ベジタリアンのこしゃくな戯れ言 私はサマディー城下町の酒場で働く、しがないバニーガールである。名前はあるけれど名無しも同然。会話のテキストボックスの左上に私の名前が出てくることは、システム上決してありえない。そんな、本当にしがないバニーガールなのだ。 そんな私の毎日は、モブに相応しく代わり映えのしないものだった。仕事に行って、働いて、仕事を終えて、家に帰る。恋人がいる時はその合間に逢瀬を重ねたりもするけれど、結局のところは繰り返しばかりの退屈な日々。 「はぁ……毎日つまんない」 「えっ、暇なの? なら今晩どう?」 「お断りよ」 真っ昼間にもかかわらず既に酔いどれた男が組んでくる肩を払いのけて、私はもう一度溜息を吐く。こんな冴えない男と寝たところで何になるというのだろう。 望むのはもっと刺激的な相手だ。そして、この乾いた砂漠地帯をも潤してくれるようなカッコいい人。……なんて、そんな素敵な相手に出会えるはずが無いけれど。なんせ、私はモブだから。 なんて。いいえ、嘘。 本当は1人、そんな理想の相手と私は夜を共にしたことがある。他の男といくら寝ても忘れられないほど、ハマってしまった人が。 2年ほど前に出会った彼は、とても見目麗しい青年だった。青年……いや、少年というべきなのだろうか。スラリと伸びた手足は細くて、まだまだ未成熟に思えるほどだった。 にも関わらず、非常に整った顔立ちに浮かぶ表情は常に険しく達観したように大人びたもの。他者を見る目は刃のように鋭くて、そのアンバランスさが、危うさが、どうにもたまらなく魅力的に感じられたのだ。 誘えば拒むことのなかった彼の指先は、いつだって器用に動いて私の肌を撫でて喜ばせてくれた。まだ10代であるというのにあまりにも巧みな手が、舌が、腰使いが、そのミステリアスさを助長させているようにさえ思えた。 そして事が済むと、彼はいつだって鮮やかな青い髪を掻き上げながら部屋を後にするのだ。案外紳士的に優しく、私の身体にシーツを掛け直してくれながら。 彼と過ごした6度目の夜のこと。いつものように去っていこうとする腕を掴んで腰に手を絡め、二の腕に胸を押し付けながら私は言った。 行かないで。勝手に放って行かないで、朝まで、いいえ夜が明けてもずっと、側に居てくれたって良いじゃない。 振り返った美しい瞳は、私から絞り出された想いに揺れていた? 否、まるで氷のように冷たい色をしていた。軽蔑か不信か。とにかく他者を突き放すような、踏み込まれることを良しとはしない。初めて見せるあまりにも刺々しい感情の元で、彼は告げたのだ。 ──悪りぃけど、そういう面倒なのは他あたってくれ。 ──えっ、ちょっと、カミュ……! 「カミュってば、本当にフィオラが好きだよねぇ」 突然に耳に飛び込んできた名前は回想の中で呼んだものと相違がなくて、私は思わずその会話の方を振り返った。 歩いていたのは旅人と思しき一団だった。栗色の髪の穏やかな顔立ちの少年と、金髪の姉妹と思しき少女達が連れ立っていて、私は思わず耳をそばだてる。 「ベタ惚れ、というやつですわね。お姉さま」 「というか独占欲が強すぎるのよ。あいつのせいで私、フィオラさんと2人で買い物にも行けないのよ!?」 緑のワンピースを着た姉が隣を歩く赤いワンピースの妹に嬉しそうに笑いかけると──ん? お姉さま? 聞き間違いだろうか──妹は両の腰に手を当てて幼い頬を「ふんっ」と膨らませた。 あんの、青色ハリネズミ! なんて叫ぶ少女の声を残して、彼らは酒場の前を通り過ぎて行った。ハリネズミ? なんのことやら。けれど否応なく、先程聞こえた名前も相まって、私の頭の中には1人の少年の像が結ばれていた。 青い髪をツンと逆立てていた少年の姿。 ベタ惚れだとか独占欲だなんて言葉はあまり連想に値しないけれど、それでもなんだか気になってしまう。あの夜以来私の前から姿を消したかの少年も、旅の人だったから。 マスターに休憩を貰った私は、早速その足を町唯一の宿屋へと向けた。旅人ならば滞在先はきっとここで間違いないだろう。 と、言いつつも。その“カミュ”は既に宿から市外に出ているかもしれないのに、出待ちはなんとも無駄なことではないだろうか。宿の戸が開いて少し期待をしても、中から出て来たのは薄紫の髪の女性が1人だけだ。 「ふぅ……サマディーは本当に暑いですね……」 ぱたぱたと手で扇ぎながら空を見上げる女性は、旅の踊り子……にしてはどうにも上品な佇まいである。薄衣を織り作られた繊細な服は高級な素材で作られていそうで、芸事の衣装というよりは貴族のドレスという呼び方が正しく感じられた。 白い鎖骨やしっかりとくびれたウエストも晒した薄着だというのになおも暑そうにしている彼女は、やがて意を決したように歩き始める。太陽に晒されるや否や、途端にその穏やかな顔立ちが悲しそうに歪められた。どうやらそんなに暑いらしい。 なんて、その姿をいつまでも眺めていても仕方がない。まどろっこしいのは好きでないので、ちらと宿を覗いてみて目当てが居なければ出直すとしよう──と、 「おい、フィオラ! 勝手に出て行くな!」 そんな私の考えは、唐突に聞こえてきた覚えのある声によって遮られたのだ。 先の宿屋から勢いよく駆け出してきたのは1人の青年だった。白いマントをはためかせて、向かうのは一直線に件の女性の元。マントと同じ生地で作られたターバンの縁からはみ出している髪の色は、褪せることのない青色で。 女性の腕を掴んで引き止めた彼は、片手に持っていた白い日傘をばさりと開きその頭上に翳してみせる。日光は遮られ、彼女の白い頬はたちまち柔らかな影に守られた。 「あら……涼しくなりました」 「ったく……なんで先に外に出てるんだよ」 「カミュ君が用意してくれたお洋服を着たら、少し暑さが和らいだので嬉しくなってしまいました」 「けれど外に出ると、やっぱり暑いですね」と、まるでフワフワなんて擬音が付きそうな微笑みを浮かべた女性の言葉に、呆れたように首を振りながら彼は溜息を吐く。 やれやれ、全く、世話が焼けるな──字面だけは面倒くさそうに、けれどそれを嬉しそうな顔で呟くのだ。 カミュ君。女性が呼んだその人は、私の記憶の中の彼に間違いないようだった。 鮮やかな青い髪と瞳。どことなく大人びた表情は昔と変わってはいないようだが、精悍で整った顔立ちは前よりも研ぎ澄まされて、腕には随分と筋肉がついたように思える。 「日傘、ありがとうございます。宿でわざわざ借りてくれたのですか?」 「別に……あんたに倒れられたら困るからな。こういう気候には慣れてねぇだろうし」 「それはカミュ君も同じでしょう? ああ、そうです」 ぽんと女性は手を打って、“カミュ君”の手を取った。そして一歩、二歩と距離を詰める。甲斐甲斐しく彼女の動きに合わせて傘を動かした彼は、ようやく気付いただろう。 小さな影の中に、自分もすっぽり収まったことに。それほどまでに彼女が近くに立っているということに。 「こうすれば、2人で涼しいですね」 「お、う……」 腕に触れる女性の肩に、彼は目に見えて頬を赤く染めた。私が同じ場所に胸を当てても顔色一つ変えなかったくせに、肩が触れ合っているだけで、だ。 額に滲んだ汗をハンカチで汗を拭われて、照れ臭そうに顔を背ける姿はどことなく幼く見える。昔よりも成長しているはずなのに、それよりもよほど年相応の、いっそ不相応の可愛らしい表情だ。 「さ、ベロニカ達が待っています。早く行きましょう」 「そう、だな……」 ゆっくりと歩き始めた女性のすぐ隣について、カミュは歩き出す。彼女の側からずっと離れないとばかりに、足並みを揃えてゆっくりと。 行かないで。側に居て。あの日私が告げた言葉に込められた感情を、きっと彼は身をもって理解したことだろう。 彼の氷のように冷たく美しい瞳は、灯された熱にすっかりと溶けた。他者との深い関わりを拒んでいた少年は、誰よりもその女性との関わりを求めていた。狂おしいほどのその想いは、私が好きになった“カミュ”という存在をそっくりそのまま作り変えていた。 彼との夜を今でも忘れられないほどに、私は自分を酷い言葉で捨てた少年を気に入っていたわけだけれど。その想いはたった今、すっかり冷めてしまった。私が好きなのは鋭い眼差しで危うささえも内に含んだ、魅力的で刺激的な男なのだから。 ──たとえイケメンだとしても、あんな幸せそうに蕩けた目の男は好みじゃないわ。なんてことを呟いて、私は職場である酒場に戻る。 かつて夜を共にした男の恋がちゃんと素敵なものになるように。ほんの少しは、願ってあげたりしながら。 ベジタリアンのこしゃくな戯れ言 |