出会いがそうだったように、別れもまた唐突に訪れた。
「先生、ここに書いてる人って…先生?」
読んでいた書物のなかに気になることがあったので直接聞きに来たんだけど、どうやら留守にしているようだ。書物だらけで散らかっていて、もうすっかり見慣れてしまった主のいない私室。
こないだ片付けたばっかりなのになあとすぐ近くに落ちていた書物を手にした、その時だった。
「なまえ、」 「え……うわっ!」
不意に背後から名前を呼ばれた。先生、じゃない。でもこの屋敷に僕を名前で呼ぶ人なんて先生以外に誰もいない。
反応して振り返るよりも先に突進された。もちろん無防備だった僕はそのまま後ろに吹き飛んでしまって、ただでさえ散らかっていた部屋がさらに散らかってしまった。ぱらぱらと宙を舞う紙や埃。どさりと崩れていく積み重なったいた書物の数々。
突然の衝撃に思わず閉じていた目をゆっくり開ける。鋭い痛みはないから、攻撃を受けたわけではないらしい。なにがなんだかわからないまま、衝突物を確認して
一番に視界に飛び込んできた赤い髪に、目を見開いた。
「……あか、げ…くん…?」
ぴくりと反応した。正解らしい。驚きと懐かしさがぐちゃりと混ざりあって僕を襲う。なぜ、どうしてここに。僕を探しに来てくれたのか?
僕と同じか、僕よりも少しだけ大きくなった体。僕の胸に埋めていた顔を上げた彼は、ぎゅうっと眉を寄せて、目を細めて、僕を見つめている。ぐっと噛み締められた唇は、やがて薄く開いて言葉を発した。
「……ずっと探していた」 「…そう、なんだ…ごめんね、ずっと帰れなくて…あれからちゃんと逃げ切れてたんだね。安心した。任務は?成功できた?」 「………」 「お兄さん、怒ってないといいんだけど…ここへは一人できたの?大丈夫だった?」 「…どうでもいい」 「え?」 「……我のことも、任務のことも、頭領のことも…そんなことはどうでもいい」 「よくないよ。僕、心配してたんだよ?無事に逃げられたかなって…」 「あれからどれほどの月日が流れたと思っている!」 「!」
また驚いた。あの赤毛くんが、大声で叫んだからだ。すごい剣幕で僕に怒鳴ってる。
僕がこの子を心配していたように、この子も僕のことを心配してくれてたんだろうな。たしかにあれからもう数ヶ月経ってる。怒られるのも仕方ない。けど、あんなに無感情だったこの子が、感情を露にして怒ってくれた。不謹慎ながら、それが少し嬉しかった。
「…ごめんね。心配かけた」 「……わかったなら帰るぞ」 「え、あ、待って。なら先生に声かけないと」 「必要ない」 「ある。今日までたくさんお世話になったんだから」 「………」 「ここの人たち、あんまり僕らのことよく思ってないからさ。僕が行くまでどこかで待っててくれる?」 「…その必要はなさそうだな」 「!」
赤毛くんが忍刀を構えた。その瞬間どこからともなくなにかが飛んできた。二人でそれを難なくかわす。僕たちが倒れていた場所には、三本の矢が刺さっていた。
「その子に何をしている」 「あ、」
同時に聞こえたのは、探していた恩人の声だった。
「待って先生!この子、僕の仲間なんだ」 「…なんだって?」 「さっき来てくれた同じ風魔忍軍の子で、」 「迎えに来たのか、なまえを」 「…それ以外にここに来た理由などない。返してもらう」 「そう簡単にはいそうですかと返せるとでも?」 「なに?」 「君は見たところまだ子どもだろう。恐らくなまえと同じくらいか、それよりも下か…そんな子ども一人で、ちゃんとなまえを連れて帰れるのか?」 「先生…」
赤毛くんと先生が睨み合ってる。どうしてここで喧嘩になるのかがわからない。それに先生だって、いつまで僕を子ども扱いしてるつもりなんだろうか。たしかに一人ならまだ不安だったろうけど、二人なら平気だろう。恐らく赤毛くんも、別れた頃より格段に強くなっていると思う。任務でもなんでもなく、帰るだけなんだからきっと平気だ。
それになにより、あまり長居をしていたら迷惑にしかならない。帰るなら今がちょうどいい時期だろう。
「先生、僕なら大丈夫…」 「子どもだけでは不安だと言うのならば、私も共に参ろう」 「!」 「それで納得していただけるかな?毛利元就殿」
気付けば赤毛くんと共に脇に抱えられ、縁側の方に移動していた。くすくすと笑いながら先生にそう言ったのは、お兄さんだった。
「お兄さん!」 「クク、久方ぶりだななまえ…元気そうで何より…」
見上げて叫ぶと、またにやりと笑う。お兄さんも変わってないなあとひどく安心した。
そうだ、僕が今日まで元気だったのは、目の前でむずかしい顔をしてこちらを見る先生のおかげだ。帰るのは全然構わないけれど、挨拶だけはちゃんとしとかないと。
「うちの者が大変世話になった…一介の忍び風情を、大層可愛がってくれていたようで。このご恩、いつか必ずこやつに返させることを約束しよう」 「…それはありがたい。風魔という大きな武器を貸してもらえる、という解釈でいいのかな?」 「無論。こやつが一人前になるまでは他の優れた忍びを好きなだけ貸してやる。こやつが一人前になれば好きなように使ってやるがいい」 「好きなようにって…」 「……悪い話ではないね。了解したよ、風魔小太郎」
薄く笑って、武器を下ろした先生。たくさん話してたけど、要約するととりあえず僕は帰れるみたいだ。帰ったらまた修行漬けの毎日が始まるんだろうな。
「…先生」 「!」 「この数ヶ月間、ありがとうございました。お兄さんが言ってた通り、今はまだ無理だけど…もっと強くなって、立派な忍びになったら、必ず恩返しに行きます!それまで、待っててください」
お兄さんに抱えられたままっていうだらしない格好だけど、とにかく感謝の気持ちを伝えたかった。
先生は少しだけ驚いた顔をして、そのあとすぐにふわりと笑ってくれた。しばらくは、この笑顔ともお別れなんだ。
「ああ、待ってるよ。いつまでもずっと、ここで、君を待ってる」
ゆっくりと、囁くように告げられた。心にすとんと落ちてきた心地いい声色。また一つ、頑張らなきゃいけないと思える理由が増えた。
「うん。先生、本当にありがとう!またね!」
手を降った瞬間、また景色が変わっていった。葉が擦れたり木が軋む音が聞こえる。どんどん移り変わっていく景色が、先生の屋敷から離れていっていることを教えてくれた。
先生と過ごした時間は本当に意味のある時間だったと思う。他の人たちには疎まれてたけど、先生だけは、よそ者の、しかも忍びの僕を優しく受け入れてくれた。お兄さんと同じ、大恩人の一人だ。
待っててね先生。はやく立派になって、返しきれないほどもらった先生からの恩を返しに行くから。
(それからまた、数年の時が流れて) (忘れられないあの日が訪れる)
160117
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