そう遠くない未来きっと貴方も恋をする 女心と秋の空……とはよく言うが、秋でもないのに急激に変わった空を、カミュは避難してきた軒下から盛大な溜息と共に見上げていた。先程までは蒼天としか表現しようのない快晴だったのに。今は灰色の雲にすっかり覆いつくされて、大粒の雫が絶え間なく辺りを濡らしていた。 空のように青いカミュの髪からは、ぽたりと、やはり空のように雫が落ちる。ああ、酷い目にあった。目に入りそうな雨水を手の甲でぐいと拭って、もう一度溜息を吐く。 「向こうの空は晴れていますね……おそらくは、通り雨なのでしょう」 きっとすぐに止みますねと呟きながら、同じように髪の端から水を滴らせているのは、買い出しのため、共に町を回っていたフィオラだった。 淡い紫の髪は水を含んで、どこかいつもよりも濃い色をしているように見える。頬に張り付いた一房を指先で摘んで取り払い、彼女は大粒の雨を見つめていた。 「宿に戻ったらすぐにシャワーを浴びてください、カミュ君。濡れたままだと風邪を引いてしまいます」 「オレはこれくらい慣れてる。それよりあんただろ」 「ふふ、大丈夫ですよ。ゆっくり温まるようにしてくださいね」 彼女の黒い服は濡れても変化が分かりにくいが、重量を増していつもはふわりと膨らむシルエットを重力のままに大地へと項垂れさせていた。 布は水気と共に肌に張り付き、普段は目立たないその身体のラインを明らかにする──と、まぁそれはいいのだ、気にしないようにしても気になってしまうけれど、どうでもいいのだ。 とにもかくにも、このバケツをひっくり返したような豪雨に濡れているのは、カミュだけではないということである。 そして、カミュは彼女にも伝えた通り、昔から雨ざらし雪ざらしには慣れきっていている。生まれも育ちもよろしくはないのだから、当然だ。だからこそ、隣に立っている箱入りのお上品な聖女様がまずは温まるべきなのだ。 育ちの悪い元盗賊と、お嬢様育ちのシスター。特段の色眼鏡も含まない客観的な視点のみでも、それは自明の理であろうに。 「……結局、こういうのも子ども扱いってやつだよな」 「ううん……そう言われると言葉には困りますが。けれどロウが相手でも、私は同じことを言っていると思いますよ」 「爺さんと比べるなよ」 話が変わってくることを分かって煙に撒こうとするフィオラに、今日一の盛大な溜息を吐きながら、カミュはまたも垂れてきた雨水にふるりと首を振った。 「……なんだよ」 「いえ。……ふふ、」 視線を感じて隣を見遣ると、フィオラはニコニコと楽しそうな笑みを浮かべていた。 「そうしていると、随分と雰囲気が変わりますね」 「は?」 言われてみて、改めて自分の今の姿を振り返る。 全身はずぶ濡れの、ただの濡れ鼠。苔色のチュニックも濡れて深緑に変色していた。ズボンもべたりと足に張り付いて、動きにくいことこの上ない。 そ、と一歩近付いてきたフィオラが、カミュの顔を覗き込む。 す、と白い手が伸びてきて、それはカミュの頭に落ちた。 「髪、こうしていると少し大人っぽく見えます」 普段は掻き上げツンと立てさせている髪が、雨に濡れてぺったりと萎れている。少し長めの前髪は眉の下にまで伸びていて、鬱陶しいことこの上ない。 と、いうか。 「大人っぽく見えるって、言葉と行動が伴ってねぇぞ」 「大人っぽくて可愛らしいなと思いました」 元気のなくなった髪を更に潰すように撫で付ける掌は、正直前髪よりも鬱陶しい。 頭頂部から側頭部へ、頭頂部から後頭部へ、そして頭頂部から今度は額へ。しなやかな手は、角度を変えて、何度も何度も髪の上を滑っていく。 「……だから、子ども扱い」 「といっても、カミュ君は一回りも年下ですからね……」 態度でも行動でも言葉でも、何度も何度も示されるのは、彼女の頑ななまでの意志と透明な壁だった。 決して隣に並ぶつもりはないと、柔らかく、優しく、温かいふりだけをした、残酷にも思える聖女の宣告だ。 カミュは短時間で更新されてしまった今日一の溜息と共に、触れ続けるフィオラの手を掴み取った。不意の行動を受けて、彼女の指先がぴくんと跳ねる。 雪のように白い手は、色に違わず冷たかった。言わんこっちゃない──とはわざわざ言わないが、温めるように握りしめる力を強くすると、フィオラは困ったように眉を下げてカミュを見る。 「……あんたに言わせてみりゃ、子供体温なんだよ」 「まだ何も言っていませんよ……?」 「言いそうなことは分かるって」 そんな年齢ではとうにないと分かっていて、無邪気を装って棘を刺してくるのがデルカダール王国の聖女様なのだから。 「やっぱ、あんたが先だからな。シャワー」 「そこまで言われてしまっては、仕方がありませんね」 それでも厚意とも好意とも受け取ってもらえない想いは、年下の我儘の枠にはめられて、枠を壊しきることもできずに大人しく息を潜めるのだ。 気が付くと雨はすっかり止んでいた。フィオラが言ったように、通り雨だったのだろう。 天気はころころと移り変わる。先程の一瞬が嘘のように、裂けた雲間からは陽の光までが注いで、薄く水の膜が張った道を輝かせている。まるで、別の世界に来たかのようだ。 「さっさと帰るか」 「ええ、そうですね。……あの、カミュ君?」 右の腕に荷物を抱え、左の手に冷たい手を握って、歩き出したカミュにフィオラはやはり困った声を上げる。 「子供が迷子にならないように、手を繋いどいた方が良いだろ」 有無を言わさず押し切って、収まりきらない枠の隙間を埋めるように下心を流し込んで、カミュは彼女の手を離さぬままに光が敷いた石畳を踏んだ。 女心と秋の空。秋の空でもないくせにコロコロと色を変える天が頭上に広がるならば、頑固があまりにもすぎる聖女様の心だって、いつかは動く時が来るのだろうと。そう、信じて。 そう遠くない未来きっと貴方も恋をする |