『ごめんね、大好きだよ』


「っ、」

目が覚めるともうその声は思い出せない。辺りを見るとまだうっすら暗くて、ああまただ、と体を起こした。

もう何度目になるだろう。種類は様々だった。ある時はその人と一緒に食事をしている夢。ある時はその人と一緒に眠ろうとしている夢。ある時はその人と一緒に戦っている夢。どれもばらばらなのに、最後には一貫して彼はこう言うのだ。ごめんね、大好きだよ。

夢を見ている間は鮮明に聞こえるその声は、目覚めると途端にわからなくなる。でも、夢の中でも目覚めたあとも嫌な気持ちを一切感じないのは、きっと見知らぬ人じゃないから。ただ思い出せないだけ。

ただの夢なのに。その人が誰なのか、姿形は靄がかかっていてわからないのに。声だって、意識があるうちは思い出せなくなるのに。けれどその夢から目覚めると、あたしは決まって涙を流していた。胸が切なくて、苦しくて、恋しい。

目覚めたあとはこんなに辛いのに、夢のなかでは本当に幸せで、目覚めたくないと思ってしまう自分がいた。あなたは一体誰なの?あたしのなんなの?ねえ、答えてよ。

「……助けて、」

ほとんど無意識に呼んだ名前は、風にかき消されてしまった。





「あっ、いたいた!ねえ、ちょっと」

何気なく立ち寄った甘味屋で休憩していると、聞き覚えのある声が飛んできた。見なくてもわかる。

「おやおや、こんな昼間っからお一人ですかいお嬢さん。寂しそうですねい」
「るっさい。あんたこそ一人のくせに」
「あっしはしがない忍び…恋仲だ友達だと、そんな余計なもんは必要ないんだぜ」
「なにかっこつけてんのよ…じゃなくて、探してたの、あんたのこと」
「えっ?あたしは別に甲斐ちんなんか探してないよ?」
「あーもう、あんたと話してると会話が進まないいいい!」

うがあああと叫びながら地団駄を踏む甲斐ちんについ噴き出してしまった。やれやれ、おちょくり甲斐があるにも程があるぜい。

毎度ながらこんな扱いしてるけど、この子もあたしが守りたい人の一人。信頼してるからこそこんな態度とっちゃうのかな?女の子の友達なんか甲斐ちんが初めてだからよくわかんないや。

「で?あたしに何か用?高いよ?」
「話聞きに来ただけよ…あんたも一応忍びだから知ってるとは思うんだけど」
「一応って失礼な」
「ほら、あの伝説の忍び、なまえさん」
「!」
「やっぱりあんたも知ってる?最近また表によく出没するようになったんだって」

びっくり。まさか甲斐ちんから師匠の名前が出てくるだなんて。あまり顔には出さずふーんとだけ返すと、ムッとした顔で見られてしまった。

「ふーんって…あんまり関心なし?」
「関心があると思ってあたしを探してたの?その心は!」
「……ちょっと聞きたいことあっただけ」
「えっ、なになに?なにその反応。もしかして、師匠と会ったとか?」
「…会ったわよ」
「そうなんだあ…で?どうだった?かっこよかったの?甲斐ちんの好みだった?」
「だあーもううっさい!ていうか、師匠?」
「あっ」

しまった失言!わざとらしく両手で口を隠すと、今度は怪訝な顔で睨み付けられる。こわーいそんなんだからモテな…おっとまたまた失言。

さて、冗談はこのくらいにして…どうしよっかにゃ。下手に言い訳しても怪しまれるだけだし、かと言って素直に何もかも話してしまうのはなんだか癪だ。

これは甲斐ちんだけに言えることじゃない。あたしは、師匠がいることはもちろん、師匠のことも、師匠との関係や思い出も誰にも話したことはない。話したくない、の方が正しいのかな。ちゃんとした理由はわからないけど、なんだか大っぴらにしたくないんだと思う。けれど、まあ、今回は仕方ない。甲斐ちん相手だし、多少ならいいか。

「…あたしの師匠なの、なまえさんって」
「そうだったんだ…ていうか、あんたが誰かの弟子っていう想像があんまりできない」
「しなくて結構ですう。それで、なんで師匠のこと知ってるの?風魔の旦那?」
「あ、そうそう。小太郎。小太郎と一緒に小田原に来てて、そこで初めて会ったの。あの人の存在自体は前から有名だったし知ってたんだけどね」
「ふーん…」

やっぱり風魔の旦那かあ。旦那って一体なに考えてるんだろう。師匠と仲良いんだかそうでないんだかわかんないな。あたしが見る限りでは。

「そうだ、あんただったら知ってるんじゃない?」
「え?」
「なんであの伝説の忍びが、戦場から姿を消したのか」
「………」
「急にいなくなったんでしょ?ほとんどの人が死んだと思ってたって…聞いてる?」

どうして、だったっけ。

「…話しにくいなら、無理には聞かないけど」
「話しにくいというか…」
「ん?」
「ごめん甲斐ちん、野暮用を思い出したので拙者はこれにて!」
「は!?ちょっ、」

ドロンと一発お決まりの台詞と共に姿を消した。甘味屋から離れながらもう一度記憶の糸を手繰り寄せてみるけど、やっぱり思い出せない。

どうして師匠は隠居したんだっけ。一緒に修行したことも、たまに一緒に戦に出陣したことも、隠居したことも覚えてるのに、その理由がどうしても思い出せない。あれ、あれれれれれ?

「…聞きにいこうかな」

そうと決まればすぐ行動。今では気軽に会いに行けるから、嬉しくて心が弾む。探すのは大変だけど、別にそんなの苦じゃない。さてさて、任務開始でござる!




(丁度いい口実が出来た)


150215