辿り着いた寺の和尚に話を持ちかけると、自分達の境遇を不憫に思い、快く受け入れてくれた。どうやら信頼しても良さそうだと、なまえは深々と頭を下げた。千代はというと、赤子だった頃とは違い、最初は少し戸惑ってはいたもののすぐに落ち着いていったので一安心。これであとは自分が安定した稼ぎを得るだけである。そう考えていたなまえではあったが、甘かった。

盗人として活動していた町では顔が割れているので、そことはまた違う町に赴き、雇ってくれる場所を探した。しかしどこも人手が足りていたり、なまえぐらいの年の子では役に立てないような仕事ばかり。結局その日は隠れ家から持ってきていた食料を二人で分けて過ごした。

翌日。先日と同じように千代を寺に預け、また違う町へと足を運んだ。残念ながらその町でも自分を雇ってくれる場所は見つからなかったが、可哀想に思ったよろず屋の店主が少しばかりの食料をくれた。

「……?」

いい人もいるものだ、帰ったら千代に食べさせてあげよう。そう思いながら夕暮れの帰路を急ぐ途中、道のすみに倒れている犬を見つけた。飼い主らしき人間がいなければ、仲間の姿も見えない。一匹で倒れている。そばまで近付いてみたが、軽く顔をこちらに向けただけで、逃げる様子すら見られなかった。

「……飼い主は?仲間はいないのか?」
「………」
「親も、兄弟もいないのか」
「……クゥン…」
「……僕よりひどいな」

まるで泣いているような声で返事をした犬に居たたまれない気持ちになった。親がいないのは同じだが、自分には千代がいる。しかしこの子には兄弟すらいない。気付けば千代と分けるつもりだった食料を半分差し出していた。

「これ、あげるよ。頑張って生きるんだぞ?」
「………」
「ごめんね、これだけしかあげれなくて。他にあげなきゃいけない子がいるんだ」

砂ぼこりですっかり艶を無くしてしまった体を撫でる。そろそろ行こうと立ち上がると、倒れていたはずの犬も同じように立ち上がった。

「ん?どうした?」
「ククク……」
「!」
「驚いたぞ…このご時世、自分の食料を犬に分け与えるなど…しかも、まだ幼い子どもときた…」

立ち上がった犬はそのまま体をうねらせ少しずつ大きくなっていき、やがてなまえの背を軽く追い抜かしてしまった。あまりの不可思議な出来事に腰を抜かしてしまったなまえを嘲笑う声。地を這うような低い声は、たしかに犬だったものの口から吐き出されている。

驚きすぎて開きっぱなしだった目を瞬かせると、その瞬間、犬の姿はぱっと消えてしまった。代わりに現れたのは赤い髪を靡かせる不気味な大男。一目見ただけで感じた。この男は危険だ。自分に危害を加えるつもりだ。早く逃げないと。しかし腰を抜かし震える体は言うことをきかない。

「な、んで、犬は、」
「あれは私が変化していたものだ。忍び、というものを知っているか?」
「しの、び…?」
「クク、無知ほど可愛く愚かなものはないな…私は風魔小太郎。お前のことは知っている。なまえ、というのだろう?」
「!?」
「少し前まで盗人として町を騒がせていた幼子…すべては愛する妹のため…その優しさを試してみれば、まさか野に伏した犬でさえも助けようとするとは。気に入ったぞ」

風魔と名乗った大男はまた喉を鳴らして笑うと、大きな体を屈ませてなまえと目線を合わせた。恐怖のあまり硬直するなまえを他所に、小太郎は構わず言葉を続ける。

「なまえ、大切な妹に今よりももっと楽をさせてやりたいとは思わないか?」
「え、」
「私と共にこい。いい働き場所を与えてやる」
「……信じて、いいの?」
「お前は私を助けようとした。そんな心優しい幼子を騙ることなどするはずがなかろう?」

言葉や声色がいくら優しくとも、その風貌だけでも疑わせるには十分すぎたため、なまえは素直に頷けずにいた。しかしこの男は自分の事情をすべて知っていて、その上でついてこいと言っている。こんななんの取り柄もない子どもができることなどたかが知れているというのに。けれど、千代に楽をさせてやりたいというのもまた事実。

「……本当に、あの子を楽にしてあげられる?」
「お前の働き次第だ。だが悪いようにはしない。約束しよう」
「……本当に信頼してもいいの?本当に悪い人じゃない?」
「ククク…悪い人と言われれば悪い人なのだろうな。いい人ではないのかも知れぬ。しかしお前の味方だ」

味方。その言葉にひどく衝撃を受けた。ほぼ初対面の男に言われたとは思えない言葉だ。何をもってして自分の味方だというのだろうか。余計に信じられない。

その心情が顔にも出ていたのか、風魔小太郎と名乗る男はさらに笑みを深くした。

「今までの厚遇が、すべて偶然だと思っていたのか?」
「……こ、ぐ…?」
「なぜあの隠れ家に人も獣も一切立ち寄らなかったと思う?なぜ散々盗人として町を荒らしていたお前がいつも殺されずに逃げ切れていたと思う?なぜ寺の和尚が得体の知れぬ身寄りのない兄弟を意図も容易く迎え入れたと思う?」
「………え…」
「…クク……もう一度言う。私はお前の味方だ。私と共に来い」

難しい言葉を並べられて頭が混乱する。しかし何もかもを知っているこの男に着いていけば、なにか変わるかも知れない。ぼんやりながらそう思った。

けれど、一つだけ気になることがある。

「……千代は…あの子は、連れていけないの?」
「不可能ではない。ただ、お前も含め身の安全の保証はできない」
「!」
「だがあの寺に置いておけば安全なのは間違いない。あれは私の所有物。余所者が立ち入ることの出来ぬよう細工をしてある」
「…じゃあ、離ればなれに、なるの」
「なに、二度と会えぬわけではない。頻度は減るが会わせてやることはできる」
「…………」
「私の目的はお前を私の支配下に置くことだ。お前には忍びになってもらう」
「……お兄さんみたいにおっきくなるってこと?」
「ククク……可愛い子。それが望みであればそうしてやるが、お前はそのままで十分機能する」

ふわりと頭を撫でた手は大きく、そして冷たかった。しかし最初ほどの恐怖は感じず、言葉も震えず吐き出せるほどには落ち着いてきた。

千代にしばらく会えなくなる。忍びだとか支配下だとか、よくわからない単語が出てくるし、身の安全の保証もない。でも目の前の大きな男の笑みはずっと変わらず、頭をよぎるのは“味方”の二文字。

「……お兄さん、」
「!」
「…………僕、がんばるよ。だから、千代のこと、お願いします」

千代がいたからここまでこれた。これからは離ればなれになるけど、千代のために頑張ることに変わりはない。方法や形は変わってしまうが、それでも守れるとお兄さんは約束してくれた。それなら自分がやることは一つだ。

頭に乗せられたままの手を握ると、お兄さんはまた笑った。




(これは運命の出会いだったんだ)


151008