くのいちは焦っていた。いつかの戦で取り逃がした忍びが、どういうわけかこの平和なご時世に襲いかかってきたのだ。くのいちほどの実力の持ち主であればそれくらいどうとでもなるのだが、場所が悪かった。

「最悪ー…!」

薄暗い森の中、移動中に不意打ちをくらい、それだけでなく武器を奪われてしまった。雑兵が相手ならともかく相手も同じく忍び。女であるくのいちが体術だけで乗りきるのは少し難しい。無理に戦わず一時退却しようと試みるが相手もなかなかしつこかった。さてどうしようか。木から木へ飛び移りながらくのいちは策を巡らせた。

(どうしよっかにゃ〜…煙玉だけで撒けるような人数じゃないし…)

相手の人数は数えられるだけで10は越えていた。やはり逃げるだけで精一杯だろう。とにかく森の外へ。そこまで考えた瞬間、足場になるはずだった木が折られた。

「しまっ…!」

体制を崩し、そのまま落下。受け身をとろうと体を捻ったが相手の刃がそこまで来ていた。思わず目を閉じたが、攻撃を受けた痛みも地面に叩きつけられた衝撃もこない。代わりに聞こえたのは男たちの呻き声と、聞き覚えのある誰かの声。

「…僕の可愛い可愛い愛弟子に、何してくれてんのさ」
「!」

鼓膜を震わせるその低音はとてと心地よかった。すぐに目を見開き顔を上げれば、やはりそこには見知った懐かしい顔。

「…なまえ、師匠…!?」
「よ。久しぶり、くのいち」

それはやはり昔世話になった師であるなまえその人だった。自分をここまで育ててくれた後、表舞台から姿を消していた彼がなぜ?懐かしさよりも疑問が募ったが、それよりも驚いたのは今の状況だった。

「ちょっ、し、師匠!下ろしてくださいー!」
「んん?ああ、悪い悪い」

助けてもらったとはいえ、この体勢はキツい。所謂お姫様抱っこである。慌てて体を動かすと、なまえはカラカラと笑いながらくのいちをその場に下ろした。

救援の礼もそうだが、聞きたいことは山ほどある。今までどこにいたのか。何をしていたのか。なぜ急に姿を現したのか。なぜ、

「くのいちが僕のこと呼んでる気がして」

どきりとした。声に出していただろうか…いや、そんな間抜けなことはしない。それよりもなんだろうその台詞は。どこぞの軟派傭兵を思い出した。

「師匠…頭でも打ちました?」
「え、なにそれひどい。だって顔に書いてたぞ?なんでここにいるんだって」
「まあそこは間違ってないですけど…でも、なんで?」
「…んまあ、深い意味はないよ」

とりあえずここ出るぞ。そう言って手渡されたのは自分の武器だった。なにからなにまでいつの間に。それを受け取り、再びその場から移動を開始した。

「…ねえ師匠。師匠は森出たらどこ行くんです?」
「んー?さあ。特に決めてないけど」
「また隠居?」
「いや、多分もうそんな陰気臭い生活とはおさらばだ。小太郎くんとか半蔵くんとこ転々とするつもり」
「ふーん…それならうちに来たらいいのに。師匠ならお館様だって快く受け入れてくれると思いますよー?」

軽い気持ちでそう言った。しかしなまえは答えるでも拒否するでもなく、ただ顔を歪ませただけ。なにか不味いことでも口走っただろうかと首を傾げると、察したなまえは「悪い」と苦笑いした。

「いいんだよ君は気にしなくて。とにかく、これからはまたいつでも会えるからさ。と言っても、一つのところに留まる予定はないから、呼んでくれなきゃ会えないけど」
「……外が恋しくなったんだって思っときますね」
「ああ、うん、まあそれでいいや」

曖昧に返したなまえに再度疑問が生じたが、しばらくはまた気兼ねかく会えそうだから特に気にしないことにした。自分を育ててすぐに姿を消したかと思えば、ひょっこり現れた師匠。気まぐれなところは何年経っても変わらないらしい。ということはまたいつ姿を消すとも分からない。なら今はつかの間の再会を楽しんでおかねば。

「…言い忘れてた、師匠」
「なにー?」
「ありがとうございました!」

わざとらしく大きな声で礼を言うと、少し驚いて、それでも笑顔でくのいちを見つめたなまえであった。



(本当は僕の方がどうしようもなく会いたくなっただけなんだ)



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