千代と別れお兄さんの手を取ったあの日から半年ほど過ぎた頃。あれからまだ千代には会っていない。というより、会えない。心身ともに疲弊しきって終える毎日の修行は、当時の自分の年齢を考えるとよく耐えられたなと誉めてやりたいほどである。

体力作りは基本中の基本。膨大な量の忍法の知識の勉強。お兄さん、もとい風魔忍軍の頭領直々の手合わせ。半年前とは心も体も信じられないくらい成長した。何度も死にかけたし何度も逃げたくなったし何度も泣き叫んだけれど、それでも、千代がいるから。今はまだ会える余裕なんてないけれど、ここにきたのは他でもない千代のため。僕がすべてを投げ出せば千代だってどうなるか分からない。

それに、たしかに修行の日々は辛いけど、お兄さんは本当に僕の味方らしい。毎日それをひしひし感じている。鍛練中は嫌われてるんじゃないかってくらい厳しいけど、終わったあとはそれを詫びるかのように優しくしてくれる。丁寧に傷の手当てをしてくれたり、両手が動かなくなってしまった時にはご飯も食べさせてくれる。少し恥ずかしいけれど、大人の人の世話になるのなんて両親以来初めてのことだから、本当は喜んでる自分もいた。

そんなある日。毎日死にかけながらもなんとか生き続けている僕の前にお兄さんが連れてきたのは、小さな男の子。

「……新入りの子?」
「連れていた私の狼がなついたのでな、一緒に連れて帰ってきた」
「動物じゃないんですから……」

お兄さんみたいな真っ赤な髪を持った男の子。千代よりも少しお兄さんかな。首根っこを掴まれたまま僕を見つめるその目は薄暗くて、なんの意思も持っていなかった。狼がなついたなんてのはただの口実で、本当は僕を拾った時みたいに何かしら感じるものがあったのかもしれない。

「ちなみに名前は?」
「ない」
「…………」
「……お前が気にすることではない。このご時世、よくあることだ」

そう言って頭をくしゃりと撫でてきたお兄さん。きっと、なんともいえない顔をしていたんだと思う。お兄さんの言う通り、今時捨て子だなんて星の数ほどいるだろう。だからって気分のいいものではない。

「……僕、なまえ。よろしくね」
「…………なまえ……」
「あっ、喋れるんだ。そう、なまえ。よろしく」

薄く口を開いて出した声はひどく掠れていたが、たしかに聞こえた。投げ出されていた手を握ると少しびくりとした男の子。よろしくの握手だよと言うとなぜかお兄さんに笑われてしまった。

この子だけじゃない。僕と千代だって捨てられた訳じゃないけれど似たような境遇だ。他にも同じように独りぼっちで、辛い思いをしている子はまだまだたくさんいるはず。こんな時代、はやく終わってしまえばいいのに。

相手をしてやれと男の子を僕に預け、お兄さんは部屋を出てしまった。それまで一番年下だった僕よりもさらに幼い男の子。僕とも五つくらい歳が離れているかもしれない。それでもお兄さんや他の忍びたちと比べるとまだ近い方だ。

「お兄さんに拾ってもらえて良かったね」
「…………」
「あ、この言い方じゃなんかおかしいか…とにかくここに来たらもう安心だよ。一緒に頑張ろうね」
「…………」
「修行は大変だけど、お兄さんも他の人たちも優しいから大丈夫だよ」
「…………」
「僕もまだまだ子どもだけど、君よりはお兄さんだから、なんでも頼っていいからね。ここにはいないんだけど、君よりもまだ小さい妹がいてさ。元気にしてるかなあ」

一人話続ける僕に対して、男の子は無言だった。ただ、興味がないから無視をしているとか聞き流しているとかそんな空気ではなく、反応は薄いけれど一応耳は傾けてくれていると思う。目はまっすぐ僕のことを見ているからだ。

口を開かないのも無理はないのかもしれない。いきなり見知らぬ(しかも容姿が怖すぎる)男の人に連れ去られてきたのだから。僕だって連れてこられて数日間は知らない人ばかりでお兄さんとしか話せなかったし。

けれど、ここにいるのは人だけではない。

「ねえ、動物は好き?」
「……?」
「おいで。忍犬っていってね、犬とか狼とか飼ってるんだよ」

さっきみたいに手を繋いで、忍犬たちが放し飼いされている小屋へ走った。男の子は引っ張られるまま僕についてくる。

到着した僕らを待っていたのは、ご飯終わりでゆっくりくつろいでいる忍犬たち。ほら、と男の子を誘導すると、恐る恐る近付いてきた狼の体に触れていた。

「あったかくて気持ちいいでしょ?みんないい子だから噛みついたりしないよ」
「…………」
「……まあ、命令されたら人だって殺せちゃうけど、でも僕たち仲間には牙を向けないってお兄さんも言ってたし」

男の子と同じように、近くにいた犬の頭をそっと撫でてやった。気持ち良さそうに目を細める犬。前にどこをどうすればこの子たちが気持ちよくなるか、安心するのかをお兄さんに教えてもらったのだ。

見る限り動物が苦手ではないようだし、男の子にも教えてあげよう。



(はやくここに馴染めるといいな)


151011