「おつかれさまでした」
「!」

黙ったままついてきていた左近くんがようやく発した言葉がそれだった。おつかれさまって…まあ疲れたのは疲れたけど。本当に僕を労ってくれる気持ちがあるのなら一人にしてほしい、なんて。

返事もしないし振り向きもしない。また静寂がこの場を包む。それでも左近くんの足音は止まない。どこまでついてくる気だ。ていうか信玄公はどうした。

ああ、そういえば。相手をするつもりはなかったけど、これだけは言っておかないと。

「……ありがとね」
「?」
「あの子のこと止めてくれて」

まああの子を止めなくても僕が止まることはなかったけれど。なんとなく雰囲気を察してくれた左近くんには感謝しておこう。

それにしても、予想してたより熱くなってしまった。大人気ないなあ。いやね、もちろん殺す気なんてさらさらなかったよ?それこそ嫌われちゃうし。まあそんなことしたところで僕のものになんかならない。

これで完全に吹っ切れたと言えば嘘になるのかもしれない。でも前進はした。小太郎くんならきっと気休めにしかならぬとか言うだろうけど、そんなのは僕が決めることだ。


『っ、幸村様!!!』


あの子が求めているのは、真田幸村なんだ。







「……彼女、なんですね」
「は?」
「彼女があんたを変えた。違いますか?」

唐突な質問に変な声を出してしまった。

「再会した時の話からして、何かしらの影響があったんだと思いましたが…まさかここまでとはね」
「……話が読めない」
「ただ師匠として弟子がたぶらかされたことを怒っていると、そう思ってたんですよ。でも違った」
「…………」
「……愛してたんですね」

後ろにいたはずの左近くんは、いつの間にか僕の前に立っていた。伸ばされた武骨な手を振り落とす気力もない。

「計算外ですよ、なにもかも。あんたにも人並みの感情があったなんて」
「どういう意味だ、失礼にもほどがある」
「心を乱すどころか、涙を流すなまえさんを見る日が来るなんて夢にも思いませんでした」
「じゃあよかったじゃないか。運がいいな。今のうちにしっかり脳内に刻んでおけばいい」
「ええ、そうさせてもらいましょうかね」
「…………好きだったんだ、本当に」

家族愛の延長かもしれないと何度も思った。何度もそう言い聞かせた。でも違う。そうじゃない。そんな生ぬるいもんじゃないんだって、本当はあの子自身に言いたかった。知ってほしかった。手放したくなかった。けれどそれは許されないから。

血の繋がりを恨んだ。僕たちの関係を恨んだ。どうして同じ血を分けて生まれてきてしまったんだろう。叫んだって父も母ももういない。どうすることもできない。

「…本当に、計算外です」
「……なにが」
「あんたへの興味は、ただの好奇心だとばかり思ってたんですがねえ」
「いっ、」

ぐっと腕を引かれたかと思うと、近くの長屋の壁に体を押し付けられた。背中いたい。このやろうと思って掴みかかろうとすればかわされ、急所を蹴りあげようとすれば逆手にとられて割って入られた。なんだこれまぬけにもほどがあるだろ。

「早まるな左近くん正気になれ」
「正気ですよ、残念ながらね」
「ならそこをどけ」
「そいつぁ無理な相談です」
「このやろう」
「前に言ったでしょう?好きですよって」
「覚えてない」
「つれない人だ」
「わかったらそこをどけ」
「本気ですよ」
「もう間に合ってる」
「俺を選ぶなら後悔させません」
「そういう問題じゃない」
「でも好きなんです」

あんたが。低い低い声が耳を貫く。だから、そんなこと言われたって僕は、

「忘れさせるとか代わりになるとか、そこまでは言いません。だが支えることはできる」
「……君に支えてもらわなきゃいけないほど弱ってない」
「どうだか。気付いてます?さっきから声が震えてるって」
「知らない」
「あんたは人に甘えることを知るべきだ」
「そんなの必要ないし」
「じゃあどうして本気で抵抗しないんです?」
「疲れてるんだ」
「なら俺が癒して差し上げましょうか」
「いらないっ、て、」

まるで女の子にするみたいに髪を撫でられた。背筋がぞぞぞと震える。それに気付いたらしい左近くんはにやりと笑って、そのまま僕の髪を弄びだした。気持ち悪い。大の大人の男二人でなにやってるんだ。

「…あんたが悪いんですよ。そんな姿見せるから」
「…………」
「ただの殺戮兵器としてのあんたしか知らなかったのに、すっかり人間みたいになっちまって」
「……ひどい言い様だな」
「何かに執着するような性格には見えなかったんですがねぇ…だから余計に感じた。その対象である彼女が羨ましいってね」
「後にも先にもあの子だけだ。諦めてくれ」
「たしかになまえさんから愛してもらうとなると難しいでしょうな。だが逆なら可能だ」
「……はあ…ああ言えばこう言う……」

しかしここで好きにしろと言ってしまえば本当に好きなようにしてきそうで怖い。そろそろ本気で逃げた方がよさそうだ。

「…ま、今はいいです」
「!」
「傷心中のあんたをどうこうするほど腐っちゃいませんからね」
「……君が真人間でよかっ、」
「なので、今日はこれだけ」

最後の最後に気を許した僕は本当に馬鹿だ。唇の端に触れた左近くんのそれは一瞬で離れてしまったが、僕の思考を停止させるには十分すぎた。

「甘えたいときは遠慮せずに会いに来てくださいよ。俺はいつでも待ってますんで」

してやったり。そんな顔をしながら囁いて、何事もなかったかのようにその場を後にした左近くん。僕はというと、どっと疲れてその場に立ち尽くしてる。忘れそうになるけどあの子僕より年下なのに、なんなんだよあの無駄な包容力。

「また厄介事が増えた」

そう愚痴る割には、左近くんのおかげで、もう涙が止まっている自分がいた。



(悔しいから感謝なんてしてやんないけどね)

150922