犬千代くん、もとい利家くんに見つかった上にそのまま捕まってしまった。城内では会わなかったから内心よっしゃ!とか思ってたのに。
あれよあれよと連れてこられたのはすぐ近くにあったなかなか上品な宿屋だった。外観だけでなく中も綺麗だなあ、いいとこなんだろうなあ、なんてそんなのんきに評価してる場合じゃないんだけどね。さて、案内された部屋に着いて二人になっても手を離してくれない犬千代くんからどうやって逃げようか。
「……なまえ」 「はいはい、どうしたの」 「今まで、どこに」 「秘密」 「………」
口元に人差し指を立ててそう言うと不満そうに押し黙った犬千代くん。笑って誤魔化してみたけれど、相変わらず手は離してはくれないようだ。痛い。
「黙って消えたのは悪かったよ。ごめんね」 「……どうしても話せねえのか?」 「…ごめんね」 「………」 「そのお詫びと言っちゃなんだけど、今後はちょくちょく顔を見せに来るよ。だから」 「忘れようと思った」 「え、」 「お前が来なくなって、時間が流れて、いつの間にか戦も終わって…だから、忍びであるお前がいなくなっちまったのも、当然のことなんだって、忘れようと思った。でも気付いたら、心のどこかで、まだ吹っ切れてねえ自分がいた。どこ行っても、いつもお前のこと、探してた」
途切れ途切れに紡がれる言葉は震えていて、ああ、また誰かを泣かせてしまったと申し訳なくなった。先生と一緒だ。どうして僕なんかのために涙を流す。ただの忍び一人のために。嬉しいけれど、変なの、と思ったのもたしかだ。
俯いていた顔を上げた犬千代くんはやはり泣いていた。
「…いっそ忘れてくれればよかったのに」 「それが出来なかったからこうなってンだろ」 「真っ直ぐなのは相変わらずなんだね、安心したよ」 「うるせえ」 「うおっ、」
ぐりぐりと頭を押し付けてくる。懐かしいな。これは構え、とか、撫でろ、の合図だ。仕方ない、久しぶりだしうんと構ってやろう…あ、嘘、適度に。あんまり構いすぎると後々面倒なことになるから。
最初はそっと触れるように。髪の上から優しく撫でる。髪質はあの時と変わらず僕のそれよりも剛毛だ。数回撫でたら今度は髪と髪の隙間に指を差し込んで、頭の輪郭を探るように強く撫で付けるように触れてやる。爪は立てずに何度も何度も。しばらくすると、嬉しそうにさらに頭を押し付けてくるんだ。ほんとに犬みたい。
この子がまだ小さかった頃はもっと構ってあげてたんだけど、そろそろ切り上げよう。当時でさえあんなにたちが悪かったんだ、今本気出されたら勝てる気しない。そう思って手を離すとすぐにがばりと顔を上げた犬千代くん。こわ。
「……とめンなよ」 「しゅーりょー。久々だし疲れた。続きはまた今度ね」 「いやだ」 「わがまま言うな。もう元服してるんだろ、可愛くもなんともないぞ」 「はっ!ンなもん願ったり叶ったりだ」 「!」 「こっちはずっと可愛い可愛いって言われていらいらしてたんだよ。もう俺はお前の知ってる可愛い犬千代じゃねえ」 「いだっ、ちょ、犬千代くん」
素早く手首を掴まれたかと思うとそのまま床に押さえ付けられてしまった。あれ、僕最近こんなのばっかり。
だめだな、薄々感じてたけど恐らく…いや間違いなく小さい頃に甘やかしすぎた結果だこれは。小太郎くんの影響で犬が好きだったから本当に犬みたいで可愛いよしよしって甘やかしすぎた結果だ。もういい大人なんだし、ここはビシッと線引きをしておかねば。ていうかずっと甘やかしてたんだから少し厳しくいけばましになるかもしれない。
「犬千代くん、この際言っておくけど」 「なんだよ」 「僕、ずっと犬派だったけど、猫派になった」
ぴしり。固まってしまった。これは効果あったかもしれな…
「……はあ?なんだよそれ」 「いっでええええええ」
しまった逆効果だったか!手首折れるわ!
「いたいいたいいたいいたいうそうそごめんって!いや、嘘じゃないけどでも犬も好きだから!ごめんって!」 「てか、ンな理由でやめるわけねえだろ」 「ひっ、」
首に巻いていた手拭いを器用に口でずらしたかと思うと、そのまま首筋に顔を埋められた。すんすんと聞こえる音と生暖かい息が絶えずかけられているのがくすぐったくて仕方ない。
「ぐ、ふはっ、ちょっと、こしょば…うえっ」 「ん…はあっ…なまえ、いいにおい…」 「うっせ、くそ…この、駄犬め!離れろ馬鹿!」 「いやだ…なあ、なまえ」 「なんだ、よ…」
怒鳴り付けてやろうとしたが口が止まった。そろりと首もとから上げられた顔が、いつか見た、情けなく蕩けた顔をしていたからだ。頬を染めて、とろんとした目にはたしかに熱が籠っていて、でもあの時と違ってどこか色気を感じさせる。どこで覚えてきたんだそんな技。
呆けていると、唇をべろりとなめられた。
「もう待ってるだけの子どもじゃねえんだ。ずっとずっと好きだった。今も変わらねえ。お前の全部、俺にくれよ」 「……僕は君の甘えられる場所になってあげただけだ。それ以上を望まれても返せない」 「…じゃあもう頼まねえ」 「…あのさ、犬千代く」 「無理矢理もらってく」
そう言って舌なめずりをした犬千代くんに絶句した。これだ、これがこの子を苦手意識してしまうところ。一度決めたら意地でも通そうとする、いい意味でも悪い意味でも真っ直ぐなところ。眩しいってのもあるんだろうけど、状況によっちゃ面倒なことこの上ない。それにしても舐めたせいで艶々している唇がやらしい…じゃなくて、無理無理。男に奪われてたまるか。さっき唇舐められたのだって結構傷付いたんだぞ。
『奴らが唇を舐めてくるのは、好きだ、と伝えたいからだそうだ』
幼い赤髪のあの子が、あの子の言葉が鮮明に浮かんだ。その言葉の後に僕の唇を舐めたのは彼だったか、そばにいた狼だったか。
…嫌なことを思い出してしまった。
「…犬千代くん」 「あ?」 「離れろ」 「っ、」
自分でも驚くほど低い声を出したと思う。犬千代くんもそうだったみたいで、少し目を見開いてから、不服そうに僕から離れた。まるでお預けをくらった犬みたい。
犬千代。本当に、相応しい名だと思った。
「……ごめんね」
本日何度目かの謝罪の言葉。姿を消す直前に見えた犬千代くんの顔は、また泣きそうだった。
(次会う約束もしないまま)
150119
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