授業終了後、時間の合ったメンバーで病院へ急行した。病室にいたのはここ最近よく会うようになった顔見知りの医師と、ベッドから少しだけ体を起こした荒北だった。
「荒北!」
「…よお、久しぶりだネ、福チャン」
「よかった、荒北さん、本当によかった…!」
「っぜ。泣くなヨ泉田」
頬を掻きながら悪態をつく荒北は病院に運ばれる前と何一つ変わってはいなかった。相変わらず体中が包帯まみれではあるが、ひとまずは意識を戻したことに安堵する。
あとは怪我の回復を待つだけですと笑った医師に深く頭を下げると、人のいい笑みを溢して病室を出ていってしまった。
「まだ体は痛むか」
「んー、まあ、しばらくは歩けねえってヨ」
「そんだけ重傷なんスから、当たり前でしょ」
「ハッ。つーか福チャンとォ、泉田とォ、黒田かァ……一人足りねえんじゃねえの?」
「!」
俺たちと荒北だけになった病室に緊張が走る。薄く笑いながら冗談目かして聞いてはいるが、本心は気が気ではないのだろう。他でもないみょうじの安否。いま荒北が欲しているのはその情報だけのはずだ。
今のあいつの状況は俺たちはもちろん、他の部員も全員が把握している。答えをくれてやるのは簡単だ。しかし、ありのままの状態をそのまま伝えてしまえば、今の荒北にとっては負担にしかならない。
「…みょうじなら無事だ。怪我ひとつしていない」
「!」
「お前はちゃんとあいつを守れた。気に病むことは一つとしてない」
この荒北の大怪我は、交通事故に巻き込まれそうになったみょうじを庇ったのが原因だった。結果としてみょうじは無傷で済んだが記憶を失い、荒北も今日まで意識不明の状態に陥っていた。
怪我ひとつしていないということは本当のことだ。しかし、記憶を失ってしまったことは伝えない方がいい。これは荒北が意識を回復させる前から部内全体で決めていたことだった。心身ともに落ち着くまでは、余計なダメージを与えず、回復に専念させる方がいいという考えだ。いずれにせよ知らせなければならない時が来るが、少しでも時間を伸ばしてからの方がいいだろう。
「……そっかァ…よかった…」
「見舞いについては時間が合わなかったから来れなかっただけだ。またいずれ東堂や新開と共に来てくれる」
「皆さんも会いたがってますから。今は安静にしててくださいね、荒北さん」
「わーってるヨ、ったく…早く会いてえなァなまえチャンにィ」
ぶつくさ言いながらも、少しだけ顔が和らいだのが分かった。早く会わせてやりたいのは山々だが、もうしばらく我慢してもらわなければいけない。
「…もう練習が始まる。忙しなくてすまないな、荒北」
「気にすんなって。今度はなまえチャン連れてゆっくり来てよ、福チャン」
「ああ。では、失礼する」
「ゆっくり休んでくださいね」
「おー………あ、そうだ。黒田ァ」
「!」
「喉乾いたから茶ァ買ってきてヨ」
「……はあ、わかりました」
病室を出る寸前、そう言った荒北。首をかしげつつ先に出た黒田を見送り、俺と泉田も病室を後にした。
「…学校に戻る前に、みょうじの部屋にも寄っていくか」
「はい、もちろんです!」
とりあえずは一歩前進した。あとはみょうじの記憶と、荒北の怪我だけだ。この調子で上手く事が運んでいけばいいのだが。
自販機で買った冷えたお茶のペットボトルを持って、荒北さんの病室へ戻る。福富さんと塔一郎は、恐らくなまえさんこところだろう。俺も今日は練習前に寄っていこうかな。
「お待たせしました、荒北さん」
「………」
「ペットボトルでよかっ、」
よかったですか?と聞こうとしたら、ペットボトルを差し出した手を引っ張られた。至近距離に、すごい怖い顔をした荒北さん。
さっきまで和やかだった雰囲気が、まるで嘘だったみたいに崩れ去った。
「……荒北さん…?」
「福チャン、嘘ついてんだろ」
「!」
「無傷だっつーんなら、あいつが来ねえ訳がねえ。時間が合わねえだなんて嘘だ。学校サボってでも飛んでくんのがあいつなんだよ」
その目は真剣だった。自意識過剰だとか傲りだとか、そういう簡単な言葉じゃ表現できない。荒北さんがそうだと言えばそうなんだ。それくらいの強い絆で結ばれてる。たしかにそうだ。あの人なら何を犠牲にしてでもいの一番に会いに行くだろう。それをちゃんと分かってるから、荒北さんは疑ってるんだ。いくら福富さんがいつもの無表情で隠したってバレてしまう。けれど福富さん相手に問い詰めたところでしらを切られるのは目に見えてる。
だからって、なんでよりによって俺から聞き出そうとするんだ。どいつもこいつも、これ以上俺に無理難題を押し付けようとするのは止めてくれよ。
「全部話せ、黒田」
「………」
「無傷ってのは嘘か?それとも他になんかあったのかよ」
「……それ、は…」
「なんであいつはここに来ねえんだ!!」
「っ、あんたのせいだよ!!」
「!?」
掴まれていた手を振りほどいて、逆に胸ぐらを掴んでやった。もうほとんどやけくそだった。そんなに知りてえなら全部教えてやるよ。
「なまえさんは確かに無傷だ。けど、あんたのせいで、記憶喪失になった」
「……は……?」
「自分の目の前で、生死さ迷うくらいの大怪我して倒れたあんたを見て、そのショックで全部忘れちまったんだよ!」
意味がわからないって顔で俺を見る荒北さん。分かってる。ただの八つ当たりだ。こんなこと言ったってなんにも解決しない。荒北さんの怪我が治るわけでも、あの人の記憶が戻るわけでもない。けどもう全部吐き出してしまいたかった。
「階は違うけど同じ病院で過ごしてる。毎日毎日不安でしょうがないはずなのに、俺たちの前では無理矢理明るくしてるんだ。心配させないようにって」
「………」
「きっと毎晩、寂しい思いしてるはずなのに、一切表に出そうとしない。助けてやりてえけど、やっぱり俺じゃ無理なんですよ」
「…記憶は、もう戻らねえのか」
「……分かりません。あの人次第だとしか」
消え入りそうな声が返ってきて、そこでようやく手を離した。
福富さんたち先輩方が決めたように、こんな直接現実を見せつけるような真似しない方がよかったのかもしれない。現に荒北さんは、絶望しきったように顔を青ざめてさせていた。こんな顔、初めて見る。
でもここまでしないと、もう方法がないだろ。荒治療だとしても構わない。
「……また変化があったら連絡します。荒北さんの方も、今は怪我の治療に専念してください」
落っことしてしまったペットボトルをサイドテーブルに置いて、病室を出た。
なんだかんだとブレブレだったけど、やっぱり記憶を取り戻してほしい。そうじゃないと、あの人はいつまでたっても心の底から笑えない。その為には、悔しいけど荒北さんの力が必要になる。
だとしたら、俺の役目は一つだけ。
160424