「全部見てたんだろ」 「ククク…」
犬千代くんに襲われかけた宿屋の屋根に登ると、そこにいたのは小太郎くんだった。天井からずーっと視線感じてたから同業者だろうとは思ってたけど。
「見てたんなら助けろよ、僕と君の仲じゃないか」 「はて、どういう仲だったか」 「ひどっ。僕襲われてたのに」 「心配せずとも本当に食われそうになっていたら奴の首は飛んでいた」 「それはそれで怖い」
苦笑いしてその白い横顔を見つめるが、表情までは読めない。笑ってなくても面白がってる時があれば、またその逆もある。意外とこの子の気持ちを読み取るのは長年付き合っている僕でさえ難しい。
昔からそうだと諦めて、立派にそびえ立つ安土城の方へ視線を移した。
「…そうだ。知っているか、なまえ」 「んー?なに?」 「犬が唇を舐めてくるのは、好きだ、と伝えたいからだそうだ」 「っ、」
瞬間戻した視線の先には、これでもかってくらいに嫌な笑みを浮かべ、僕を見つめる小太郎くん。
「…聞いたよ、すっごい昔に」 「ほう、覚えていたか…その昔話を思い出したから、昔々の顔が出てきたのか?」 「は?」 「離れろと告げたうぬの顔、闇の化身のそれであったぞ」 「だからやめてってそれ」
やだなあもうと適当に言葉をかわす。心臓がうるさい。偶然か?それともわざとか?なぜその言葉が出てきたんだ。ないとは思うけど、まさか読心術?そんなん使えるの?どちらかといえば使えそうだけど、聞いたことないしな。
その豆知識みたいな情報を聞いたときは、へえそうなんだ、くらいにしか思わなかった。この子達の愛情表現は分かりやすいんだね。そんなことを言っていた気がする。
『分かりやすい方がいいのか?』
高く結ばれた綺麗な赤髪を風に靡かせ、少年は問う。その顔はやはり何を考えているのか分からない。そんな彼の表情を見て、まあ分かりにくいよりは分かりやすい方がいいだろうと、それこそ何の気なしに僕は答えた。
「人は、うぬのその顔を恐れている」 「………」 「暗くて冷たくて、感情が読めない。何を考えているのか分からない。だから恐怖が生まれ、畏縮してしまう。先の犬がいい例であろう」 「…まるで小太郎くんみたいな顔ってこと?」 「否定はせぬ」 「やだなあそれ」 「だがそれは、人は、の話だ」
くつくつと喉を鳴らし、言葉を続ける。
「我は違う。魔に魅せられたような、この世の何もかもを諦めたようなその顔…気に入っているぞ」 「ただの同族意識じゃないの。僕はごめんだね、もうやめたんだ、闇の化身様は」
皮肉を込めてそう言うが、何が面白いのかまだ笑っている小太郎くん。ていうかずっと言いたかったんだけど自分は人間じゃないっていうその謎の設定なんなの。
なんかいろいろ面倒になってきた。さっきの犬千代くんの件もあるし、適当においとましようか。
「…ところで」 「!」 「妹君の婿探しとやらは順調か?」
…なんでこう、嫌なとこばっかり突いてくるかなあ。
「…どうだろう。まだこれだ!って子と会えてないからなあ…」 「我のお薦めを教えてやろう。武田にいる活きのいい若武者などどうだ?」 「……おい、」 「例えば、そう……真田のっ」 「お前本気でぶっ飛ばすぞ」
気付いたら胸ぐら掴んで睨み付けてた。小太郎くんはやっぱり笑ってる。あー、もう。何もかも全部わかってやってるからほんとに腹立つ。でもだめだ。これじゃただの八つ当たりか。たとえ小太郎くんの挑発だったとしてもそれで八つ当たりをするのは筋違いだろうと、掴んでいた手を離した。
「…ぶっ飛ばす、だと?」 「いっ、」 「それはこちらの台詞だ。いつまで余裕ぶっている?自分は平気だと偽り続けて楽しいか?それならそれを死んでも貫いてみせろ。これくらいの安い挑発で揺れるようならいっそやめてしまえばいい。素直になればいい」
反対に胸ぐらを掴み返された。力は弱まるどころかどんどん強くなっていく。顔は変わらず笑っているのに声はすこぶる低くて冷たい。あ、これ怒ってるなとすぐに理解した。
「どちらにもなれず中途半端に燻る…それが一番腹が立つ」
そんなの僕自身が一番よくわかってるし、僕自身が一番僕自身に腹が立ってる。
「…った…な」 「!」
絞り出した言葉を拾った小太郎くんがぱっと手を離した。途端に流れ込む酸素に少しむせるが気にしない。
「はっ、げほっ……知った、風な口、きくなよな…」 「………」 「わかんない、から…そんな簡単に、僕のこと、貶せるんだよ…けほっ」 「ほう?」 「…自称人じゃない小太郎くんが、誰かを本気で愛したことなんてあるの?」
途端に少し目を見開いた、気がした。多分。してやったりと笑うと、小太郎くんもまた笑った。なんだそれ。
犬千代くんとは真逆だな。違う意味でやっぱり面倒だ。はやく切り上げないとしつこいぞこれ。
「クク…まさかここまで阿呆だったとは」 「失礼な。どういう意味だよ」 「先の思い出話の続きだが」 「?」 「あの時、我の気持ちはうぬに伝えたはず…ついにボケ始めたか?」 「だから失礼だってさっきから!ボケてないし!」
された方はずっと覚えていると言うが正しくその通りだ。反面、行動した方はてんで覚えていない。だからきっと覚えているのは自分だけだろうと安心しきっていたんだ。なのに。
「だいたいさあ、君っていろいろと分かりにくすぎなんだよね。小太郎くんの方こそもう少し素直になればいいのに」 「分かりやすい方がいいのか?」 「そりゃあ、」
あれ、ちょっと待て。その言葉は、
気付いた時にはもう遅い。口をぱかりと開けた小太郎くんが、すぐ目の前に。ああ、これであの時の二の舞だ。しかし心のどこかで諦めてしまった僕を知ってか知らずか、唇に触れたのは舌ではなく、同じ唇だった。微かに触れるだけの口付け。それだけだったのに、普段見せる彼の表情からは考えられないくらい、ものすごく熱く感じた。それにまた驚く。
「……小太郎くん」 「………」 「…ふはっ、てっきり、また舐められるのかと」 「…やはりボケたか。我を犬や狼と一緒にするな」 「だからボケてないってば」 「好きだ」 「はっ、え?」 「どうやら言葉にせねば理解できぬほど阿呆になってしまった闇の化身の為に、今日だけ特別にわかりやすく教えてやろう」 「こた、」 「我はうぬが好きだ。うぬを愛している。うぬが欲しい。あの女のことなどさっさと諦めてしまえばいい。しかしそれが出来ないうぬがいとおしいと同時にひどく憎い。いっそ壊してやろうかとも思うし、もちろん毛利のもとへなど行かせぬ」
淡々と告げられる言葉は真実か否か。ていうかなんで先生との約束まで知ってるんだ。混乱する頭を落ち着かせるように深呼吸をしてみたけれど、あんまり意味はなかった。また心臓がうるさくなりだした。なにか話さないと。なにか、
「どう逃げようか、と考えているのか?」 「!」 「そうやってまたあの時のように曖昧にして逃げるのか。ああ、我は悲しい」
そう言いながらにやにやと笑う小太郎くんはちっとも悲しそうには見えなかった。
「ククク…まあよい。今は楽しめ、つかの間の自由を。愛する妹君との触れ合いを」 「…つかの間…?」 「だが忘れるな。最後にはきっと、我にすがることになる」
あの夜のように。
その言葉に目を見開くと、たちまち突風が吹き、小太郎くんを消してしまった。言い逃げなんてずるいじゃないか。
“あの夜”があったから、今の僕が、今のくのいちがいる。小太郎くんには本当に感謝してる。けれど、最後とは、またすがることになるとはどういうことだろう。何を意味しているんだろう。
『…代々風魔を束ねる長にのみ引き継がれる秘術のひとつに、記憶を消す術がある』
その術に、僕はまた頼ってしまうのだろうか。
(それが正しかったのか、そうでないのか) (未だに僕にはわからない)
150125
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