「…………?」
「その、ごめんね。そりゃあ驚くよね、うん、無理はない」
「……ここは…」
「ここは私の自室。あ、まだあまり動かない方がいいと言われたから、じっとしておくんだよ」

目が覚めた。そこはいろんな書物が乱雑に置かれた、少し紙臭い場所だった。真っ先に目についた男の人は、声からしてあの時僕を見つけてくれた人だろう。優しげな声と同じで、その顔はとても穏やかで、心配そうに僕を見つめていた。そんな目で人から見られることなんてあまりなかったから、少し恥ずかしい。

とりあえず、死なずにすんだようだ。

「……ありが、とう」
「ああ、気にしないで。見つけたときは焦ったけどね。生きててよかったよ」
「おにいさん、だれ?」
「っと、そうだ、自己紹介が遅れたね。私は松……じゃなかった。毛利元就。毛利家次期当主だよ」
「もうり……」

倒れる前の記憶を手繰り寄せる。そうだ、近くで行われていた戦は、たしか毛利と尼子によるものだと聞いた気がする。その毛利の、次期当主……ということは、もしかしてとんでもないお偉いさんってこと?

(すごいところに拾われてしまった)

どうしよう、つまりお侍さんってことだ。初めて見た。もっと体が大きくて太くて、顔も怖くて、お部屋には武器とかたくさん置いてると思ってたけど、そのどれにも当てはまらない。この人、本当にお侍さんなのかな。

「さ、私のことは話したよ。次は君の番だ」
「……えっと……なまえ、です。風魔のお兄さんのところで、忍びになるために修行をしてま」
「なんだと!?」
「!?」

話している途中、いきなり開いた襖。驚いてそちらを見たのは元就さんも同じだった。そこには怖い顔で僕を見つめるおじさんがたくさん。誰だろう、元就さんの知り合いかな。

「風魔とは、あの風魔忍軍の風魔のことか!」
「そう、です」
「なんと…!」
「元就様、やはりこのような得体の知れぬ子どもなど捨て置くべきでしたな」
「風魔忍軍と言えば悪い噂しか聞いたことがありませぬぞ!この者のような捨て子を拾っては戦力にしただ働きをさせているとか、自分達とは無関係の村や町でも構わず襲い奪えるものはすべて奪おうとする賊だとか、」
「なっ、」

次々と現れるおじさんたちは、僕だけではなく風魔のことまで悪く言い始めた。やってしまった、馬鹿正直に素性を明かすんじゃなかった。

言い返そうにも難しい言葉を並べられては太刀打ちできない。終いにははやく出ていけ、消えろと罵られる。悔しくて怖くて涙が止まらない。こんなとき、お兄さんならどうするだろう。僕だって居たくてこんなところに居るわけじゃないのに。

「やめないか」

瞬間、凛とした声が響く。

「っ、ですが元就様」
「風魔がどうとか、今は関係ないだろう。この子はただの怪我人。それだけだ。それに私が独断で連れてきただけのこと。なにか不利益なことが起きたなら、私が全責任を負う。それでいいだろう」
「…………」
「……分かったなら、二人にしてくれないか」

驚いた。おじさんたちを一瞬で黙らせたことにもだけど、何より元就さんの変わりように驚いたんだ。あんなに優しそうだった顔も声も嘘だったみたいに、怖い顔をしてる。声だってすこぶる冷たい。責められているのは僕じゃないのに、その僕でさえ怖く感じた。

元就さんの言葉に渋々といった風に出ていくおじさんたち。襖が閉まると、大きなため息が聞こえてついビクリと体を震わせてしまった。

「ああ、すまない。君へのため息じゃないから」
「…………」
「それと…家臣達が失礼なことをしたね。彼らに代わって詫びるよ。すまなかった」
「っ、や、やめてくださいそんな…」

僕の目の前で頭を下げた元就さん。これはこれで不味い気がする、と慌てて頭を上げてもらった。

「多分、おじさんたちも、元就さんのことを心配して、あんなことを…」
「……驚いた、彼らを庇うとはね」
「え、」
「君ぐらいの年の子なら、普通はもっと泣いたり、怒ったりしてもおかしくないのに」

君は年のわりに大人びているんだね。元就さんは本当に驚いたようにそう言った。そんなこと言われたのは初めてだ。褒められているのかはわからないけれど、少し恥ずかしい。

「……でも、元就さんは、なんとも思わないの?」
「え?」
「ほら、おじさんたちも言ってたでしょ、風魔忍軍のこと…」
「…………」
「…動けるようになったら、すぐに出ていきます。だから、それまでは、見捨てないで、ください……」
「…………」
「お、お願いします……!」

さっき元就さんがやっていたように頭を下げた。体が痛む。でも、ここに置いてもらう他道はない。捨てられたらもうそこまでだ。それだけは回避しないと。

しばらくすると、またため息が聞こえた。ああ、どうしよう。

絶望の二文字が頭をよぎったその時、優しく体を起こされ、そのまま抱き締められた。

「っ、あ、あの、」
「……君は、」
「…………?」
「君は、誰にも甘えずに生きてきたんだね」
「!」
「まだこんなに小さいのに、捨てないでくれと大人に頭まで下げて……」

こんなの知らない。思い出そうとすると、出てくるのは母と父の顔。こんなこと、あの人たち以外にされたことない。それに、もうされちゃいけないんだと思ってた。もうお兄さんなんだから、そんな子どもみたいなこと求めちゃいけないって思ってた。そうじゃないと、自分より小さい者を守れない。そんな甘ったれた自分じゃ誰も守れないじゃないか。

「甘えることは悪いことじゃない。それを我慢する方がよっぽど悪いことだ。一人で戦おうなんて思っちゃダメだよ。もっと周りを頼ってもいいんだよ。甘えてもいいんだよ」
「……で、も、」
「でもじゃない。辛いなら辛いと言いなさい。寂しいなら寂しいと言いなさい。泣きたいならいくらでも泣きなさい。私の胸を貸してあげるから」
「……ぅ…」
「頑張ってたんだね、ずっと…でももう我慢する必要はない。ここには君を縛り付けるものは何もないはずだよ」

囁く声が、言葉が、抱き締める腕が、頭や背中をさする手が、暖かい体が、全部が全部優しすぎて苦しい。

「は…ごめ、なざ…っ…」
「謝らなくていい。私しかいないんだから。いくらでも泣いていいんだよ」
「ふ、うぅ…うっ…!」

その日、僕は初めて人前で声を上げて泣いた。それでも元就さんはずっと抱き締めていてくれた。言葉をかけてくれた。いつの間にか眠ってしまったのに、それでもずっと側にいてくれた。

初めてもらう優しさが心地よすぎて、離れられなくなりそうで怖くなった。




(こんな大人もいるなんて知らなかった)


151025