「あ、」

思わず声が出てしまった。短いそれを拾った彼はゆるりとこちらに振り向き、にかりと笑う。獅子の鬣のような髪に日の光が反射して、その輝きが増していた。

「……髪伸びたねえ。久しぶり、慶次くん」
「あんたもな、なまえ。俺ァ生きてるって思ってたぜ」

からから笑う姿は最後に会った時と変わらない。前田慶次くん。たしか犬千代くんの甥っ子だったっけ。どっちも体おっきいよなあ羨ましい。

派手な容姿はもちろん、戦場ではその実力からも惹き付けられる人は多い。良い意味でも悪い意味でも。僕は何にもとらわれない飄々としている彼のことは結構気に入っている。

「何してんの。どっかおでかけ?」
「ついてくるかい?」
「君が構わないのなら」
「ハッ!そりゃよかった」
「よかった?」
「あんたが一緒なら喜んでくれそうだ」
「えっ、うわ!」

そう言うや否や僕を片手で抱えあげた慶次くん。これがいわゆる俵持ちである。お腹苦しい。慌てる僕なんて気にも留めず、慶次くんはそのまま再び歩き出した。足が地面を蹴る度に振動がお腹に来るので辛い。

「ちょっ…たーかーいーお腹苦しいーこーわーいー」
「こうでもしなきゃあ逃げちまうだろうからねぇ。もうしばらく我慢しなァ」
「べーつに逃げないってば…うえっ、ほんとに苦しくなってきた…」
「だらしないねぇ……おっ、いたいた」
「いた?」

誰かと待ち合わせていたらしい。しかし残念ながら背中側に上半身を下ろされている僕には慶次くんの背面とかしか見えない。髪の毛すっごいくすぐったいし。それによく考えると僕これお尻向けてるじゃん恥ずかしい!

「もういいでしょ下ろしてよ慶次くん!」
「顔見た途端に逃げ出すのだけはやめてくれよ?」
「わかんない嫌いな人だったらそんな約束はできな、」

ようやく下ろされ慶次くんの前に立つ。さあ待ち人とご対面……した瞬間地面を強く蹴った。

「いっで!!!」
「言ってるそばからそれかい、頼むぜなまえ」

なあ?叔父御。

逃げ出そうとした僕の手首を素早く掴んだ慶次くんはそう言った。おずおずと目線を前にやれば、犬千代くんのかっ開かれた目とかち合う。

「……なまえ…」

ああもう最悪帰りたい!!!






「あんたに嫌われたっつって、ずっとメソメソしてたんだぜ。らしくなさすぎて笑い飛ばせねえくらいになァ」
「あー、んー、まあ、嫌いにはなってない、よ、うん」
「ついさっき逃げ出そうとしてた男の言葉にゃ説得力なんざねえよ」
「痛いとこ突かないで慶次くん」
「で?本当のところはどうなんだい」
「だから、嫌いではないけどー…」

さっきからなんの言い訳をさせられてるんだ僕は。ちなみにここはとある城下町の飯屋。本当は二人で食べるみたいだったんだけど僕を見つけた慶次くんがそのまま誘ってくれたと。なんというありがた迷わ……いやいや奢ってくれるらしいし何も言うまい。

それにしても喋れよお前、と犬千代くんを見つめる。さっきぽつりと僕の名前を呼んで以降だんまりだ。もしやこないだの一件を猛省しての態度なのだろうか。まああの時は僕も大人げなかったとは思う。全体的に犬千代くん側に非があるけど。

「曖昧にするからややこしくなるのさ。叔父御のことなんざ気にするな。本心をぶつけてやりな、なまえ」
「そうしたいのは山々だけど…」

でもこれ以上傷付けるものならどうなっても知らないぞってくらいに僕を見つめてくる犬千代くん。後ろめたさと、反省と、あとほんの少しの期待の色が見える目。そのどれよりも一際強いのは、強い強い恋慕の感情。隠しきれてない…いや、隠すつもりもないのかもしれない。好きだ、大好きだ、欲しい、触れたい。そうやって堂々と気持ちをぶつけられる君が羨ましいよ。

こういう場を設けてくれたってことは、慶次くんも犬千代くんの気持ちを知ってるってことか。ならどうして止めてくれないのか。結構危ないとこまで来てると思うんだけどな。家族として止めてやるべきではないのだろうか。まあ彼のことだ、自分が口を挟むよりも犬千代くんの好きにさせてやりたい気持ちの方が強いのだろう。

さて、どうしようか。たしかに曖昧にかわしてきたことが多いかもしれない。犬千代くんだけじゃない。小太郎くんにだって先生にだって姫ちゃんにだって左近くんにだってそうだ。傷付けまいとしているのか、それとも気持ちを縛り付けておきたいのか…待てよ、後者だと性格悪すぎだろ僕。

本人たちのためにも、はっきり伝えた方が傷付けずに済むのだろうか。

「……嫌いじゃないよ。むしろ好きだし、可愛い弟分だと思ってる」
「!」
「こないだの件も、無理強いしようとしてきたことが嫌だっただけだ。君自身が嫌いになったわけじゃない」

犬千代くんの目に輝きが戻っていく。けれど慶次くんは目を逸らした。気付いているのだ、僕の答えに。

「……でも、君の気持ちに応えることは出来ない。あの時はっきり伝えられなかったのはすまないと思ってる」

犬千代くんも、慶次くんも何も言わない。しんと静まり返る。ああ、やっぱり傷付けてしまった。結局こうなるんだ。けれど、曖昧に返してずるずると続けるよりは、きちんと断ち切ってしまった方がその時の傷だけで済む。それが出来ずにいたから結果としていつまでも引きずらせてしまうことになってしまっていたのだろう。

「……ごめんね。もう僕のことは、諦めてほしい」

それでも、仕方ないとわかっててもやっぱり居たたまれない気持ちになる。まだ頼んだご飯は来てないけど、もう出てしまおうと席を立った。

「いやだ」
「っ!」

しかし、ほぼ同時に立ち上がった犬千代くんに手を掴まれてしまった。慶次くんは動かない。そのまますごい力で手を引かれて二人で店を出ると、連れていかれたのは薄暗く細い路地裏。壁と犬千代くんに挟まれて身動きが取りづらい。やっぱり力じゃもう敵わないのかな。ていうか、

「いやだってなんだよそれ…子どもかよ」
「それで通るってンなら子どもでいい」
「犬千代くんのくせに屁理屈か」
「だっていやだ!」

いやだいやだと繰り返す犬千代くん。やだなあ、そうやって泣かないでくれよ。本気で抵抗できなくなるだろ。

「受け入れてもらえるなんざ最初から思ってなかった。けど、けどよぉ、じゃあどうすればいい?この気持ちどこにぶつけりゃいいんだよ」
「……それは、」

そんなの知らないよ。僕には関係ない。そう言ってしまえば楽だけれど、それが出来ないのはやっぱり犬千代くんが大切だからで。だけど大切だからこそ、もう終わらせてあげなきゃいけない。

でも、どう説得すればいいのかがわからない。

「希望がなくたっていい。今ならもう嫌われたっていい。でも諦めるのだけはいやだ」
「…時間の無駄だよ」
「それでもいい」
「っ、君を傷付けたくないから言ってるんだ!」
「別に構わねえ。時間がなくなったって、傷付いたって、お前が理由なら全部喜んで受け入れる」
「いっ、」
「でも、それでも、諦めるのだけは、無理矢理この気持ち断ち切ンのだけは、絶対いやだ」

手首を押さえつける手の力がまた増した。そこに意識を向けた瞬間、噛みつかれた唇。顔を逸らしてもしつこくついてくる。唇の端に、頬に、目元に、耳に、首筋に、犬千代くんの唇が触れていく。くすぐったくて恥ずかしくて、声が震える。力が入らない。

「うぁ、い、ぬちよ、く…待、ちょっ、」
「んっ、はあ……なまえ、なまえ、」
「んん…っ!」
「……好きだ、なまえ」
「ゃ…いや、だ…」
「お前は俺のモンにはならねえかもしれねえけど、俺は、お前のモンだから」
「、やめろ!!」

また唇が重なる直前、全力で突き飛ばした。少しだけ開いた隙間を狙って距離を開ける。それでも犬千代くんは、揺らぐことなく僕をまっすぐ見つめてきた。

ああ、苦手だ。いや、むしろ嫌いだ、その目。ずるい。

「……諦めねえからな」
「…………」
「俺には、馬鹿みてえに想い続けることしかできねえからよ」

諦めないなんて、そんなの口でなら簡単に言える。ずっとずっと貫くことなんかできっこない。君も絶対に、いつかは、諦めざるを得なくなる。否応なしに。
 
「…………もう…勝手にしなよ」

だってそうじゃないと、諦めてしまった僕が馬鹿みたいじゃないか。






(苦手だとか嫌いだとかは全部言い訳)
(本当はただただ羨ましいだけなんだ)


151024