ィ…」

襲われた。俺が。男に。一年に。押し倒された体制でキスされて、耳噛まれて、されるがままだった。あのまま抵抗してなかったらどうなってたんだ。想像するのも怖い。どっかのブスが言ってたみたいに、どうやら甘く見てたようだ。あいつのこと。

一等恐ろしく感じたのは、俺が目を覚ました瞬間、それに気付いても慌てることなく怖じ気づくことなくそのまま行為を続行したことだ。吹っ切れやがったんだあいつ。完全に欲情しきった目で、声で、求めてきやがった。

(……もうダメだな)

マジで切らねえと本当にヤバイかもしれねえ。



160212